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by nicoxz

アジア発見の1万年前ミイラが人類史を塗り替える

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はじめに

人類最古のミイラといえば、南米チリ北部のチンチョーロ文化による約7,000年前のものが定説でした。しかし、札幌医科大学の松村博文名誉教授らの国際研究チームが、中国南部から東南アジアにかけて発見された人骨が、燻製(くんせい)による防腐処理を施されたミイラであることを科学的に証明しました。最古のものは約1万2,000年前にさかのぼり、従来の記録を5,000年以上も更新する画期的な発見です。

この研究成果は2025年9月に米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載され、米考古学誌『Archaeology』が選ぶ「2025年の発見トップ10」にも選出されました。本記事では、この発見がなぜ重要なのか、そしてどのように人類史の理解を変えるのかを解説します。

燻製ミイラの発見:1万2,000年前の防腐技術

11の遺跡から57体の人骨を分析

研究チームは、中国南部、ベトナム、インドネシア、ラオス、マレーシア、タイ、フィリピンの計11の考古学遺跡から発掘された57体の人骨を分析しました。これらの人骨は約3,600年前から1万2,000年前のもので、いずれも新石器時代以前の狩猟採集民のものです。

注目すべきは、多くの人骨が解剖学的に不自然な姿勢で埋葬されていた点です。しゃがむような体勢や、手足を体に密着させた「屈葬」の状態で発見されました。松村名誉教授は、経験豊富な形質人類学者・解剖学者として、これらの骨格が「解剖学的に説明のつかない配置」であることに気づいたことが、研究の出発点となりました。

X線回折と赤外分光法で科学的に立証

研究チームは、X線回折(XRD)とフーリエ変換赤外分光法(FTIR)という先端的な分析手法を用いて人骨を調査しました。その結果、骨の表面に微細な熱損傷の痕跡とすすの付着が確認されました。

重要なのは、これらの痕跡が高温での焼却ではなく、低温で長時間にわたる加熱処理、つまり「燻製」によるものだと判明した点です。遺体を火の上でゆっくりと乾燥させることで、内部の水分を除去し、防腐効果を得ていたのです。この手法は、現代のオーストラリア先住民やパプアニューギニア高地の一部の社会で民族誌的に記録されているミイラ化の手法と類似しています。

チンチョーロ・ミイラとの比較:定説の書き換え

従来の「最古のミイラ」チンチョーロ文化

これまで人類最古の意図的なミイラ化として知られていたのは、チリ北部アタカマ砂漠沿岸のチンチョーロ文化によるものです。最古の例は紀元前約5,050年(約7,000年前)のもので、エジプトのミイラよりも約2,000年古いとされていました。チンチョーロ文化のミイラは2021年にユネスコ世界遺産にも登録されています。

チンチョーロの方法は、遺体から皮膚や臓器、脳を取り除き、骨を棒で補強し、植物素材で詰め直すという高度な技術でした。社会的エリートだけでなく、すべての人に施された点がエジプトとの大きな違いです。

アジアの燻製ミイラが5,000年以上も古い

今回の発見で、アジアの燻製ミイラの最古の例は約1万2,000年前にさかのぼることが判明しました。これはチンチョーロの記録を5,000年以上も上回ります。エジプトのミイラと比較すれば、実に2倍以上の古さです。

手法の違いも興味深い点です。チンチョーロが遺体を解体して再構成する「外科的」な方法をとったのに対し、アジアの狩猟採集民は燻製という比較的シンプルな技術で防腐処理を実現していました。乾燥した砂漠気候のチリと異なり、高温多湿のアジアでは遺体の腐敗が急速に進むため、燻製による水分除去は理にかなった選択だったといえます。

狩猟採集民の精神世界と移動生活

祖先との「つながり」を携えて移動

松村名誉教授は「燻製乾燥によって、人々は祖先との物理的・精神的なつながりを時間を超えて維持することができた」と指摘しています。燻製処理されて縛られた遺体は軽量化されるため、移動が容易になります。研究チームは、狩猟採集民が祖先のミイラを携えて移動生活を送っていた可能性を示唆しています。

これは、定住生活を送る社会で発達したエジプトやチンチョーロのミイラ化とは根本的に異なるコンセプトです。移動する生活の中で「祖先を連れて歩く」という発想は、初期の人類社会における死者への敬意と精神文化の豊かさを物語っています。

アフリカからの移住ルートを示す手がかり

発掘された人骨には、盛り上がった眉間の骨など、オーストラロ・パプア系集団に類似した頭蓋骨の特徴が見られます。これは、アフリカからアジアへ移住した初期のホモ・サピエンスのグループとの関連を示唆するものです。

松村名誉教授の研究では、中国南部の広西チワン族自治区にある灰窯田遺跡の7,000~9,000年前の人骨が、日本の縄文人と同様に、東アジアへ移住した初期の集団に属することが示されています。燻製ミイラの慣習の広域的な分布は、これらの初期移住者が共通の文化的慣行を広範囲にわたって共有していたことを示す重要な証拠です。

注意点・今後の展望

研究の限界と今後の課題

今回の研究では、骨に残された痕跡から間接的にミイラ化を推定しています。高温多湿のアジアの環境では軟部組織が保存されにくいため、チリやエジプトのように「ミイラそのもの」を直接観察することはできません。燻製処理の具体的な手順やかかった時間など、詳細については今後の研究に委ねられる部分も残されています。

また、朝鮮半島やベトナムの1万4,000年前の遺跡でも同様の人骨が報告されており、分析対象の拡大によってさらに古い事例が見つかる可能性もあります。

考古学の常識を変える意義

この発見は、ミイラ化の起源が乾燥地帯にあるという従来の前提を根底から覆しました。湿潤な気候のアジアで独自の防腐技術が発達していたという事実は、初期人類の知恵と適応力の高さを改めて示すものです。今後、アジア各地の遺跡での再調査が進むことで、人類の文化的進化についてさらなる知見が得られることが期待されます。

まとめ

札幌医科大学の松村博文名誉教授らの研究により、中国南部から東南アジアにかけての狩猟採集民が、約1万2,000年前から遺体を燻製で防腐処理していたことが科学的に証明されました。これは従来の最古記録であるチリのチンチョーロ・ミイラを5,000年以上さかのぼる発見です。

この研究は、人類のミイラ化の起源を大幅に書き換えただけでなく、初期の狩猟採集民が豊かな精神文化と高度な技術を持っていたことを示しています。「2025年の考古学発見トップ10」に選ばれた本研究は、アジアの先史時代研究に新たな地平を切り開くものです。

参考資料:

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