関税違憲判決でも株式市場が踊れない理由を解説
はじめに
2026年2月20日、米連邦最高裁判所は歴史的な判決を下しました。トランプ大統領が国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づいて発動した相互関税について、6対3の多数決で違憲と判断したのです。判決直後、ダウ工業株30種平均は230ドル高の4万9,625ドルで引け、S&P 500は0.69%上昇、ナスダック総合指数は0.9%の上昇となりました。
しかし、市場の反応は「歓喜」と呼ぶには控えめなものでした。関税撤廃という一見すると大きな追い風にもかかわらず、なぜ市場は慎重姿勢を崩さなかったのでしょうか。本記事では、判決の内容と市場の反応、そして今後の見通しについて詳しく解説します。
最高裁判決「Learning Resources対トランプ」の全容
判決の核心:IEEPAでは関税を課せない
今回の訴訟は、教育用玩具メーカーのLearning Resources社がトランプ政権を相手取って起こした「Learning Resources, Inc. v. Trump」事件です。ジョン・ロバーツ首席判事が多数意見を執筆し、IEEPAの条文にある「規制する(regulate)」と「輸入(importation)」という2つの単語だけでは、大統領に無制限の関税権限を認めることはできないと明快に述べました。
ロバーツ首席判事は「IEEPA内の16語の間隔を置いた2つの単語、すなわち『regulate(規制する)』と『importation(輸入)』をもって、大統領はいかなる国からの、いかなる製品に対しても、いかなる税率で、いかなる期間でも関税を課す独立した権限を主張している。これらの単語にそのような重みを負わせることはできない」と判示しました。
判事の構成と反対意見
多数意見にはロバーツ首席判事のほか、ゴーサッチ判事、バレット判事の保守派2名と、ソトマイヨール判事、ケーガン判事、ジャクソン判事のリベラル派3名が加わりました。一方、トーマス判事、アリート判事、カバノー判事の3名が反対意見を述べています。保守派が分裂した点は、この判決が純粋な法解釈の問題として扱われたことを示しています。
判決の射程範囲
重要なのは、今回の判決で無効とされたのはIEEPAに基づく関税のみであるという点です。通商拡大法232条に基づく鉄鋼・アルミニウム・自動車への関税は訴訟の対象外であり、引き続き有効です。つまり、すべての関税が撤廃されたわけではありません。
2月20日の市場反応:なぜ「踊れなかった」のか
判決直後の一時的な急騰
判決が発表された直後、主要株価指数は急騰しました。とりわけ、関税の影響を大きく受けていたeコマース関連銘柄の上昇が目立ちます。アマゾンは2%以上の上昇、Etsy(エッツィ)は約10%の急騰、Shopify(ショッピファイ)も2%以上値を上げました。このほか、eBay、Wayfair、Pinduoduoなども軒並み上昇しています。アップルやアルファベット(グーグル親会社)など大型テック株も堅調に推移し、アルファベットは約3カ月ぶりの上昇幅を記録しました。
「織り込み済み」だった市場
しかし、その後の値動きは不安定でした。投資顧問会社グレンミードの投資戦略責任者ジェイソン・プライド氏は「財政環境はすでに2026年に大きなプラスのインパルスを示唆している。関税判決はこの刺激をわずかに強化する可能性がある」とコメントしましたが、慎重な見方も多く聞かれました。
運用会社ボルヴィン・ウェルスのジーナ・ボルヴィン氏は「市場の反応は抑制的であり、すでに織り込み済みだったことを示唆している」と指摘しています。実際、連邦控訴裁判所が2025年8月にIEEPA関税の違憲判断を示して以降、最高裁でも同様の結論が出ることは広く予想されていました。
米投資情報サービスのフォーチュンは「ウォール街は広く予想されていた最高裁の関税判決に肩をすくめた」と報じており、判決そのもののサプライズ効果は限定的だったことがうかがえます。
代替関税への即座の懸念
市場が上値を追えなかった最大の理由は、トランプ大統領の迅速な対抗策でした。判決からわずか数時間後、トランプ大統領は1974年通商法122条に基づく10%の「グローバル関税」を発動する大統領令に署名したのです。
TD Cowenのクリス・クルーガー氏は判決前から「ホワイトハウスからの大幅な関税エスカレーション・対応が遅かれ早かれ来るだろう」と予測しており、まさにその通りの展開となりました。
1974年通商法122条:新たな関税の法的根拠
122条とは何か
トランプ大統領が新たな根拠として持ち出した1974年通商法122条は、国際収支の「大幅かつ深刻な」赤字に対処するため、大統領に最大15%の輸入付加税を課す権限を付与する条項です。約50年間、一度も使われたことがなかった条項が突然注目を浴びることとなりました。
10%から15%への引き上げ
2月20日金曜日に10%のグローバル関税を署名したトランプ大統領は、翌21日土曜日にはこれを15%に引き上げると発表しました。15%は122条で認められる上限税率であり、発効日は2月24日午前0時1分とされました。
150日間の時限措置
ただし、122条に基づく関税には重要な制約があります。有効期限が150日間に限定されており、延長には議会の承認が必要なのです。つまり、この代替関税は一時しのぎの措置に過ぎず、長期的な通商政策としては持続性に疑問符がつきます。
1,750億ドルの還付問題と財政インパクト
Penn Whartonの試算
ペンシルベニア大学ウォートン校の予算モデル(Penn Wharton Budget Model)は、IEEPA関税による累計徴収額が約1,750億ドルから1,790億ドルに達すると推定しています。米税関・国境警備局(CBP)の報告によれば、2025年12月14日時点ですでに約1,335億ドルが徴収されていました。判決時点では日々約5億ドルのペースで徴収が続いていたとされます。
還付されるのか
最高裁は今回の判決で、還付の是非や方法については判断を示しませんでした。財務長官のスコット・ベッセント氏は「1,750億ドルが米国民に戻ることはないという予感がある」と述べており、実際の還付が実現するかは不透明です。
モルガン・スタンレーは約850億ドル、RSMは1,000億ドルから1,300億ドル、レイモンド・ジェームズのエド・ミルズ氏は約1,750億ドルの還付が発生する可能性を指摘しており、推計には大きな開きがあります。仮に大規模な還付が実現すれば、企業収益の押し上げ要因となる一方、連邦財政にとっては大きな負担となります。
判決後の週明け市場:懸念の現実化
2月23日のNYダウ急落
関税違憲判決の楽観ムードは長くは続きませんでした。週明け2月23日のニューヨーク株式市場では、ダウ工業株30種平均が一時800ドル超の下落を記録しました。
15%のグローバル関税が週末に発表されたことで、投資家は「違憲判決で関税が撤廃されても、代替関税によって実質的な関税率はほとんど変わらない」という現実に直面したのです。
セクター別の明暗
Wedbush証券のダン・アイブス氏は、判決がテック株にとって有利に働くとの見方を示しましたが、代替関税の発動により、その恩恵は大幅に薄れました。Bank of Americaは、eコマース分野では「勝ち組と負け組」が分かれると分析し、中でもEtsy(エッツィ)が最大の恩恵を受ける可能性を指摘しました。
一方、鉄鋼・アルミニウムなど232条関税の対象品目を扱う企業にとっては、今回の判決による直接的な恩恵はありません。
注意点・今後の展望
短期的リスク:不確実性の増大
今回の一連の出来事が浮き彫りにしたのは、関税政策をめぐる不確実性がむしろ増大しているという事実です。CNBCは「トランプ大統領の最高裁判決への反応は、さらなる不確実性を生み出しているようだ」と報じています。
122条に基づく15%関税は150日間という時限措置ですが、301条(1974年通商法)や他の法的根拠への転換も取り沙汰されており、通商政策の先行きは依然として見通しにくい状況です。
中期的視点:議会の役割の再浮上
今回の判決は、関税権限が本来的に議会に属するものであるという憲法上の原則を再確認しました。今後、大統領がIEEPA以外の法的根拠で関税を課す場合にも、司法審査の対象となる可能性が高まっています。
通商政策における議会の役割が強化される方向に向かえば、恣意的な関税発動のリスクは低減しますが、その移行過程では政策の不透明さが続くことが予想されます。
長期的な市場への影響
IEEPA関税が全面的に撤廃されれば、将来の関税収入は約半減するとの試算があります。一方、グレンミードのプライド氏が指摘するように、財政環境はすでに2026年に経済成長を後押しする方向にあり、関税問題の解消はこの傾向を補強する可能性があります。
しかし、代替関税の行方や還付金の処理次第では、プラスの効果が相殺されるリスクもあり、市場は引き続き慎重な姿勢を求められるでしょう。
まとめ
2026年2月20日の米最高裁によるIEEPA関税違憲判決は、大統領の関税権限に歴史的な制約を課す画期的な判決でした。しかし、株式市場の反応は以下の理由から限定的なものにとどまりました。
第一に、連邦控訴裁の先行判決により、違憲判断はすでに「織り込み済み」でした。第二に、トランプ大統領が判決当日に1974年通商法122条に基づく代替関税を即座に発動し、翌日には上限の15%まで引き上げたことで、関税撤廃の恩恵は大幅に減殺されました。第三に、1,750億ドル規模の還付問題や122条関税の150日間という時限性など、新たな不確実要素が浮上しました。
判決後の週明けにはダウが一時800ドル超下落するなど、「関税違憲判決」は市場にとって免罪符とはなりませんでした。投資家にとっては、代替関税の動向、議会での通商法議論の行方、そして還付金の処理方針を注視する必要がある局面が続きそうです。
参考資料
- Supreme Court strikes down tariffs - SCOTUSblog
- Supreme Court strikes down Trump’s tariffs - NPR
- Supreme Court strikes down most of Trump’s tariffs - NBC News
- Supreme Court’s Trump tariff decision: five takeaways - CNBC
- Amazon, Etsy, other e-commerce stocks pop after Supreme Court rules against Trump’s tariffs - CNBC
- Trump’s new tariffs plan: How Section 122 and the 10% shift works - Axios
- Supreme Court tariff ruling makes over $175 billion in US revenue subject to refunds - Penn Wharton Budget Model
- Wall Street shrugs at widely expected Supreme Court tariff ruling - Fortune
- 7 key things to know about Trump’s tariffs after the Supreme Court decision - NPR
- Supreme Court Strikes Down IEEPA Tariffs: What Importers Need to Know Now - Holland & Knight
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