スルメイカ漁獲枠3.6倍に大幅増、資源回復への懸念も
はじめに
水産庁は2026年度のスルメイカの漁獲可能量(TAC)について、前年度当初枠の約3.6倍となる6万8,400トンとする方針を固めました。2月4日に開催された漁業関係者との意見交換会で大筋合意し、20日の水産政策審議会で正式決定される見通しです。
大幅な増枠により、事実上規制のない状態となることから、漁業者からは歓迎の声がある一方、「イカを取り尽くしてしまう」と資源枯渇を懸念する声も出ています。
本記事では、スルメイカの資源状況と漁獲枠問題の背景、そして今後の見通しについて解説します。
2026年度漁獲枠の概要
大幅増枠の内容
水産庁が示した2026年度(4月〜2027年3月)のスルメイカ漁獲枠は6万8,400トンです。これは2025年度の当初枠約1万9,000トンの約3.6倍にあたります。
この増枠により、近年の漁獲実績を上回る枠が設定されることになり、実質的に規制のない状態となります。スルメイカの漁獲量は2023年度が約2万トン、2022年度が約3.7万トンでした。
運用方法の変更
従来のスルメイカ漁獲枠は、漁期途中の資源状況に応じて枠を追加する「期中変更」の仕組みがありました。しかし2026年度からは、この期中変更を適用せず、当初からまとまった数量を割り当てる方針に転換します。
また、2025年度に国の定めた「目安」を大きく上回った青森、岩手、宮城の3県については、来年度は目安ではなく上限を定めた具体的な配分数量を明示することになりました。
暫定的な措置
スルメイカは1年で一生を終える単年性の資源で、資源量の正確な把握が難しいという特性があります。そのため、2026年度の管理は過去の実績を重視した暫定的な措置となる見込みです。
スルメイカ資源の現状
歴史的な低水準
スルメイカの漁獲量は深刻な減少傾向にあります。1968年のピーク時には56万トンの漁獲がありましたが、2021年度は約2.5万トンまで減少しました。1996年度には約40万トンの漁獲がありましたが、2016年度以降大きく減少しています。
資源量も低水準にあり、2023年度の資源量は約20.3万トンと、2010年代までで最低だった1986年度を下回る低水準となっています。この20年で資源量は約9割減少したとの指摘もあります。
減少の原因
資源減少の主な原因は、日本海の産卵場における水温上昇です。水温上昇により産卵可能海域が縮小し、卵や幼生の発生・生き残りが悪化しています。
加えて、日本、韓国、中国、北朝鮮による漁獲圧力も問題視されています。特に中国の漁獲量は未報告(0トン)とされており、資源量の正確な推定や漁獲管理に深刻な影響を与えています。
太平洋側での一時的な増加
2025年度は太平洋側で想定より漁獲量が増加し、漁期途中で漁獲枠を3割拡大する「期中改定」が初めて実施されました。ただし、この増加は漁期開始直後の一時的なもので、三陸沖以外の漁場ではほとんど増加が見られませんでした。
増枠をめぐる賛否
漁業者からの歓迎の声
漁獲枠の増枠に対し、一部の漁業者からは歓迎の声が上がっています。太平洋側で漁獲量が増えた際、「すでに枠の上限に達してしまい、操業できず死活問題だ」という切実な訴えがありました。
特に小型漁船を操業する零細漁業者にとって、厳しい漁獲枠は経営を直撃します。JF全漁連や全国いか釣漁業協議会などは、経営に困難を抱える小規模漁業者への配慮を求めています。
資源枯渇への懸念
一方で、科学者や一部の委員からは資源枯渇への懸念が示されています。資源量が十分でない中での大幅拡大に対し、審議会では異論が出ました。
「科学的な根拠に基づく決定とは言い難い」との指摘もあります。漁獲量が増えたのは漁期開始直後の限定的な期間であり、資源の持続的な回復を示す証拠は乏しいとされています。
本来なら禁漁措置を含む厳しい資源管理を行うべきとの意見もあり、増枠は「ばくち」との表現も使われています。
TAC制度の課題
機能していない漁獲枠
日本のスルメイカ漁獲枠(TAC)は、実際の漁獲量を大幅に上回る水準で設定されてきました。2018年からの過去10年間で、TACに対する実際の漁獲率はわずか46%にとどまっています。
これでは漁獲枠が資源管理として機能せず、実質的に「獲れるだけ獲る」状態が続いています。
大型船と小型船の不公平
大臣許可の大型船が20隻余りしかないのに対し、小型船は3,000隻存在します。漁獲枠の配分において、大型船と小型船の間に不公平があるとの指摘があります。
2025年度は漁獲枠を超過したことで小型船のスルメイカ釣り漁業が停止となり、零細漁業者に大きな影響を与えました。
漁法の変化
太平洋側では近年、イカ釣り以外の漁法による漁獲量が増加しています。2016年以降、釣り以外の漁法による漁獲の割合は増加傾向にあり、2023年度は84%を占めています。
複数の漁法が混在する中で、どのように漁獲枠を配分し管理するかが課題となっています。
国際的な課題
中国・北朝鮮の漁獲
スルメイカは日本、韓国、中国、北朝鮮が漁獲しています。しかし、中国の漁獲量は未報告であり、実態が把握できていません。
各国がそれぞれ実際の漁獲量より大きな漁獲枠を設定し、それとは別に中国や北朝鮮も漁を行っているため、環境要因が改善されるだけでは資源が回復しない構造になっています。
国際的な資源管理の必要性
スルメイカの資源回復には、日本単独の取り組みだけでは限界があります。周辺国との協調による国際的な資源管理の枠組み構築が求められています。
注意点・展望
単年性資源の難しさ
スルメイカは1年で一生を終える単年性資源であり、世代が毎年更新されます。新規加入量がその年の資源量となるため、環境変化による影響を受けやすく、加入量が予測と大きく異なる場合もあります。
このため、長期的な資源予測が困難であり、科学的な根拠に基づく適切な漁獲枠設定が難しいという特性があります。
今後の資源動向
2026年度の大幅な漁獲枠増加が、資源にどのような影響を与えるかは注視が必要です。資源が回復基調にあるのか、一時的な変動なのかを見極めることが重要です。
漁業者の経営と資源の持続可能性のバランスをどう取るかが、今後の課題となります。
消費者への影響
スルメイカの価格は資源減少に伴い上昇傾向にあります。この20年で価格は約3倍になったとの指摘もあります。資源管理が適切に行われなければ、将来的にスルメイカが「庶民の味覚」ではなくなる可能性もあります。
まとめ
水産庁は2026年度のスルメイカ漁獲枠を前年度の3.6倍となる6万8,400トンに設定する方針です。これは近年の漁獲実績を上回る水準であり、事実上規制のない状態となります。
漁業者の経営を支援する観点からは歓迎される措置ですが、資源量が歴史的低水準にある中での大幅増枠には、科学的根拠の乏しさや資源枯渇への懸念が指摘されています。
スルメイカは単年性資源という特性上、資源管理が難しい側面があります。国内の漁獲規制だけでなく、中国や北朝鮮を含めた国際的な資源管理の枠組み構築も課題です。漁業者の生計と資源の持続可能性の両立に向けた議論が求められています。
参考資料:
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