高市政権「働きたい改革」が問う日本の労働構造問題
はじめに
2025年10月、自民党初の女性総裁として首相に就任した高市早苗氏が発した「働いて働いて働いて働いて働きます」という言葉は、2025年の新語・流行語大賞を受賞するとともに、日本の労働政策の方向性について大きな論争を巻き起こしています。政権発足直後には労働時間規制の緩和を厚生労働大臣に指示し、「働きたい改革」を推進する姿勢を鮮明にしました。しかし、日本の労働市場には「長時間働いても賃金が上がらない」という深刻な構造問題が存在します。本記事では、高市政権が打ち出す労働改革の内容と、それが問いかける日本の労働構造の本質的課題について解説します。
高市政権が目指す「働きたい改革」の全貌
「働いて働いて」発言の背景
高市首相は2025年10月21日、自民党総裁選での勝利後の記者会見で「私自身がワーク・ライフバランスという言葉を捨てます。働いて働いて働いて働いて働きます」と宣言しました。この発言は、自身の献身的な姿勢を示すものとして一部から評価された一方で、「KAROSHI(過労死)」という言葉が国際的に知られる日本の労働環境において、長時間労働を美徳とする価値観の復活を連想させるとして批判も集めました。
医師過労死を考える家族の会の中原のり子共同代表は、「11年前、過労死等防止対策推進法を作ってもらった時、全議員が『過労死は二度と出さない』という決意のもと賛成票を投じてくださった。高市さんもその中にいらしたはずなのに、真逆の方向に走り始めている」と懸念を表明しています。
労働時間規制緩和の具体的内容
高市首相は組閣を終えた10月21日、上野賢一郎厚生労働大臣に対し、「心身の健康維持と従業者の選択を前提にした労働時間規制の緩和の検討」を指示しました。自民党は公約に「個人の意欲と能力を最大限生かせる社会を実現するため『働きたい改革』を推進する」と掲げており、従来の「働き方改革」から「働きたい改革」へのシフトを明確にしています。
具体的な制度設計としては、以下の方向性が検討されています。
- 高度プロフェッショナル制度の対象拡大・要件緩和
- 労働者本人の「オプトアウト(適用除外)」制度の導入
- 一定の条件下での労働時間規制の「適用除外」要件見直し
世論の反応:賛否が分かれる
日経新聞の世論調査では、労働時間の規制緩和に対して約6割が賛成、特に40歳以下では7割半が賛成という結果が出ています。若い世代を中心に、働き方の自由度を高めることへの期待が大きいことがうかがえます。
一方で、過労死遺族や労働問題に取り組む弁護士らからは強い反対の声が上がっており、「報酬に見合わない不当な長時間労働の横行が懸念される」との指摘もあります。
日本の労働市場が抱える構造問題
労働生産性の低さという現実
高市政権が「働きたい改革」を推進する背景には、日本経済の活性化と賃金上昇という目標があります。しかし、日本の労働市場には深刻な構造問題が存在します。
日本生産性本部の「労働生産性の国際比較2024」によると、2023年の日本の時間当たり労働生産性は56.8ドル(5,379円)で、OECD加盟38カ国中29位にとどまっています。就業者一人当たり労働生産性は92,663ドル(877万円)で32位と、主要先進7カ国で最も低い水準です。
長時間労働と賃金の乖離
OECD加盟38カ国の平均年収と労働生産性には比較的強い相関(相関係数:0.677)があり、生産性が高い国ほど平均年収も高くなる関係性が確認されています。これは、労働生産性が向上すれば付加価値が就業者1人当たり・就業1時間当たりで増え、その分だけ賃金に振り向ける原資が増えることを意味します。
しかし日本では、長時間働いても生産性が向上せず、結果として賃金も上がらないという構造が固定化しています。単に労働時間を増やすだけでは、この問題は解決しません。
働き方改革の成果と課題
2019年の働き方改革関連法により、労働時間の上限規制が設けられ、有給休暇の取得が義務化されました。その結果、日本の平均週労働時間は2000年の42.7時間から2024年には36.3時間へと15%減少し、月201時間以上働く労働者の割合も2018年の25.8%から2024年には18.6%に低下しています。
労働時間の削減は進んだものの、それに見合う生産性向上が実現できていないことが、賃金停滞の大きな要因となっています。
高度プロフェッショナル制度の拡大がもたらすリスク
現行制度の概要と課題
高度プロフェッショナル制度は、年収1,075万円以上の高度専門職を対象に、労働時間・休憩・休日・深夜の割増賃金に関する規定を適用除外とする制度です。対象業務は金融商品の開発業務、ディーリング業務、アナリスト業務、コンサルタント業務、研究開発業務の5つに限定されています。
この制度は「残業代ゼロ法案」とも呼ばれ、導入時から労働者保護の観点で批判がありました。主な問題点は以下の通りです。
- 1日あたりの労働時間規制が撤廃され、長時間労働が発生しやすい
- 時間外手当、休日手当、深夜手当が支給されない
- 成果による評価設定が難しく、不当な労働を強いられるリスクがある
対象拡大の懸念
高市政権が検討する高度プロフェッショナル制度の対象拡大は、年収要件の引き下げや対象職種の拡大を含む可能性があります。これにより、より多くの労働者が労働時間規制の保護から外れることになり、長時間労働の常態化や賃金低下のリスクが高まります。
特に、評価制度が未整備な企業では、成果が出ないことを理由に無制限の労働を要求される懸念があり、「働けば働くほど時間あたりの賃金が下がる」という逆説的な状況が生まれる可能性があります。
今後の展望と必要な改革
2026年労働基準法改正との関連
2026年には労働基準法の約40年ぶりとなる大改正が予定されており、「働き方改革第2章」として位置づけられています。高市政権の労働時間規制緩和の方針は、この改正の方向性に大きな影響を与えることになります。
改正にあたっては、単に規制を緩和するのではなく、労働生産性の向上を実現する仕組みづくりが不可欠です。人口減少が進む中、デジタル技術や生成AIの活用による業務効率化が喫緊の課題となっています。
真に必要な労働改革とは
高市政権が目指すべき改革は、単に「長時間働ける環境」の整備ではなく、以下のような包括的な取り組みです。
- 労働生産性向上のためのDX推進と人材育成
- 成果に基づく適正な評価・報酬体系の構築
- 多様な働き方を支える制度設計(リモートワーク、フレックスタイム等)
- 中小企業における生産性向上支援
- 長時間労働を防止するための実効的な監視体制
また、「働きたい人が働ける環境」と「過労死を防ぐ労働者保護」は決して矛盾するものではありません。両立を可能にする制度設計こそが、政権に求められる役割です。
まとめ
高市政権の「働きたい改革」は、個人の選択の自由を尊重し、意欲ある労働者が活躍できる環境を整備するという点で一定の意義があります。しかし、日本の労働市場が抱える本質的な問題は、労働時間の長さではなく、労働生産性の低さにあります。
単に労働時間規制を緩和するだけでは、長時間労働でも賃金が上がらないという構造問題は解決しません。むしろ、労働生産性を向上させる技術投資、人材育成、業務改革に注力し、「短い時間で高い成果を生み出す」働き方への転換こそが、真の賃金上昇につながります。
物価上昇を上回る賃上げを実現し、持続可能な経済社会を構築するためには、生産性向上を軸とした包括的な労働改革が不可欠です。高市政権には、過労死防止という社会的合意を守りつつ、日本の労働市場が抱える構造問題に正面から取り組むことが求められています。
参考資料:
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