カナダ中国関税引き下げ合意の背景と影響
はじめに
2026年1月16日、カナダのマーク・カーニー首相は北京で中国の習近平国家主席と会談し、電気自動車(EV)と農産物の関税引き下げで合意しました。この合意は、カナダが2017年以来初めて首脳レベルで中国を訪問したことで実現したものです。カーニー首相は「世界は劇的に変化している。新たな世界に備える必要がある」と述べ、トランプ米政権との緊張関係を背景に、中国との関係強化を選択しました。
この合意は、カナダの貿易政策における歴史的な転換点となる可能性があります。米国との関係が不安定化する中、カナダは対米依存を減らし、貿易相手国を多角化する戦略を本格化させています。本記事では、今回の合意内容とその背景、そしてカナダ経済への影響について詳しく解説します。
カナダ中国関税合意の具体的内容
電気自動車の関税引き下げ
今回の合意で最も注目されるのは、カナダが中国製EVに課していた100%の関税を6.1%に大幅引き下げた点です。この措置は年間4万9,000台を上限とし、5年間で7万台まで段階的に拡大される予定です。
カナダは2024年、ジャスティン・トルドー前首相の下で、安価で大量に補助金を受けた中国製EVが北米自動車市場を脅かすとして100%の関税を導入しました。しかし、わずか2年でこの政策を180度転換したことになります。
この決定に対しては、オンタリオ州のダグ・フォード州首相が「中国はカナダ市場に足がかりを得て、カナダ労働者を犠牲にして最大限に活用するだろう」と強く批判しています。カナダの自動車産業が集中するオンタリオ州にとって、中国製EVの流入は深刻な雇用問題につながる可能性があるためです。
農産物の関税削減
一方、中国側はカナダの主要輸出品である農産物の関税を大幅に削減しました。最も重要なのは、カノーラ種子の関税が約84%から約15%に引き下げられた点です。
さらに、カノーラミール、ロブスター、カニ、エンドウ豆については、2026年3月1日から少なくとも年末まで「反差別関税」が適用されないことになりました。これらの措置により、カナダの輸出企業は約30億ドル(約4,400億円)相当の輸出注文を獲得できる見込みです。
中国は2024年、カナダがEV関税を導入したことへの報復として、カノーラ油とミールに100%、豚肉と水産物に25%、そしてカノーラ種子に75.8%の関税を課していました。特にカノーラはカナダの大草原地帯の主要農産物であり、これらの州は今回の合意を歓迎しています。
トランプ政権との貿易緊張が生んだ戦略転換
米国との関係悪化
カーニー政権が中国との関係強化に舵を切った最大の理由は、トランプ政権との貿易関係の急速な悪化です。2025年、トランプ大統領はカナダからの輸入品に対して25%の関税を課し(エネルギーとカリは10%)、「カナダを51番目の州にする」という発言を繰り返してきました。
2025年10月には、オンタリオ州が関税を批判するロナルド・レーガン元大統領の発言を引用したテレビ広告を流したことにトランプ大統領が激怒し、カナダとの貿易交渉を「終了」すると宣言しました。この出来事は、カナダ政府に米国への過度な依存のリスクを痛感させる契機となりました。
カーニー首相は「カナダと中国の関係は、米国との関係よりも予測可能になっている。なぜなら、中国とは率直で一貫した対話ができるからだ」と述べています。この発言は、カナダの外交政策における歴史的な転換を象徴するものといえるでしょう。
木材・鉄鋼産業への打撃
米国の関税政策は、カナダの主要産業に深刻な打撃を与えています。特に木材産業では、カナダの針葉樹材輸出業者は、従来のアンチダンピング税と相殺関税に加え、2025年10月からトランプ政権が導入した10%の「国家安全保障上の理由」による関税により、合計35%以上の関税に直面しています。
さらに2026年1月1日からは、木製家具に30%、キッチンキャビネットとバニティに50%の関税が課される予定です。これに対し、カーニー政権は国内の鉄鋼・木材産業を支援するため、政府調達で「カナダ製を優先」する政策や、国内輸送の鉄道運賃を50%削減する措置を2026年初めから実施すると発表しています。
カナダの貿易多角化戦略
2035年までに非米貿易を倍増
カーニー首相は、2035年までにカナダの非米国貿易を倍増させる目標を掲げています。カナダ政府は少なくとも今後10年間で非米国貿易を50%以上成長させることを目指しており、今回の中国との合意はその第一歩といえます。
カーニー首相は「世界の自由貿易体制はほぼ完全に死に絶えた」と述べ、カナダは従来の原則よりも経済的実利を重視する「リアルポリティク(現実政治)の時代」に入ったと宣言しました。この発言は、理想主義的な多国間主義から、実利的な二国間取引へと外交政策の軸足を移すことを意味しています。
インド太平洋戦略とASEAN
カナダは中国だけでなく、インド太平洋地域全体との関係強化を進めています。最も重要な目標は、2026年までにASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国との自由貿易協定を締結することです。
ASEANとの協定が実現すれば、カナダ企業は6億5,000万人以上の市場に優先的にアクセスできるようになり、インド太平洋のサプライチェーンに深く組み込まれることになります。カナダは農業食品、重要鉱物、クリーンテク製造、ライフサイエンス、デジタル分野での多角化を重視しています。
インド太平洋地域への輸出はすでに成長を見せており、2018年のCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)発効後の5年間で、CPTPP加盟国へのカナダの商品貿易は38%増加しました。カナダはアジア太平洋地域に250億カナダドル(約2兆8,000億円)の市場機会があると見ています。
欧州との連携強化
カナダは欧州との関係も強化しています。既存のカナダ・EU包括的経済貿易協定(CETA)とCPTPPを結びつけ、バッテリー、小型モジュール炉、水素、農業食品などの分野で欧州との二市場サプライチェーンを構築することを目指しています。
この戦略により、カナダ企業は両協定の基準や物流を活用し、効率的に複数市場にアクセスできるようになります。米国への過度な依存から脱却し、欧州とアジア太平洋を結ぶ架け橋としての地位を確立することが狙いです。
注意点と今後の展望
国内の反発と分断
今回の中国との合意は、カナダ国内で賛否が大きく分かれています。農業州は歓迎する一方、製造業が集中するオンタリオ州は強く反対しており、地域間の対立が深まる可能性があります。
特に自動車産業では、中国製EVの流入により、カナダ国内の雇用が失われる懸念が高まっています。カーニー政権は国内産業の保護と貿易拡大のバランスをどう取るかという難しい課題に直面しています。
米国との関係修復の可能性
興味深いことに、トランプ大統領は当初の批判的な姿勢から一転し、「カーニーが中国と取引できるなら、そうすべきだ」と述べ、カナダの中国との合意を支持する姿勢を示しました。これは、米国が中国との交渉で有利な立場を得るため、カナダを利用したいという思惑があると見られています。
2026年7月には、USMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)の見直しが予定されています。この機会に、カナダは米国との関係改善を図る可能性がありますが、トランプ政権の予測不可能な政策により、交渉の行方は不透明です。
中国依存のリスク
米国依存を減らすために中国との関係を強化する戦略には、新たなリスクも伴います。中国は過去にカナダに対して政治的圧力をかけるために貿易を武器として使用した実績があります。
カナダは真の貿易多角化を実現するため、中国だけでなく、ASEAN、欧州、その他のインド太平洋諸国とバランスよく関係を築く必要があります。一つの巨大市場への過度な依存を避けることが、長期的な経済安全保障につながります。
まとめ
カナダのカーニー首相と中国の習近平国家主席による関税引き下げ合意は、トランプ政権との貿易緊張を背景に、カナダが貿易政策を大きく転換したことを示しています。中国製EVの関税を100%から6.1%に引き下げる一方、中国はカノーラなどの農産物の関税を削減し、約30億ドル相当の輸出機会を生み出しました。
この合意は、カナダの貿易多角化戦略の一環であり、2035年までに非米国貿易を倍増させる目標の第一歩です。ASEANとの自由貿易協定締結や欧州との連携強化も進められており、カナダは米国への過度な依存から脱却しようとしています。
しかし、国内では製造業州と農業州の間で意見が分かれ、中国依存の新たなリスクも浮上しています。カーニー政権は、経済的実利と国内産業保護のバランスを取りながら、真の貿易多角化を実現できるかが問われています。グローバル貿易秩序が大きく変化する中、カナダの選択は中小国の外交戦略のモデルケースとして注目されます。
参考資料:
- Canada, China cut tariffs and announce new partnership as Trump brings old foes together - NBC News
- Canada reaches tariff-quota deal with China on EVs, canola - CBC News
- Canada Inks Trade Deal With China in Break From Trump Agenda - Bloomberg
- Canada’s leader patches things up with China as rift with Trump upends old certainties - CNN
- Doug Ford criticizes Canada’s tariff deal on Chinese EVs - The Globe and Mail
- Carney says Canada will aim to double its non-U.S. exports amid economic tensions - PBS News
- Canada’s Indo-Pacific Strategy at Three - Asia Pacific Foundation of Canada
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