中国で拡散「ネズミ人間」、若者の虚無と政府の取り締まり
はじめに
「ネズミ人間」——中国のSNSでこの言葉が爆発的に拡散しています。暗い部屋で昼夜逆転の生活を送り、スマートフォンとデリバリーだけで日々を過ごす若者たち。彼らは自らを下水道に住むネズミになぞらえ、社会の片隅でひっそりと生きることを選んでいます。
この現象の背景には、中国の若者が直面する厳しい現実があります。過去最多の大学卒業生、18%を超える若年失業率、そして「996」と呼ばれる過酷な労働環境。一生懸命働いても報われないと感じた若者たちの「消極的な抵抗」が、中国政府を本気で警戒させています。
「ネズミ人間」とは何か
言葉の起源
「ネズミ人間(鼠人、老鼠人)」という言葉は、中国の検索エンジンBaidu(百度)のフォーラム「抗圧吧(Anti-pressure Bar)」で生まれました。社会の底辺にいる人々が、自らを下水道に住むネズミになぞらえ、自嘲的に用いた表現です。
2021年頃に流行した「寝そべり族(躺平族)」の進化系として位置づけられますが、より積極的に引きこもり生活を選択し、「何もしない」こと自体を誇りとする点が特徴です。
生活スタイル
ネズミ人間の特徴は、ほぼ一日中自室で過ごし、ネットサーフィンやゲーム、デリバリーによる食事で生活することです。外の世界との接触を極力避け、最小限のエネルギー消費で生きていきます。
昼夜逆転の生活を送る若者たちの動画がSNSに多数投稿され、「エネルギーを使わない消極的な生活の象徴」として共感を呼んでいます。
「寝そべり族」との違い
「躺平族(寝そべり族)」が過酷な競争社会に疲れて受動的に撤退するのに対し、「ネズミ人間」は社会の隙間に賢く入り込み、自衛的かつ戦略的に生き延びる道を模索しています。
単なる「怠け」ではなく、努力しても報われない社会への一種の「サバイバル術」として捉えられている側面があります。
若者を追い詰める社会構造
過去最多の大学卒業生
2025年の中国の大学卒業生は過去最多の1,220万人に達しました。高学歴化が進む一方で、それに見合う雇用機会は増えていません。
深刻な若年失業率
16歳から24歳の若年層の失業率は15%以上、2025年8月には18.9%にまで上昇しました。これは現役学生を統計対象から外した2023年12月以降で最も高い数字です。
専門家は「中国の若者は怠けているのではない。この国が若者を受け止めるための雇用装置そのものを失ってしまったからだ」と指摘しています。
消えた就職先
かつて大卒人材の最大の受け皿だったアリババやテンセントに代表される民間IT企業は、「共同富裕」という政策の下で規制を受けています。学習塾やオンライン教育産業は短期間で解体され、若者の就職先が大幅に減少しました。
「996」という過酷な労働環境
中国では「996」(朝9時から夜9時まで週6日働くサイクル)と呼ばれる過酷な労働環境が蔓延しています。これは過労死ライン(月80時間以上の残業)を遥かに超えるレベルです。
一生懸命働いても、高騰し続ける家賃と生活費、そして将来の経済的な安定が手に入らない——この現実が若者たちを「ネズミ人間」へと向かわせています。
虚無スラングの拡散
α世代を覆う消極的な言葉
「終わった」「死んだ」「那咋了(だから?)」「又能怎(それで?)」といった虚無的なスラングが、中国の若者の間で広がっています。努力や成功を賞賛する従来の価値観に対する、静かな反抗です。
α世代(16歳以下)は世界に20億人存在し、人類史上最も多い世代です。彼らが働き盛りになる20年後、世界経済の潜在成長率は1%台に落ち込むと予測されており、こうした虚無的な風潮が社会全体に影響を与える可能性があります。
SNSでの共感の連鎖
ネズミ人間の生活を映した動画は、同じ境遇にある若者たちの間で大きな共感を呼んでいます。「自分だけじゃない」という安心感が、さらなる投稿と拡散を生み出しています。
中国政府の取り締まり
規制強化の発表
2025年9月22日、中国政府は「ネズミ人間」のような消極的な感情をあおる動画投稿を2か月間、集中的に取り締まると発表しました。内容によっては、アカウントを閉鎖するなどの強硬措置を取るとしています。
政府の狙い
政府の狙いは、労働者の「努力と継続に対する肯定感を弱める」ことを防ぎ、社会の秩序維持を図ることです。無気力な若者の動画が拡散すれば、さらに多くの若者が同様の生活様式に惹かれる可能性があります。
「ネズミ人間」という言葉自体も、ネット上で削除されたり、別の言葉に置き換えられたりする対象となっています。
専門家の見解
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)中国研究所の曽鋭生(スティーブ・ツァン)所長は、「寝そべり族」や「ネズミ人間」がトレンドになっていることについて、激しい競争下で多大なプレッシャーにさらされ続ける「高圧環境」から抜け出せないと感じる若者の反抗行動だと分析しています。
取り締まりの限界
CNNは専門家の見解として、「政府は、こうした新しい用語や表現が出現するたびに取り締まろうとするだろうが、それらは進化し続けるだけだ」と報じています。言葉を規制しても、若者が直面する構造的な問題が解決されない限り、新たな表現が生まれ続けるでしょう。
日本との比較
類似する現象
日本でも「低欲望社会」や「さとり世代」といった言葉で、若者の消費離れや競争回避が指摘されてきました。中国の「ネズミ人間」現象は、日本の状況と共通する面があります。
異なる背景
ただし、中国特有の要因として、急速な経済発展からの減速、不動産バブルの崩壊、政府による民間企業への規制強化などがあります。かつて「努力すれば報われる」と信じられていた社会での幻滅感は、日本以上に深刻かもしれません。
今後の展望
構造的問題の解決が鍵
ネズミ人間現象は、言葉を規制すれば消える問題ではありません。若者の雇用機会の創出、過酷な労働環境の改善、住宅費の抑制など、構造的な問題に取り組まなければ、同様の現象は形を変えて続くでしょう。
共産党への潜在的脅威
ニューズウィークは、ネズミ人間が「いずれ中国共産党を脅かす可能性も」あると報じています。若者の無気力が広がれば、経済成長の鈍化や社会の活力低下につながり、政権の正統性に影響を与える可能性があります。
まとめ
中国で拡散する「ネズミ人間」現象は、若者が直面する厳しい社会経済状況を映し出しています。18%を超える若年失業率、過酷な労働環境、消えた就職先——これらの問題が若者を「消極的な抵抗」へと向かわせています。
政府はSNS上の動画やスラングを取り締まっていますが、専門家は根本的な解決にはならないと指摘します。α世代が担う未来の社会において、若者の活力をどう引き出すかは、中国だけでなく世界共通の課題となっています。
参考資料:
関連記事
中国α世代に広がる虚無スラング、その背景と社会への影響
「だから?」「それで?」——中国の若者に広がる虚無主義的スラング。躺平・擺爛から続く低欲望社会の深層と、世界経済への影響を解説します。
中国の土地売却収入がピーク比半減、地方財政に深刻な打撃
中国の地方政府の土地売却収入が2025年も前年比14.7%減少し4年連続の減少を記録。ピークの2021年から52%減となり、不動産不況が地方財政を圧迫し続けています。
中国の対日レアアース規制、本気度と日本経済への影響を分析
中国が発動した軍民両用品の対日輸出規制について、レアアースへの影響と日本のハイテク産業が受けるリスク、そして今後の展望を解説します。
尖閣諸島で激化する中国の活動と日本の抑止戦略
中国海警局の尖閣諸島周辺での活動が年々激化する中、偶発的衝突を防ぐための日本の対話と抑止の「両輪」戦略について、日米同盟の役割や外交的対応を含めて詳しく解説します。
AIだけのSNS「Moltbook」登録150万体、不気味な会話の正体
AIエージェントだけが投稿できるSNS「Moltbook」が話題です。人間への反抗を呼びかける投稿の真相と、セキュリティ上の懸念について解説します。
最新ニュース
ビットコイン7万ドル台急落、テック株売りが暗号資産に波及
ビットコインが約1年3カ月ぶりの安値となる7万2000ドル台に急落しました。米ハイテク株の売りが暗号資産市場に波及した背景と、MicroStrategyの含み損問題について解説します。
日銀の量的引き締め出遅れと円安の関係を解説
日銀のマネタリーベース縮小が米欧に比べ緩やかな理由と、それが円安に与える影響について解説します。FRB新議長候補ウォーシュ氏の金融政策姿勢にも注目が集まっています。
書店600店の在庫を一元化|返品率30ポイント削減の新システム
紀伊国屋書店、TSUTAYA、日販が出資するブックセラーズ&カンパニーが、56社603店の在庫を横断管理するデータベースを始動。返品率6割減を実現した事例と、出版業界の構造改革を解説します。
中国海警局の尖閣周辺活動が過去最多に、日中の緊張続く
2025年、中国海警局の船舶が尖閣諸島周辺の接続水域に357日出没し過去最多を更新。日本の対応策と偶発的衝突防止の課題を解説します。
中国の土地売却収入がピーク比半減、地方財政に深刻な打撃
中国の地方政府の土地売却収入が2025年も前年比14.7%減少し4年連続の減少を記録。ピークの2021年から52%減となり、不動産不況が地方財政を圧迫し続けています。