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by nicoxz

日常に潜む転倒リスク、予防の心得と対策を考える

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はじめに

「急いでいたわけではないのに、妙にあわててしまって転んでしまった」——そんな経験をお持ちの方もいるのではないでしょうか。東京大学史料編纂所教授の本郷恵子氏が日本経済新聞のコラム「あすへの話題」で、歯科医院に向かう途中、近所の踏切を渡ろうとして転倒してしまったエピソードを綴っています。

半年に一度の定期検診という「予防」のために出かけたにもかかわらず、思わぬ形で怪我をしてしまう。皮肉な出来事ですが、このような転倒事故は決して珍しくありません。本記事では、日常生活に潜む転倒リスクと、その予防策について考えていきます。

転倒事故の深刻な実態

交通事故の5倍以上の死亡者数

転倒は、多くの人が軽く考えがちな事故ですが、実は深刻な問題です。厚生労働省の「令和4年人口動態統計」によれば、高齢者の転倒・転落・墜落による死亡者数は10,809人で、交通事故による死亡者数の5倍以上に上ります。

「令和4年国民生活基礎調査」では、高齢者の介護が必要となった主な原因として、認知症、脳血管疾患(脳卒中)に続き、「骨折・転倒」が13.9%を占めています。たった一度の転倒が、その後の生活を大きく変えてしまうことがあるのです。

増加する救急搬送

東京消防庁の調査によると、日常生活事故で救急搬送された高齢者の数は、2015年からの5年間で約1万6千人も増加し、2019年には約8万4千人に達しました。このうち82.1%が転倒を原因としたものです。

歩行可能な人が転倒して股関節を骨折した場合、その約半数は治療とリハビリテーションを受けても以前と同じように歩けるようにはならないというデータもあります。転倒は、高齢者の自立した生活を脅かす大きなリスク要因なのです。

転倒が起きる原因

身体的要因(内的要因)

高齢者が転倒する主な原因は、加齢に伴う下肢の筋力低下です。20〜30歳代の筋力を100とすると、60〜70歳代では5〜6割程度まで低下します。先行研究によれば、筋力低下がある人は、ない人に比べ4.4倍も転倒リスクが上昇するとされています。

骨がもろくなる骨粗鬆症や筋力の低下により、高齢者は前かがみになることが多くなります。この前傾姿勢はバランスを崩しやすく、転びやすくなる原因となります。

また、脳卒中の前兆、認知症、パーキンソン病、起立性低血圧、不整脈、関節リウマチなども転倒を起こしやすい病気として知られています。服用している薬の副作用による眠気・めまい・ふらつきも、転倒の原因になることがあります。

環境的要因(外的要因)

意外かもしれませんが、高齢者の転倒事故のおよそ6割は自宅で起きています。東京消防庁のデータによれば、具体的な場所は居間・寝室、玄関、階段・廊下、浴室が多くなっています。

庭や玄関、廊下や階段など、意外と段差が残っていたり、夜間の照明が不十分であったりすることが少なくありません。湿気の多い浴室や、夜間にトイレへ向かう際のベッド周りなどは、転倒のリスクが特に高まる傾向があります。

心理的要因

本郷教授のエピソードにあるように、「急いでいたわけではないのに、妙にあわててしまった」という心理状態も転倒の一因となりえます。何か気になることがあったり、時間を気にしていたりすると、普段なら問題なく通れる場所でも注意が散漫になりがちです。

また、転倒を経験すると「また転ぶかもしれない」という恐怖心が生まれ、かえって動きがぎこちなくなってしまうこともあります。この心理的な悪循環が、さらなる転倒リスクを高めてしまうのです。

転倒による骨折のリスク

高齢者に多い4つの骨折

高齢者でよくみられる骨折は4つあります。大腿骨近位部の骨折(特に大腿骨頚部骨折)、脊椎圧迫骨折、上腕骨近位端骨折、前腕骨遠位端骨折です。

特に大腿骨頚部骨折は、歩行能力に直接影響するため深刻です。治療後も以前のように歩けなくなるケースが少なくなく、介護が必要になる大きなきっかけとなっています。

廃用性症候群の危険

転倒により歩くことへの恐怖心が湧き上がり、歩かなくなると廃用性症候群をきたしやすくなります。廃用性症候群とは、身体を動かさないことで筋力や心肺機能が低下し、さまざまな身体機能が衰えていく状態です。

これがさらに身体機能を低下させ、転倒を助長するという悪循環に陥ってしまいます。転倒予防は、単に怪我を防ぐだけでなく、健康寿命を延ばすためにも重要なのです。

転倒予防の具体策

環境の整備

転倒予防には、転ばないような対策を早めにしておくことが大切です。杖や手すりは「どうしても支えが必要な状態」になってから導入するのではなく、予防的に早めに導入することが推奨されています。

日頃から整理整頓を心がけ、床面には物を置かないようにしましょう。電気コードは壁に沿わせたり、絨毯の下を通したりして、つまずかないようにすることが大切です。玄関の上がり框の段差がある場合には、スロープ状にしたり、手すりを設置したりすることでリスクは大きく減少します。

照明も重要です。夜間にトイレに行く際など、廊下や階段が暗いと転倒しやすくなります。フットライトの設置なども検討してみてください。

栄養と運動

骨や筋肉を強くする栄養素は、ビタミンD、カルシウム、ビタミンK、たんぱく質などです。高齢者は不足しがちな卵や乳製品、肉などを積極的に摂取するとよいでしょう。

日光を浴びると、カルシウムの吸収を高めて骨を丈夫にするビタミンDが体内で作られます。天気のよい日のウォーキングは、運動と日光浴を兼ねた効果的な転倒予防策です。

転倒を予防するには普段の身体作りが重要です。日常的に下半身の筋肉を中心とした筋肉トレーニングや介護予防体操を行うことで、転倒予防に効果があることがわかっています。

医療との連携

服用している処方薬と非処方薬すべてについて、転倒リスクを増加させる可能性のある薬剤がないか、医師や医療従事者に検討してもらうことが重要です。睡眠薬や抗不安薬など、ふらつきの原因となる薬もあります。

また、定期的に骨密度検査などを受けて自身の骨の状態を知り、できるだけ早く対策をとることが推奨されています。骨粗鬆症の治療を早期に始めることで、骨折リスクを下げることができます。

注意点・心がけ

「あわてない」を意識する

本郷教授のエピソードが示すように、急いでいなくても「妙にあわててしまう」ことがあります。外出時には時間に余裕を持ち、焦らず落ち着いて行動することを心がけましょう。

特に段差がある場所や足元が不安定な場所では、一呼吸置いて周囲を確認してから進むことが大切です。「急がば回れ」の精神で、安全を優先しましょう。

転んでしまったら

万が一転んでしまった場合は、まず落ち着いて自分の状態を確認しましょう。強い痛みがある場合や、立ち上がれない場合は無理をせず、周囲に助けを求めることが大切です。

転倒後に「大したことない」と思っても、後から症状が出てくることもあります。念のため医療機関を受診し、骨折などがないか確認してもらうことをお勧めします。

まとめ

日常生活における転倒は、誰にでも起こりうる身近な事故です。しかし、高齢者にとっては骨折や寝たきりにつながる深刻なリスクを伴います。

予防の基本は、住環境の整備、適切な栄養摂取と運動、そして医療との連携です。そして何より、日常生活の中で「あわてない」ことを意識することが大切です。

本郷教授が「半年に一度の検診で、痛くなってから駆け込むのではなく、きちんと予防しようという見上げた心がけ」と自身を評したように、予防の意識を持つことは素晴らしいことです。その予防の精神を、転倒防止にも活かしていきましょう。

参考資料:

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