日本の水素ステーションはなぜ閑古鳥なのか
はじめに
「1日に来るのは10台未満」――都内の水素ステーションで聞かれるこの言葉が、日本の水素インフラの現実を物語っています。水素社会の実現を掲げ、国や自治体は水素ステーションの整備に巨額の税金を投じてきました。しかし、利用率は低迷し、閉鎖に追い込まれるステーションも出始めています。
一方で、中国は水素燃料電池車(FCV)の保有台数と水素ステーション数の両面で日本を追い抜き、100万台普及という壮大な目標を掲げています。かつて水素技術で世界をリードしていた日本は、なぜここまで苦戦しているのでしょうか。
この記事では、日本の水素ステーションが直面する課題を多角的に分析し、中国との比較から見える教訓、そして今後の展望について解説します。
閑古鳥が鳴く日本の水素ステーション
巨額の税金が投じられた水素インフラ
日本の水素ステーションは、手厚い公的支援のもとで整備が進められてきました。都内に水素ステーションを建設する場合、整備費として最大10億円、運営費として最大年間4,000万円程度の補助を受けることができます。東京都は2021〜2024年度にステーション整備の補助金として187億円の予算を確保しました。
しかし、この予算のうち実際に消化されたのはわずか10億円にとどまっています。補助金があっても新規参入や増設が進まない背景には、水素ステーション事業の根本的な採算性の問題があります。
2023年3月時点で、全国の水素ステーション数は約179カ所に達しました。しかし、政府が掲げた2025年の設置目標320カ所、2027年の500カ所には遠く及ばない状況です。
建設・運営コストの壁
水素ステーションの建設費は1カ所あたり平均約3億3,000万円で、補助金対象外の設備費を加えると約4億円に達します。ガソリンスタンドの建設費が数千万円〜1億円程度であることと比較すると、その差は歴然です。
高コストの最大の要因は、水素の物理的特性にあります。FCVへの充填には700気圧という超高圧が必要で、これに耐えうる特殊な圧縮機、蓄圧器、ディスペンサーなどの設備が求められます。高圧ガス保安法をはじめとする複数の法規制への対応も、コスト増の一因です。
運営費も高止まりしています。経済産業省の担当者も「ステーションは整備費だけではなく、運営費も高止まりしている」と指摘しています。水素の仕入れ価格自体が高く、岩谷産業は水素を1キログラムあたり1,650円(税込み)に36%値上げしました。現行の水素コストは既存燃料と比較して最大約12倍という試算もあります。
突然の閉鎖に戸惑うユーザー
利用率の低迷と採算悪化の結果、閉鎖に追い込まれる水素ステーションも出始めています。突然の閉鎖に直面したFCVオーナーは、より遠いステーションまで足を伸ばす必要が生じ、利便性がさらに低下するという悪循環に陥っています。
水素ステーションには屋根を設けることができず、500平方メートルの敷地が必要など、都市部での設置には立地面での制約もあります。都心部でアクセスしやすい場所に設置できないことが、利用率をさらに押し下げる要因となっています。
中国に引き離される日本の水素戦略
数字で見る日中の格差
かつて水素技術で世界をリードしていた日本ですが、中国にその座を奪われつつあります。2022年末時点の比較データが、その格差を如実に示しています。
中国のFCV保有台数は1万2,682台に対し、日本は約8,000台弱。水素ステーション数は中国が358カ所に対し、日本は181カ所です。台数・インフラ数ともに中国が大きくリードしています。
販売動向でも差が開いています。2023年上半期、中国のFCV販売台数は2,410台で前年同期比73.5%増を記録した一方、日本の同年の販売台数は848台で前年比65%減という対照的な結果となりました。
中国の水素戦略の規模感
中国の水素政策は、日本とはスケールが根本的に異なります。中国自動車工程学会が策定した水素燃料電池発展戦略では、2030年までに100万台のFCV普及を目標に掲げています。世界最大の水素生産国という強みを活かし、国を挙げてのインフラ整備を進めています。
ただし、中国の水素戦略にも課題はあります。2025年1〜3月のFCV販売台数は前年同期比20.3%減の1,000台にとどまり、市場拡大のペースは鈍化しています。EVの急速な普及が進む中で、FCVの存在意義が問われている面もあります。
トヨタMIRAIの苦戦
FCV市場の低迷を象徴するのが、トヨタ自動車の「MIRAI(ミライ)」の販売状況です。2024年1月〜11月の累計販売台数はわずか1,702台で、前年比54%減と大幅に落ち込みました。2024年11月の月間販売台数は世界全体でわずか134台にとどまっています。
MIRAIは技術的には高い評価を受けていますが、車両価格が約500万円からと高額であること、水素ステーションの数が限られていること、充填インフラの利便性がEVの充電ネットワークに比べて劣ることが、販売の足かせとなっています。
トヨタは国内で累計1万台以上のFCVを販売していますが、同社のグローバル販売台数と比較すればごくわずかな規模です。
FCVと水素ステーションの「鶏と卵」問題
インフラ不足が需要を抑え、需要不足がインフラ投資を抑える
水素社会の実現を阻む最大の構造的問題は、いわゆる「鶏と卵」のジレンマです。水素ステーションが少なければFCVを買う人は増えず、FCVが増えなければステーションの採算は取れません。
この悪循環を断ち切るために、日本では2018年に自動車メーカーやインフラ事業者など11社が共同で「日本水素ステーションネットワーク合同会社(JHyM)」を設立しました。現在は36社が参画し、インフラ整備の加速を目指しています。
しかし、EVの充電インフラが急速に整備される中で、FCVのインフラ投資の優先度は相対的に低下しているのが現実です。
規制緩和の遅れ
水素ステーション整備の障壁として、日本特有の規制の問題も見逃せません。高圧ガス保安法、電気事業法、ガス事業法など、複数の法律にまたがる複雑な規制への対応が求められ、建設の時間とコストを押し上げています。
経産省は規制緩和を進めていますが、安全性の確保とのバランスもあり、抜本的な改革には至っていません。
注意点・展望
水素の本当の活路は「モビリティ以外」にある可能性
乗用車向けの水素ステーションは苦戦していますが、水素そのものの需要は別の分野で拡大する可能性があります。大型トラックや船舶、鉄道など、バッテリーでは対応が難しい重量車両や長距離輸送の領域では、水素燃料電池の優位性が指摘されています。
2040年の日本のFCV市場予測では、乗用車よりも商用車・大型車両が主役になるとの分析もあります。水素ステーションも、一般消費者向けよりも物流拠点や港湾施設への併設という形で発展する可能性があります。
「税金の使い方」への厳しい目
年間4,000万円の運営補助、建設費の多くを公費で賄う現在のモデルは、利用実績が伴わなければ税金の無駄遣いとの批判を免れません。限られた脱炭素予算をEV充電インフラに振り向けるべきだという議論も活発化しています。
今後は補助金依存から脱却し、自立的な事業モデルを構築できるかが、日本の水素インフラの存続を左右するでしょう。
まとめ
日本の水素ステーションは、巨額の公的支援にもかかわらず、利用率の低迷と採算性の悪化に直面しています。建設費・運営費の高さ、FCVの販売低迷、規制の複雑さが重なり、閉鎖に追い込まれるステーションも出始めました。
中国にFCV台数とインフラ数で追い抜かれた現実は、日本の水素戦略に再考を迫っています。乗用車向けの水素インフラだけにこだわるのではなく、大型車両や産業用途など水素が真に優位性を発揮できる分野に重点を移すことが、限りある資源を活かす道かもしれません。水素社会の実現には、技術だけでなく戦略の転換が求められています。
参考資料:
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