日本郵船が30年ぶり国内船舶解体へ、規制強化で転機

by nicoxz

はじめに

日本の海運最大手である日本郵船が、約30年ぶりに国内での船舶解体事業に参入する検討を始めました。この動きは、2025年6月26日に発効した「シップリサイクル条約」(香港条約)による環境規制強化が背景にあります。これまで日本の海運会社は、コスト面の理由から船舶解体を主にインドやバングラデシュなどの海外施設に依存してきました。しかし、新条約により適合施設が世界的に不足する懸念が浮上し、国内での解体体制構築が急務となっています。本記事では、シップリサイクル条約の概要、日本郵船の取り組み、そして今後の船舶リサイクル業界の展望について詳しく解説します。

シップリサイクル条約とは何か

条約の背景と目的

シップリサイクル条約(正式名称:2009年の船舶の安全かつ環境上適正な再資源化のための香港国際条約)は、国際海事機関(IMO)が2009年に採択し、2025年6月26日に発効した国際条約です。条約制定の背景には、1990年代から国際問題化していた船舶解体現場での環境汚染と労働災害があります。

インドのアラン、バングラデシュのチッタゴン、パキスタンのガダニといった主要解体拠点では、アスベストや重金属などの有害物質による環境汚染、労働者の安全衛生問題が深刻化していました。こうした課題に対応するため、日本は造船・海運の主要国として条約制定を主導し、2023年にはバングラデシュとリベリアの締結により発効要件が整いました。

条約の主な要件

シップリサイクル条約は、国際総トン数500トン以上の全船舶に対して以下の義務を課しています。

船舶側の義務:

  • インベントリ(有害物質一覧表)の作成と維持管理
  • 船舶に存在する有害物質の概算量と場所の記載
  • 認証を受けた解体施設での解体実施

解体施設側の義務:

  • 所管官庁からの許可取得
  • 船舶リサイクル施設計画(SRFP)の策定
  • 安全で環境に配慮した解体方法の実施
  • アスベスト、PCB、オゾン層破壊物質などの適切な処理

条約発効により、これまで基準が曖昧だった船舶解体に明確な国際基準が設定され、環境保護と労働者の安全が担保されるようになりました。

世界的な認証施設の不足

条約発効により深刻化しているのが、認証施設の不足です。パキスタンには認証ヤードがゼロ、バングラデシュでも15施設のみという状況です。従来の主要解体国であるインド、バングラデシュ、パキスタン、トルコの認証済み施設の総処理能力は年間約1,350万トンと推定されています。

一方、今後10年間で約16,000隻、総重量トン数7億トンの船舶が解体時期を迎えると予測されており、年間平均1,400万〜1,600万トンの処理能力が必要です。これは2012年のピーク時を20〜25%上回る水準であり、現在の認証施設だけでは処理しきれない可能性が高まっています。

日本郵船の国内解体事業参入

オオノ開發とのパートナーシップ

日本郵船は2024年9月、産業廃棄物処理大手のオオノ開發(愛媛県松山市)と船舶リサイクル事業の検討開始を発表しました。解体作業は、オオノ開發が愛知県知多市に所有する大型外航船対応のドライドックで実施される計画です。

このドライドックは全長810メートル、幅92メートルで、VLCC(超大型原油タンカー)2隻を同時に収容できる規模を持ちます。2021年にIHI(旧石川島播磨重工業)から取得した施設で、日本国内で大型外航船に対応できる唯一のドライドックとされています。

事業規模と目標

日本郵船とオオノ開發の船舶リサイクル事業は、以下の規模で計画されています。

  • 開始時期: 2028年を目標
  • 処理能力: 年間約20隻(パナマックスクラス、7〜8万DWT)
  • 鉄スクラップ供給量: 年間約30万トン
  • 解体方法: 陸上での最先端解体・廃棄物処理技術を活用

この規模は世界最大級の船舶リサイクル施設となる見込みで、環境に配慮した循環型経済の実現と脱炭素化の推進を目指しています。

30年ぶりの国内回帰の意義

日本での大型船舶解体事業は約30年ぶりの復活となります。21世紀初頭の時点で、日本には瀬戸内海を中心に6社の船舶解体業者が存在していましたが、労働コストの上昇により発展途上国への移転が進みました。

今回の国内回帰は、単なるコスト問題を超えた戦略的判断です。日本郵船の曽我貴也社長は「これからものすごい量で古くなった船が出てくるのに、解体施設が足りない」と危機感を表明しており、安定的な解体体制の確保が海運事業の持続可能性に直結すると認識されています。

日本のシップリサイクル法の施行

国内法の整備

シップリサイクル条約の発効に合わせて、日本では2025年6月26日に「シップ・リサイクル法」が施行されました。この法律は、船舶の再資源化解体に従事する者の安全と健康の確保、および生活環境の保全を目的としています。

法施行に伴い、国土交通省は以下の3社をシップリサイクル事業者として許可しました。

  1. オオノ開發株式会社
  2. 久屋産業株式会社
  3. 益田商会株式会社

これらの企業は、条約および国内法の基準を満たした設備と処理体制を整備し、環境に配慮した船舶解体を実施する体制を構築しています。

環境と安全への配慮

陸上ドライドックでの解体方式は、従来の海岸への座礁(ビーチング)方式と比較して、以下の利点があります。

  • 海洋への有害物質流出リスクの最小化
  • 労働者の安全な作業環境の確保
  • 廃棄物の適切な分別・処理の実施
  • 鉄スクラップの高品質な回収と再利用

日本国内での解体は、厳格な環境基準と労働安全衛生法に基づいて実施されるため、国際的な模範事例となる可能性があります。

船舶リサイクル業界の今後の展望

グローバル市場の動向

船舶リサイクル市場は、今後10年間で大きな転換期を迎えます。BIMCO(ボルチック国際海運協議会)の予測によれば、2012年のピーク時を上回る解体需要が見込まれる一方、認証施設の整備が追いついていない状況です。

また、海運市況の好調により、ここ数年は船舶の解体数が減少傾向にありました。2023年の解体数は528隻で前年比20%減、2024年も例年の半分程度と低調でした。しかし、老朽船は確実に増加しており、今後は解体需要の急増が予想されています。

日本の役割と課題

日本がシップリサイクル分野で果たすべき役割は、以下の3点に集約されます。

技術・ノウハウの提供: 環境に配慮した解体技術や安全管理手法を国際的に共有し、アジア諸国の施設改善を支援することが重要です。実際、日本政府はバングラデシュでの廃棄物最終処分場整備などの支援を検討しています。

国内処理体制の強化: 日本郵船とオオノ開發の取り組みは、国内での処理能力向上の第一歩です。今後、他の海運会社や解体業者の参入により、さらなる能力拡大が期待されます。

循環経済への貢献: 船舶から回収される鉄スクラップは、鉄鋼業の貴重な資源となります。年間30万トンの鉄スクラップ供給は、資源循環と脱炭素化の両面で意義があります。

注意点と今後の課題

経済性の確保

国内での船舶解体は、人件費や環境対策費用が海外より高額になる傾向があります。事業の持続可能性を確保するためには、以下の要素が重要です。

  • 解体スクラップの高品質化による付加価値向上
  • 処理効率の向上によるコスト削減
  • 政府による支援策(税制優遇、補助金など)の活用

処理能力の拡大

年間20隻の処理能力は、日本船舶全体の需要から見れば一部にすぎません。国内で完結できる体制を構築するには、複数の施設整備や処理能力の段階的拡大が必要です。

国際協調の重要性

船舶リサイクルはグローバルな課題であり、一国だけでは解決できません。アジア諸国の施設認証支援、技術移転、ベストプラクティスの共有など、国際協力が不可欠です。

まとめ

シップリサイクル条約の発効は、船舶解体業界に大きな転換をもたらしています。環境規制の強化により認証施設が不足する中、日本郵船が約30年ぶりに国内解体事業に参入する決定は、日本の海運業界にとって重要な戦略的転換点です。

オオノ開發との協業により2028年から開始予定の事業は、世界最大級の規模で環境に配慮した船舶リサイクルを実現します。この取り組みは、単に解体施設の不足を補うだけでなく、鉄資源の循環、脱炭素化の推進、国際的な模範事例の創出という多面的な価値を持っています。

今後は、処理能力のさらなる拡大、経済性の確保、そして国際協力を通じたグローバルな船舶リサイクル体制の構築が課題となります。日本の技術力と環境意識を活かし、持続可能な海運業界の実現に向けた取り組みが期待されています。

参考資料:

関連記事

最新ニュース