日東紡のガラスクロス争奪戦、AI需要で供給危機
はじめに
AppleのiPhoneやMacの内部に使われている部品に、特殊なガラス素材が不可欠であることはあまり知られていません。見た目は頑丈なプラスチックのようですが、実は高性能な電子基板を支える特殊ガラスクロスという素材が使われています。
この特殊ガラスクロス市場で世界シェア80%以上を誇るのが、日本の日東紡績です。AI需要の爆発的な増加により、NVIDIA、Google、Amazon、Apple、Qualcommといった世界的なテクノロジー企業がこの素材を奪い合う事態となっています。本記事では、なぜ日東紡のガラスクロスがこれほど重要なのか、そして供給不足の影響と今後の展望について解説します。
ガラスクロスとは何か
電子基板を支える縁の下の力持ち
ガラスクロスとは、ガラスを糸状にして布のように織った素材です。これに樹脂を含浸させ、半硬化状態にしたものが「プリプレグ」と呼ばれ、スマートフォンやパソコン、サーバーなどの電子機器に搭載される基板の多層構造を作る際に欠かせない材料となっています。
電子基板は複数の層から構成されており、ガラスクロスは各層の接着・絶縁の役割を担っています。特に高性能な半導体チップを搭載するパッケージ基板では、熱による膨張や電気信号の減衰を抑える必要があり、ここに日東紡の特殊ガラスクロスが活躍しています。
日東紡が誇る2つの特殊ガラス
日東紡グループは独自技術により、2種類の特殊組成ガラスを開発しています。
1つ目は「Tガラス」です。高弾性・低熱膨張という特性を持ち、半導体チップを搭載する高密度パッケージ基板に不可欠な素材です。熱で膨張しにくいため、微細な回路を持つ先端半導体の安定動作を支えています。
2つ目は「NEガラス」です。低誘電・低誘電正接という特性を持ち、5Gや高速通信、高速処理パッケージを支えています。電気信号が減衰しにくいため、大量のデータを高速でやり取りするAIサーバーや通信機器に最適です。
これらの特殊ガラスクロス分野で、日東紡は世界シェア80%以上を握っており、まさに独占的な地位にあります。
AI需要爆発による供給危機
なぜAIがガラスクロス需要を急増させるのか
生成AIブームに伴い、AI半導体の需要は爆発的に増加しています。特にAI向けGPUは従来の半導体と比べて基板サイズが大型化し、要求される性能も格段に厳しくなっています。
AI半導体では、チップを機能ごとに分割する「チップレット」構造の採用が進んでおり、さらに性能向上のためにダイ(半導体チップの本体部分)の大型化とダイ数の増加が見込まれています。これに伴い、大型で高性能なパッケージ基板が必要となり、日東紡の特殊ガラスクロスへの依存度は高まる一方です。
現在、日東紡の供給能力は世界的に不足気味であり、AI半導体サプライチェーンの「ボトルネック」になっているとも言われています。
テクノロジー大手による争奪戦
供給不足を受け、世界のテクノロジー大手が日東紡のガラスクロスを奪い合う事態となっています。
NVIDIAはAI向けGPU市場で約80%のシェアを誇り、大量のガラスクロスを必要としています。GoogleやAmazon、Microsoftといったクラウド大手もAIデータセンターの拡張を進めており、自社開発のAI半導体向けに同素材の確保を急いでいます。
Appleは2025年秋、スタッフを日本に派遣し、日東紡のガラスクロスを使用する基板材料メーカー三菱ガス化学に常駐させる異例の措置を取りました。さらに日本政府関係者にも接触し、供給確保の支援を求めたと報じられています。QualcommやAMDも同様に、限られた供給を確保しようと競争しています。
供給不足の影響
BT基板の価格高騰
供給逼迫の影響は価格にも表れています。台湾のIC基板大手は2025年7月、BT(ビスマレイミドトリアジン)基板の供給価格を最大20%値上げしました。その主な理由として、日東紡が供給するTガラスの需給逼迫が挙げられています。
BT基板はスマートフォンや高性能半導体に広く使用されており、この価格上昇はサプライチェーン全体に波及する可能性があります。日東紡の新規増産は2026年下半期になると予想されることから、BT基板の供給逼迫は当面続くとの見方が示されています。
Appleの生産計画への影響
Appleにとって、ガラスクロスの供給不足は深刻な問題です。同社は代替サプライヤーの認定作業も進めていますが、進捗は遅れています。中国の小規模ガラス繊維メーカーGrace Fabric Technologyなどと交渉を開始しているものの、業界関係者によると、必要なレベルで一貫した品質を実現することは依然として困難だといいます。
供給不足が長期化すれば、iPhoneやMacの生産計画に影響が出る可能性も指摘されており、2026年以降のハイテク産業全体に暗い影を落としています。
日東紡と競合の対応
日東紡の増産計画
日東紡はこの需要急増に対応するため、大規模な設備投資を発表しています。福島事業センターに150億円を投じて新工場棟を建設し、Tガラスクロスの生産能力を最大3倍に増強する計画です。
新工場棟は2026年12月の竣工を予定し、2027年1〜3月の稼働開始を目指しています。経済安全保障を推進する制度「供給確保計画」の認定を受け、最大24億円の助成を受ける予定です。
ただし、新工場が本格稼働するまでには時間がかかるため、供給逼迫は少なくとも2027年後半まで続くと予測されています。
競合メーカーの動き
低熱膨張係数(Low CTE)ガラスクロスの生産技術と能力を有する企業は、世界で日東紡、台湾ガラス、中国泰山玻璃繊維の3社のみとされています。
米中貿易摩擦の影響で中国系メーカーが排除される傾向にある中、台湾ガラスがシェア拡大を目指しています。同社はシェア4割の日東紡を追走しており、2025年末までに市場シェアを30%以上に拡大できるとの認識を示しています。
旭化成も高機能ガラスクロス市場で存在感を示しており、AIサーバーや高速処理を支えるスイッチ・ルーター向けで高いシェアを誇っています。ただし、日東紡の特殊ガラスと直接競合する製品は限られており、市場構造の大きな変化には至っていません。
注意点・今後の展望
サプライチェーンリスクの顕在化
今回のガラスクロス供給不足は、ハイテク産業のサプライチェーンがいかに特定の企業や地域に依存しているかを浮き彫りにしています。半導体そのものだけでなく、その製造に必要な素材レベルでもボトルネックが発生しうることが示されました。
特に日本企業が強みを持つ電子材料分野では、今後も同様の供給逼迫が起こる可能性があります。テクノロジー企業にとっては、主要部品だけでなく素材レベルまでサプライチェーンを把握し、リスク管理を行うことが重要になっています。
技術革新の可能性
一方で、供給不足を契機とした技術革新の動きもあります。半導体業界では、従来の有機基板に代わる「ガラスコア基板」の開発が進んでいます。ガラス基板は熱膨張率がシリコンに近く、大型パッケージ上に高歩留まりでチップレットを実装できるという利点があります。
日本の半導体メーカー、ラピダスは世界初という600ミリの次世代半導体基板を公開しました。ガラス素材を活用した新たな基板は、AI向け半導体を従来の10倍以上載せて切り出すことができ、生産効率を大幅に向上できるとしています。
こうした技術革新が進めば、将来的にはガラスクロスへの依存度が変化する可能性もあります。ただし、実用化にはまだ時間がかかるため、当面は日東紡の特殊ガラスクロスが不可欠な存在であり続けるでしょう。
まとめ
日東紡の特殊ガラスクロスは、iPhoneからAIサーバーまで、現代のテクノロジー製品を支える不可欠な素材です。世界シェア80%以上という圧倒的な地位にある日東紡に、NVIDIA、Google、Amazon、Appleといったテクノロジー大手が殺到し、深刻な供給不足を引き起こしています。
日東紡は150億円を投じた新工場建設で対応を進めていますが、供給逼迫は2027年後半まで続く見通しです。この間、BT基板の価格高騰や一部製品の生産への影響が懸念されます。
普段は目に見えない素材が、実はハイテク産業全体の命運を握っているという事実は、サプライチェーンの複雑さと脆弱性を改めて認識させるものです。AI時代の本格到来を前に、こうした「縁の下の力持ち」への注目が高まっています。
参考資料:
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