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by nicoxz

売春防止法改正へ「買う側」処罰の論点と課題

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はじめに

法務省は2026年3月24日、売春防止法の見直しに関する有識者検討会の初会合を開催しました。最大の焦点は、現行法では処罰対象となっていない「買う側」に対して、新たに罰則を設けるかどうかという点です。

1956年に制定された売春防止法は、売春の勧誘や周旋など「売る側」の行為を処罰する一方、「買う側」には罰則がありません。この不均衡は長年にわたって指摘されてきました。高市早苗首相が2025年11月に法務大臣に見直しを指示したことで、ようやく本格的な議論が始まりました。

本記事では、売春防止法と風営法の二元構造の問題、海外で広がる「北欧モデル」の実態、そして法改正をめぐる賛否の論点を整理します。

売春防止法と風営法の「二元構造」とは

現行法の矛盾した仕組み

日本の性風俗に関する法規制は、売春防止法と風俗営業適正化法(風営法)の二つの法律によって成り立っています。売春防止法は「何人も、売春をし、またはその相手方となってはならない」と定め、売買春そのものを禁じています。しかし、売春行為自体には罰則がなく、処罰対象となるのは勧誘、周旋、場所の提供といった周辺行為に限られます。

一方、風営法は性風俗店の営業を公安委員会の管理監督下に置く形で事実上認めています。この結果、売春防止法で禁止されているはずの行為が、風営法の枠組みのもとで半ば合法的に営まれるという「違法と合法が併存する構造」が生まれています。

買う側が処罰されない理由

売春防止法が買う側を処罰対象としなかった背景には、制定当時の社会的な認識があります。同法は戦後の混乱期に困窮した女性を「保護更生」することを主眼としており、買春行為そのものの違法性を追及する設計にはなっていませんでした。

しかし現代において、この構造は「売る側だけが社会的制裁を受け、買う側は何ら責任を問われない」という不公平を生んでいます。人権の観点から見れば、性的搾取の需要を生み出している買う側こそ規制すべきだという議論は、国際的にも主流になりつつあります。

海外で広がる「北欧モデル」

スウェーデンが先駆けた買春処罰

世界的に注目を集めているのが、買う側のみを処罰する「北欧モデル」(平等モデル)です。1999年にスウェーデンが世界で初めて買春禁止法を施行しました。この法律は売る側を非犯罪化し、支援サービスを提供する一方で、買う側の行為を犯罪として処罰するものです。

スウェーデン政府が2010年に発表した報告書によると、法施行前に主要3都市で726人だった路上の売春従事者は、施行後に340人と半数以下に減少しました。また、隣国ノルウェーやデンマークと比較して、路上売春の規模は3分の1程度にとどまっているとされています。

各国への広がりと評価

北欧モデルはその後、ノルウェー(2009年)、アイスランド(2010年)、カナダ(2014年)、北アイルランド(2015年)、フランス(2016年)、アイルランド(2017年)、イスラエル(2019年)へと広がりました。

ただし、効果については評価が分かれています。路上売春は減少したものの、売春そのものが根絶されたわけではなく、インターネットを通じた売買春に移行したとの指摘もあります。さらに、売春従事者が地下に潜ることで、安全な場所を選ぶことが難しくなり、危険な状況に追い込まれるケースも報告されています。

本来、北欧モデルの中核を担うはずだった福祉支援サービスが十分に整備されないまま、処罰のみが先行してしまった国もあるとされています。

日本の法改正をめぐる論点

賛成派の主張

法改正を支持する立場からは、主に以下の論点が挙げられています。第一に、買う側に罰則がない現行法は「法の下の平等」に反するという点です。売買春は双方の行為によって成立するにもかかわらず、一方のみが処罰されるのは不均衡です。

第二に、性的搾取の「需要」を減らすためには、買う側への抑止力が不可欠だという主張があります。国際的な人権基準に照らしても、日本の現行制度は時代遅れだとの批判が根強くあります。

第三に、困窮や暴力によって売春を強いられている被害者の保護を実効性あるものにするためには、買う側の行為を犯罪化することが必要だという意見もあります。

慎重派の懸念

一方、慎重な意見も少なくありません。法務省内でも、買春行為そのものを処罰するのではなく、公共の場での勧誘行為に限定して売る側と同等の罰則を設ける案が検討されているとされています。

性風俗産業の地下化を招く可能性も懸念されています。規制を強化しても需要がなくなるわけではなく、むしろ管理の目が届かない場所での売買春が増加し、従事者の安全が脅かされるリスクがあります。

また、現行の風営法との整合性をどう取るかという実務的な課題も残されています。性風俗店が風営法の枠組みで営業を認められている以上、買春の一律処罰は法体系全体の再構築を迫ることになります。

注意点・展望

有識者検討会の今後

有識者検討会は、刑事法の研究者や法曹関係者ら11人の委員で構成されています。座長は北川佳世子早稲田大学教授が務めており、今秋の臨時国会または来年の通常国会での法改正を視野に入れて議論が進められる見通しです。

検討の範囲は買う側の処罰にとどまらず、売春防止法の目的規定の見直しや、被害者支援の枠組み強化なども含まれるとみられます。1956年の制定以来、抜本的な改正がなされていない同法にとって、歴史的な転換点となる可能性があります。

法改正だけでは解決しない課題

重要なのは、法改正と同時に福祉支援体制を充実させることです。北欧モデルの教訓が示すように、処罰だけを先行させれば、かえって弱い立場にある人々を追い詰める結果になりかねません。困窮を背景とした売春に対しては、就労支援や生活保護などのセーフティネットの整備が不可欠です。

まとめ

売春防止法の「買う側」処罰をめぐる議論は、単なる罰則の追加にとどまらない問題です。70年近く続いてきた売春防止法と風営法の二元構造そのものを問い直す契機となっています。

海外の北欧モデルは参考になりますが、日本独自の法体系や社会状況を踏まえた制度設計が求められます。有識者検討会での議論を通じて、処罰と福祉支援のバランスが取れた実効性のある改革が実現するかどうかが注目されます。

参考資料:

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