売春防止法改正へ「買う側」処罰の議論が始動
はじめに
2026年2月10日、平口洋法相は閣議後の記者会見で、売買春への法規制のあり方を議論する有識者検討会の設置を発表しました。3月末までに初会合を開く予定です。
最大の論点となるのは、1956年の制定以来約70年間にわたり「売る側」の行為にしか適用されてこなかった罰則規定を、「買う側」にも拡大するかどうかという点です。この記事では、現行法の課題や海外の先行事例を踏まえ、今回の検討会が持つ意義と今後の展望を解説します。
現行の売春防止法が抱える構造的問題
1956年制定の法律が残す「ゆがみ」
売春防止法は1956年5月24日に公布され、1958年4月1日から罰則が施行されました。この法律は売春行為そのものを禁止していますが、罰則の対象となるのは「売る側」の勧誘行為や客待ち行為、あっせん行為に限られています。
具体的には、公衆の目に触れる場所での客待ちや勧誘に対して「6カ月以下の拘禁刑か、2万円以下の罰金」という罰則が設けられていますが、買う側にはいかなる罰則もありません。この非対称な構造は、性を売らざるを得ない立場に追い込まれた人々だけが取り締まりの対象となるという問題を生んできました。
近年の深刻な事件が議論を加速
2025年11月、タイ国籍の当時12歳の少女が東京都内の「マッサージ店」で働かされていた事案が発覚し、人身取引の被害者として保護されました。この事件は国会でも大きく取り上げられ、売春防止法の不備を問う声が一気に高まりました。
同年秋の臨時国会では、「性を売らざるを得ない女性だけが検挙されるゆがんだ構造がある」として法改正を求める質問が相次ぎました。高市早苗首相も「近時の社会情勢などを踏まえ、売買春に係る規制のあり方について必要な検討を行う」と答弁し、今回の検討会設置につながっています。
海外の先行事例「北欧モデル」とは
スウェーデンが切り開いた新しいアプローチ
「北欧モデル」とは、買春する側のみを処罰し、売春する側は処罰しないという法規制のアプローチです。1999年にスウェーデンが世界で初めて導入し、その後ノルウェー(2009年)、アイスランド(2010年)、カナダ(2014年)、北アイルランド(2015年)、フランス(2016年)、アイルランド共和国(2017年)、イスラエル(2019年)と、多くの国に広がりました。
この制度の根底にあるのは、「性の売買における需要側を抑制することで、売春全体を減少させる」という考え方です。売春を「売る側」の問題ではなく「買う側」の問題として再定義した点に大きな特徴があります。
フランスの導入事例
フランスでは2016年に北欧モデルを導入し、買春で有罪となった場合、初犯で約1700ドル(当時のレートで約20万円)の罰金が科されます。再犯では罰金が倍以上に引き上げられる仕組みです。
ただし、導入後の評価は賛否が分かれています。支持者は「需要の抑制により街頭での売春が減少した」と主張する一方、批判者は「かえって売春が地下に潜り、売春する人々の安全性が低下した」と指摘しています。フランスでは導入以降、路上での暴力や強盗といった被害が増加したとの報告もあります。
非犯罪化モデルとの比較
北欧モデルとは対照的に、ニュージーランドでは2003年に売春を非犯罪化するアプローチを採用しました。売買春の双方を処罰対象から外し、労働法や安全衛生法で規制するというものです。「当事者の安全と健康を最優先にする」という立場に立ったこのモデルも、国際的には一定の評価を受けています。
日本の検討会では、こうした海外の多様なアプローチを参考にしながら、日本の社会状況に適した制度設計が議論されることになります。
注意点・展望
今回の検討会設置は、約70年間変わらなかった法制度の見直しに向けた第一歩です。しかし、実際の法改正までには複数のハードルがあります。
まず、「買う側」への罰則の範囲をどう定めるかという技術的な課題があります。勧誘行為への罰則にとどめるのか、買春行為そのものを処罰対象とするのかで、法律の性格は大きく変わります。
また、取り締まりの実効性の確保も重要な論点です。買春行為は密室で行われるため、証拠の収集や立件には困難が伴います。北欧モデルを導入した国々でも、実際の検挙数は限定的にとどまっているケースが少なくありません。
さらに、性的搾取の被害者保護と支援体制の整備も、罰則の議論と並行して進める必要があります。罰則強化だけでは問題の根本的な解決にはつながらないという指摘は、海外の事例からも裏付けられています。
まとめ
法務省が設置する有識者検討会は、売春防止法制定から約70年ぶりの本格的な見直し議論の場となります。「買う側」への罰則導入は、性売買の構造的な不均衡を是正する試みとして注目されます。
北欧モデルをはじめとする海外の先行事例には成功例も課題もあり、日本の社会状況を踏まえた制度設計が求められます。検討会の議論の行方は、人権保護のあり方を問う重要なテーマとして、今後の国会審議にも大きな影響を与えるでしょう。
参考資料:
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