シンガポールで世界最高の垂直農場が稼働開始
はじめに
シンガポールで2026年1月、「世界最高の室内垂直農場」が本格稼働を開始しました。運営するのは同国の新興企業Greenphytoで、高さ23.3メートル、全長118メートルの巨大な水耕栽培施設です。
食料の9割以上を輸入に頼るシンガポールにとって、食料安全保障の強化は国家的課題です。限られた国土で生産量を最大化する垂直農法は、その解決策として注目されてきました。しかし、高い運営コストや採算性の壁に直面し、撤退する企業も相次いでいます。
この記事では、Greenphytoの新施設の特徴や技術的優位性、シンガポールの食料政策の現状、そして垂直農法が抱える課題と今後の展望について詳しく解説します。
Greenphytoの新施設:世界最高の垂直農場
施設の概要と生産能力
Greenphytoが開設した新施設は、シンガポール西部のジュロン・ウェスト工業地区に位置しています。5階建ての施設は敷地面積約2ヘクタールを占め、総投資額は約8,000万シンガポールドル(約62百万米ドル)に達します。
現在の生産量は年間約200トンですが、フル稼働時には年間2,000トンの野菜生産が可能です。栽培品種はカイランやレタスなどの葉物野菜が中心で、「Hydrogreens」ブランドとしてFairPriceやSheng Siongなど95店舗で販売されています。
構想から完成まで14年を要したこのプロジェクトは、2026年1月7日にターマン大統領出席のもと正式にオープンしました。
AIとロボティクスの活用
この施設の最大の特徴は、AIとロボティクスを全面的に活用した自動化にあります。無人の栽培チャンバー内では、ロボットシステムが作物の健康状態を監視し、苗トレイの移動やデータ収集を行います。
AIソフトウェアは発芽率の追跡、収穫量の予測、葉の黄変などの問題検知を担います。異常を検出した場合は原因の候補と対処法をスタッフに提示する仕組みです。Greenphytoはこれらの技術に関連して69件の特許を出願しています。
さらに、エネルギー消費量を30%削減することにも成功しており、垂直農法の最大の課題であるエネルギーコストの問題にも対応しています。
受注生産モデルによる食品ロス削減
Greenphytoのもう一つの特徴は、受注生産(メイク・トゥ・オーダー)方式を採用している点です。小売業者からの注文を確保してから栽培を開始するため、過剰生産による食品ロスを最小限に抑えることができます。
市場に大量の農産物を一度に流通させるのではなく、需要に合わせた生産を行うことで、安定的な収益確保と持続可能な運営を両立させています。
シンガポールの食料安全保障と垂直農法の位置づけ
「30 by 30」政策の現状と転換
シンガポール政府は2019年、2030年までに国内の栄養需要の30%を自国生産で賄う「30 by 30」計画を発表しました。東京23区とほぼ同じ面積の国土で食料の90%以上を180以上の国・地域から輸入している現状を変えるための野心的な目標でした。
しかし、この計画は期待通りには進んでいません。鶏卵の自給率は約30%まで上昇した一方、野菜の自給率は約4%台にとどまり、2019年時点からほとんど変化がありません。2025年末にはシンガポール政府が「30 by 30」目標を見直し、2035年までにタンパク質と食物繊維の生産に重点を置く新たな目標に切り替えています。
垂直農法が直面する構造的課題
垂直農法が普及する上での最大の障壁はコストです。シンガポールでは電気代や人件費が高く、国産野菜はマレーシアや中国、インドネシアからの輸入野菜と比べて割高になりがちです。
実際に、年間300トンの葉物野菜を生産していた植物工場が閉鎖されるなど、経営難に陥る企業が相次いでいます。高度な設備やICT技術への初期投資が大きく、採算ラインに乗せるには技術革新と政府支援の両方が不可欠とされています。
政府はリム・チュー・カン地区のハイテク農産物クラスター再開発や、総額6,000万シンガポールドルのACT基金、1億4,400万シンガポールドルの研究開発プログラムなど、多面的な支援策を展開しています。
海外展開と今後の展望
グローバル市場への進出
Greenphytoは国内市場にとどまらず、海外展開を積極的に進めています。すでにマレーシアとオランダにオフィスを構えており、独自開発した垂直農法システムの販売やAIソフトウェアのライセンス供与を計画しています。
技術スピンオフ企業「Arber.ai」を通じて、他の農場や食品・飲料業界、サプライチェーン管理分野にもスマート自動化技術を提供する方針です。農業技術を農業以外の産業にも応用するという戦略は、収益源の多角化という点で注目に値します。
垂直農法の将来性
垂直農法は世界的に見ても厳しい局面にあります。エネルギーコストの上昇やサプライチェーンの混乱、投資家の信頼低下により、多くのアグリテック企業が撤退や計画縮小を余儀なくされています。
しかし、気候変動による食料生産リスクの増大、都市人口の増加、食料安全保障への関心の高まりを考えると、垂直農法の需要は長期的には拡大する可能性があります。Greenphytoのように、AIによるコスト削減と受注生産モデルによる効率化を実現できる企業が、業界の淘汰を生き残る鍵を握っているといえます。
注意点・展望
垂直農法に関してよくある誤解は、「技術さえあれば採算が取れる」という考え方です。実際には、エネルギーコスト、人件費、設備投資の回収、そして輸入品との価格競争という複合的な課題を同時に解決する必要があります。
Greenphytoが30%のエネルギー削減を実現したことは重要な進展ですが、フル稼働の2,000トン体制に到達できるかどうかが今後の焦点です。現在の200トンからの拡大には、安定した販路の確保と運営効率のさらなる改善が求められます。
シンガポール政府が食料自給率目標を見直したことは、垂直農法への追い風にも逆風にもなり得ます。新たな目標がタンパク質や食物繊維に重点を置くことで、葉物野菜中心の垂直農場への政府支援が変化する可能性もあります。
まとめ
Greenphytoの世界最高の垂直農場は、AIとロボティクスを駆使してコスト削減と効率化を追求する次世代型の農業モデルです。受注生産方式による食品ロス削減や、海外へのシステム・ソフトウェア販売という事業戦略は、従来の垂直農場とは一線を画しています。
垂直農法業界全体が厳しい環境にある中で、Greenphytoの取り組みが持続可能なビジネスモデルとして成立するかどうかは、今後数年の生産規模拡大と海外展開の成否にかかっています。食料安全保障への関心が世界的に高まる中、シンガポール発の技術がどこまで広がるか、注視していく価値があります。
参考資料:
- S’pore opens world’s tallest indoor vertical farm, able to produce 2,000 tonnes of vegetables annually - Mothership.SG
- World’s tallest indoor vertical farm, costing US$62 million, opens in Singapore - Asia News Network
- The ‘world’s tallest indoor vertical farm’ opens in Singapore - Vertical Farm Daily
- World’s tallest indoor vertical farm, costing S$80mil, opens in Singapore - The Star
- シンガポール、2030年までに食料自給率3倍へ - IDEAS FOR GOOD
- 食料自給率引き上げへ、都市国家シンガポールの試み - JETRO
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