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by nicoxz

東京地裁が標準必須特許の専門調停を開始へ

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はじめに

スマートフォンや自動車に搭載される通信技術には、業界全体で共通の技術規格が使われています。この規格に不可欠な特許を「標準必須特許(SEP:Standard Essential Patent)」と呼びます。SEPをめぐる国際的な紛争は年々増加しており、訴訟による解決には数年を要するケースが少なくありません。

こうした状況を受け、東京地方裁判所は2026年2月から、SEPに特化した専門調停制度を導入します。半年程度での合意成立を目指すこの制度は、日本企業の紛争対応コストを大幅に削減し、国際的な知財紛争の解決拠点としての東京の地位を高める狙いがあります。

本記事では、新制度の仕組みと背景、そして日本企業にとっての意義を詳しく解説します。

標準必須特許(SEP)とは何か

技術標準に不可欠な特許

標準必須特許とは、Wi-Fiや5Gなどの技術標準に準拠した製品を製造・販売する際に、必ず使用しなければならない特許のことです。例えば、5G通信に対応したスマートフォンを製造するメーカーは、5G規格に含まれるSEPを保有する企業からライセンスを取得する必要があります。

SEPの保有者は、標準化団体に対して「FRAND宣言」を行うことが求められます。FRANDとは「Fair(公平)・Reasonable(合理的)・Non-Discriminatory(非差別的)」の頭文字を取ったもので、合理的な条件で誰にでもライセンスを提供する意思を示す宣言です。

ホールドアップとホールドアウトの問題

SEPをめぐる紛争では、2つの構造的な問題が指摘されています。1つは「ホールドアップ」で、SEP保有者が差止請求をちらつかせて不当に高いライセンス料を要求するケースです。技術標準に組み込まれた特許は代替技術への切り替えが困難なため、実施者は不利な立場に置かれます。

もう1つは「ホールドアウト」で、実施者がライセンス交渉を引き延ばし、特許使用料の支払いを回避しようとする問題です。この2つの問題が複雑に絡み合い、紛争の長期化を招いています。

東京地裁の新しい調停制度

専門家3人による調停委員会

東京地裁が2026年2月に開始する専門調停制度では、裁判官1人と弁護士などの専門家2人の計3人で構成される調停委員会が、紛争当事者に調停案を提示します。通常の訴訟では判決まで数年かかることが多いのに対し、この制度では半年程度での合意成立を目指します。

調停は原則として3回のセッションで完了することを想定しています。短期間で結論を出すことで、当事者双方の時間的・金銭的負担を大幅に軽減する狙いがあります。

2026年1月公表のSEP訴訟ガイドライン

この調停制度に先立ち、東京地裁知的財産権部は2026年1月20日に「SEPに基づく特許権侵害訴訟の審理要領」を公表しました。このガイドラインには、以下の特徴があります。

第一に、裁判所が積極的に和解を推進する方針です。原則として第1回期日で和解を勧告し、和解交渉のための期日を計画的かつ集中的に設定します。

第二に、グローバルFRANDロイヤルティの設定を視野に入れている点です。裁判官がグローバルなロイヤルティ率を提案できる仕組みを設けており、一国の裁判所が世界規模の紛争解決に貢献することを目指しています。

第三に、当事者への情報開示義務の厳格化です。特許権者はFRANDロイヤルティ率の計算根拠を具体的に示す必要があり、実施者も販売数量や金額に関する詳細なデータを提出しなければなりません。

Pantech対Google事件の先例

東京地裁のSEP紛争解決への本格的な取り組みは、2025年6月のPantech対Google事件判決が大きな転機となりました。この事件では、日本の裁判所として初めてSEPに基づく差止命令が発令され、Googleの「Pixel 7」スマートフォンの国内販売が差し止められました。

注目すべきは、この判決後の展開です。両当事者は裁判所主導の調停に合意し、2025年12月にはPantechとGoogleの間の全世界での紛争を包括的に解決するグローバル和解が成立しました。この成功事例が、東京地裁の新制度導入を後押ししたと考えられます。

日本企業への影響と国際的な意義

コスト削減と競争力向上

SEP紛争を訴訟で解決する場合、複数の国で同時に訴訟を提起されることも珍しくありません。各国の弁護士費用や裁判費用を合算すると、紛争対応コストは膨大な金額に達します。東京での調停で半年以内に合意できれば、こうしたコストを大幅に圧縮できます。

特に5G時代の到来により、自動車や建設機械など日本が強みを持つ製造業分野でもSEP紛争が増加しています。経済産業省も「第四次産業革命の進展に伴い、異業種間でのSEPライセンスが増加する」と指摘しており、迅速な紛争解決の仕組みは日本の産業競争力を支える重要なインフラとなります。

国際的な紛争解決拠点を目指して

現在、SEP紛争の解決拠点としては、ドイツのミュンヘン地裁や英国の裁判所が知られています。中国の裁判所もグローバルFRANDレートの設定に積極的な姿勢を示しており、各国間で「フォーラム・ショッピング」(有利な裁判管轄を選んで訴訟を提起する行為)が問題となっています。

東京地裁が専門的かつ迅速な調停制度を整備することで、日本がアジア太平洋地域における知財紛争解決のハブとして機能する可能性があります。特にWIPO(世界知的所有権機関)も仲裁・調停によるSEP紛争解決を推進しており、東京の新制度はこうした国際的な潮流にも合致しています。

注意点・展望

新制度の成否を左右する課題もあります。調停はあくまで当事者の合意が前提であり、一方の当事者が応じなければ成立しません。特に海外企業を相手にした紛争では、東京での調停に応じる動機付けをどう確保するかが課題です。

Pantech対Google事件で示されたように、差止命令という強制力が交渉のテコとなる面があります。東京地裁のSEP訴訟ガイドラインでは、情報開示に応じない実施者は「FRANDライセンスを取得する意思がない」と判断される可能性があると示しており、調停への積極的な参加を促す仕組みが整備されつつあります。

今後、5G・6G関連の特許紛争はさらに増加すると予測されます。自動車の自動運転やIoT機器の普及に伴い、通信技術の特許は従来のICT企業だけでなく、幅広い産業に影響を及ぼします。東京地裁の新制度が実績を積み重ねることで、日本企業にとって有利な紛争解決の選択肢が広がることが期待されます。

まとめ

東京地裁は2026年2月から、標準必須特許に特化した専門調停制度を開始します。裁判官と専門家3人体制の調停委員会が半年以内の合意成立を目指し、従来の訴訟に比べて大幅な時間短縮とコスト削減が見込まれます。

2025年のPantech対Google事件でのグローバル和解成立が追い風となり、東京が国際的なSEP紛争解決の拠点となる道が開かれつつあります。5G・IoT時代の到来で特許紛争の拡大が避けられない中、この制度は日本企業の知財戦略にとって重要な選択肢となるでしょう。

参考資料:

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