株高でも利益伸びず、信託銀行の資産運用デフレの深層
はじめに
日経平均株価が5万4000円を突破し、史上最高値を更新する活況の中、意外な「デフレ」に苦しむ業界があります。本来、資産運用立国で最も恩恵を受けるはずの信託銀行です。
日本の信託銀行は合計で約1800兆円という膨大な資産を預かっています。これは日本のGDP(約600兆円)の3倍に相当する規模です。しかし、この巨額の資産から得られる利益は約4000億円程度に留まっており、運用資産に対する報酬率の低さが課題となっています。
この記事では、信託銀行を取り巻く「報酬率デフレ」の実態と背景、そして資産運用立国実現に向けた課題について解説します。
信託銀行の収益構造と現状
膨大な預かり資産と低い収益率
日本の信託銀行業界は、年金資金や投資信託の管理など、巨額の資産を取り扱っています。例えば、日本マスタートラスト信託銀行は2024年3月末時点で約703兆円の資産を管理しており、国民の金融資産約2121兆円のうち約3割を運用しています。三井住友信託銀行の信託財産残高も2025年3月末で263兆円を超えています。
しかし、預かり資産の規模に比べて収益率は低い状態が続いています。信託報酬は一般的に預かり資産に対して年率0.1%〜2%程度ですが、特にインデックス投信では0.1%を下回る水準まで低下しています。
好調な決算の裏側
三井住友信託銀行の2025年3月期連結決算では、純利益が前期比3.3倍の2576億円となり、2012年3月期以降で最高を記録しました。一見すると好調に見えますが、この増益の主因は政策保有株の売却益であり、本業の資産運用事業からの収益だけでは大幅な増益は困難だった面があります。
株価上昇で預かり資産の時価総額は増えても、報酬率自体が低下しているため、収益の伸びは限定的という構造的な問題を抱えています。
報酬率低下の背景:手数料競争の激化
インデックス投信の信託報酬引き下げ競争
報酬率低下の最大の要因は、投資信託における信託報酬の引き下げ競争です。2024年からの新NISA制度開始を機に、この競争はさらに激化しています。
三菱UFJアセットマネジメントの「eMAXIS Slim」シリーズは、原則として最安値を追求する方針を掲げています。「eMAXIS Slim全世界株式」の運用管理費用は年0.1133%から年0.05775%へと半減し、投資資金10万円あたり年間約60円という超低コストを実現しました。
インデックス型投信で最も安い商品は0.0938%と、0.1%を下回る水準に達しています。S&P500連動型では、楽天・プラス・S&P500インデックス・ファンドが総経費率0.09%で最安値を競っています。
運用会社の経営への影響
この手数料競争は運用会社の経営を圧迫しています。インデックスファンドはもともと信託報酬が低い上に、さらなる引き下げ競争が続いています。資金が十分に集まらない投資信託では、運用を続けても赤字が累積するため、運用を打ち切るケースも出てきています。
信託報酬は運用会社、販売会社、信託銀行の3者で分配されますが、報酬率の低下は信託銀行の取り分も減少させることを意味します。
日本独自の慣行とコスト構造
二重計算という非効率
日本の投資信託業界には、欧米にはない独自の慣行があります。その代表例が「二重計算」です。投資信託の基準価額を、委託会社(資産運用会社)と受託会社(信託銀行)の双方で計算し、これを照合するという方式です。
この慣行は投資家保護の観点から生まれたものですが、二重のコストが発生します。欧米では信託銀行や専門業者が一元的に担うケースが多く、金融庁からは「投資家への追加的なコストや新規参入障壁の要因となっている」との指摘があります。
複雑化するバックヤード業務
資産運用を支えるバックヤード業務・システムには、カストディアン(資産管理信託銀行)、レコードキーパー(確定拠出年金の記録関連運営管理機関)、システムベンダーなど様々な関係者が存在します。これらの業務は複雑化・高コスト化しており、金融庁は実態把握と合理化を進めるべきとしています。
こうした非効率が残る一方で、投資家向けの手数料は下がり続けるため、収益性の改善は容易ではありません。
資産運用立国と信託銀行の課題
政府の資産運用立国実現プラン
日本政府は2023年12月に「資産運用立国実現プラン」を策定しました。このプランは、(1)資産運用業の改革、(2)アセットオーナーシップの改革、(3)成長資金の供給と運用対象の多様化、(4)スチュワードシップ活動の実質化、(5)対外情報発信・コミュニケーションの強化を柱としています。
家計の資金を貯蓄から投資へ向かわせ、企業の成長投資を促し、その恩恵を資産所得として家計に還元する「成長と分配の好循環」の実現を目指しています。
NISA口座の急増
政策の成果として、NISA口座数は2025年3月末で約2647万口座に達し、2023年12月末から約522万口座(24%)増加しました。NISA買付額は累計約59.3兆円となり、2023年12月末から約24.3兆円(69%)増えています。
投資への参加者が増えることで、長期的には資産運用業界全体の成長が期待されます。しかし、NISAで人気なのは低コストのインデックス投信であり、手数料収入の伸びは限定的です。
金融グループへの改革要請
金融庁は大手金融グループに対し、グループ内の資産運用ビジネスの経営戦略上の位置付け、運用力向上、ガバナンス改善・体制強化を図るためのプランの策定・公表を要請しています。三菱UFJ、三井住友、みずほ、三井住友トラスト、りそななど17の金融グループがこれに対応しています。
顧客利益より販売促進を優先した商品組成が行われていないか、リスクが分かりにくくコストが合理的でない商品が十分な説明なく販売されていないかなど、顧客本位の業務運営が求められています。
注意点・今後の展望
低コスト競争の限界
信託報酬の引き下げ競争は投資家にとってはメリットですが、限界に近づいています。0.05%台という超低コストでは、運用会社や信託銀行が十分な収益を上げることが難しくなります。
最近は信託報酬以外の「隠れコスト」も注目されるようになりました。売買委託手数料や保管費用などを含めた「総経費率」や「実質コスト」で比較する必要性が高まっています。
付加価値サービスへのシフト
信託銀行が収益性を改善するには、単純な資産管理だけでなく、付加価値の高いサービスへのシフトが求められます。不動産、相続、資産承継など、信託銀行ならではの専門性を活かした総合的なコンサルティングサービスの強化が一つの方向性です。
一方で、若年層顧客の獲得が難しいという課題もあります。デジタル化への対応や、新しいサービスの開発が今後の競争力を左右するでしょう。
まとめ
株高で預かり資産が膨らんでも、手数料競争の激化で報酬率が下がり続ける「資産運用デフレ」は、信託銀行業界の構造的な課題です。1800兆円という膨大な資産を預かりながら、十分な収益を上げられない状況は、資産運用立国の実現にとっても大きな壁となっています。
政府の資産運用立国実現プランにより、投資への参加者は着実に増えています。しかし、NISAで人気なのは低コスト投信であり、業界の収益構造を抜本的に改善するには至っていません。
信託銀行が持続的に成長するためには、単なるコスト競争から脱却し、付加価値の高いサービスで収益を確保する新たなビジネスモデルの構築が求められています。
参考資料:
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