英国が中国メガ大使館を承認、8年ぶり首相訪中へ関係修復
はじめに
2026年1月20日、英国政府はロンドン中心部に中国の巨大大使館を新設する計画を正式に承認しました。観光名所のロンドン塔に隣接する王立造幣局跡地に建設される「メガ大使館」は、欧州最大規模の中国在外公館となります。
この承認は、スターマー首相の中国訪問を前にした重要な決定です。英首相の訪中は2018年のテリーザ・メイ首相以来8年ぶりとなり、悪化していた英中関係の転換点となる可能性があります。
一方で、安全保障上の懸念から野党や専門家から強い批判の声も上がっています。この記事では、メガ大使館承認の背景、安全保障上の懸念、英中関係の変遷、そして今後の展望について解説します。
メガ大使館計画の概要
欧州最大の中国大使館
新大使館は約2万平方メートルの敷地面積を持ち、中国の在外公館としては欧州最大規模となります。これは現在のロンドン中心部にある中国大使館の約10倍の大きさで、米国にある中国大使館よりもかなり大きい規模です。
建設予定地は、観光名所のロンドン塔に隣接する王立造幣局跡地です。中国政府は2018年にこの土地を約2億2500万ポンド(約400億円)で購入しました。現在ロンドン市内7カ所に分散している中国の外交施設を1カ所に集約する計画です。
承認までの経緯
計画は2018年に申請されましたが、地元自治体が却下し、その後も繰り返し審査が延期されてきました。当初2025年9月だった判断期限は、安全保障上の懸念を踏まえて3度延期されました。
中国の習近平国家主席は2024年、スターマー首相との電話会談で計画の早期承認を直接要請。中国政府は7年にわたる遅延について「問題を絶えず複雑化、政治化している」と英国を非難していました。
スティーブ・リード住宅相は1月20日、「決定にあたり全ての重要な事項が考慮された。裁判で異議が申し立てられない限り最終的な決定だ」との声明文を議会に提出しました。
安全保障上の懸念
光ファイバーケーブルへの近接
最大の懸念は、建設予定地が金融街シティとカナリーワーフを結ぶ重要な光ファイバーケーブルの直上に位置することです。このケーブルは膨大な量の金融データや通信データを伝送しており、機密傍受のリスクが指摘されています。
英国メディアは、設計図面に208室の「秘密の地下室」が含まれており、光ファイバーケーブルから約1メートルの距離に位置すると報じています。中国側はこれらの地下室の用途について説明を拒否しています。
バッキンガム大学のアンソニー・グリース教授(情報セキュリティ専門)は、建設予定地がシティとカナリーワーフからの金融・通信データを伝送する光ファイバーケーブルに「憂慮すべきほど近い」と警告しています。
情報機関の見解
英国情報機関MI5のケン・マッカラム長官と、政府通信本部(GCHQ)のアン・キースト=バトラー長官は「MI5は100年以上にわたり、ロンドンの外国公館に関する国家安全保障リスクを管理してきた」と述べました。
両機関は「全ての潜在的リスクを完全に排除することは現実的ではない」としながらも、「緩和策のパッケージが幅広い機密の国家安全保障問題に対処している」と説明しています。
一方、元CIA長官は「MI5とMI6は新しい中国スーパー大使館で手一杯になるだろう」と警告しています。
政治的批判
野党保守党からは激しい批判が上がっています。プリティ・パテル影の外相は「スターマーは習近平に望むものを与えた—首都の中心に巨大なスパイ拠点を」と非難しました。
ケミ・バデノック保守党党首は承認前日、建設予定地で行われた抗議デモに参加し「我々の議員をスパイする国に、このスーパー大使館を持たせたくない」と訴えました。
イアン・ダンカン・スミス元保守党党首は、大使館が「巨大情報機関」になると警告しています。批判派は司法審査を通じて決定に異議を申し立てる計画で、地元住民も訴訟費用の募金を始めています。
スターマー首相の訪中
8年ぶりの首相訪中
スターマー首相は2026年1月29日から31日にかけて、北京と上海を訪問する方向で調整しています。英首相の訪中は2018年2月のテリーザ・メイ首相以来、8年ぶりとなります。
訪中の目的は、金融、ライフサイエンス、高等教育分野で英国企業の市場アクセス拡大を図り、英中関係を「リセット」することです。一部報道によると、首相訪中はメガ大使館の承認が条件となっていました。
経済重視の姿勢
2024年に発足した労働党のスターマー政権は、貿易や投資を拡大するため中国との関係修復を進めています。中国は英国にとって第5位の貿易相手国です。
スターマー首相は「中国は安全保障、経済、気候変動にとって重要だ」とし、「今日、中国の台頭ほど大きな変化はない」と強調しています。
しかし、与党内からも懸念の声があり、議会情報監視委員会は英国が中国との関係において「安全保障と繁栄のバランス」を取る必要があると指摘しています。同委員会の年次報告書は、政府が「安全保障上の考慮を優先することに消極的」だと批判しました。
英中関係の変遷
「黄金時代」から対立へ
2015年から2017年にかけて、英中関係は「黄金時代」と呼ばれる蜜月期にありました。2015年の習近平国家主席訪英時には、キャメロン首相(当時)とともにパブでフィッシュ・アンド・チップスを食べる姿が話題となりました。
しかし、この関係は2019年以降急速に悪化しました。主な要因は以下の通りです。
香港問題: 2020年の香港国家安全維持法の施行は、英中共同声明の重大な違反と見なされました。英国は約300万人の香港居民(英国海外市民)に英国市民権への道を開放し、中国との犯罪人引き渡し条約を停止しました。
新疆ウイグル問題: 2021年4月、イアン・ダンカン・スミス氏率いる超党派議員グループが、新疆でのウイグル族大量拘束を「ジェノサイド(大量虐殺)」と認定する動議を可決しました。
Huawei問題: 5Gネットワークへの中国企業Huaweiの参入をめぐり、安全保障上の懸念から英国は最終的に排除を決定しました。
関係修復への動き
スターマー首相の就任以降、両国関係は改善の兆しを見せています。首相は中国を「国家安全保障上の脅威」と認めつつも、「技術、貿易、地球規模の課題解決で決定力を持つ」と強調し、現実的な関与を模索しています。
メガ大使館の承認と首相訪中は、この関係修復を象徴する動きと言えます。
今後の展望と注意点
司法審査の可能性
批判派は大使館承認の決定に対し、司法審査を通じて異議を申し立てる計画です。リード住宅相の声明にある「裁判で異議が申し立てられない限り」という但し書きは、法廷闘争の可能性を示唆しています。
安全保障と経済のバランス
今後の英中関係では、経済的利益と安全保障上のリスクのバランスをいかに取るかが焦点となります。中国との貿易は英国経済にとって重要ですが、情報機関や議会からは懸念の声が絶えません。
野党保守党は、スターマー政権が「短期的な利益のために中国に接近している」と批判しており、この問題は今後も政治的争点となる見通しです。
日本への示唆
英国の決定は、中国との関係に悩む他の西側諸国にとっても示唆に富んでいます。経済的な相互依存が深まる中、安全保障上の懸念とどう両立させるかは、各国共通の課題となっています。
まとめ
英国政府によるメガ大使館承認は、悪化していた英中関係の転換点となる重要な決定です。8年ぶりとなるスターマー首相の訪中と合わせ、労働党政権が経済関係の修復を優先する姿勢を明確にしました。
一方で、光ファイバーケーブルへの近接や秘密の地下室など、安全保障上の懸念は払拭されていません。野党や専門家からの批判は強く、司法審査を通じた異議申し立ても予想されています。
「安全保障と繁栄のバランス」という課題は、英国だけでなく中国と関係を持つ全ての民主主義国に共通するものです。今後の英中関係の推移は、国際社会にとっても重要な先例となるでしょう。
参考資料:
- UK approves massive Chinese embassy in central London despite security concerns - Euronews
- U.K. approves a ‘mega’ Chinese Embassy in London despite criticism of security risks - NBC News
- UK approves Chinese embassy in London despite fears over security, protests - Al Jazeera
- China’s Mega-Embassy Just Got The Green Light From Labour - HuffPost UK
- Xi Flexes Power by Tying Starmer’s China Trip to Embassy Ruling - Bloomberg
- MI5 warns of ‘potential risk’ posed by China’s London ‘mega-embassy’ following approval - LBC
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