中外製薬の次世代肥満症薬GYM329がリバウンドを防ぐ仕組み
はじめに
肥満症治療薬の世界市場は約4兆5000億円規模に急拡大しており、2030年代には10兆円を超える巨大市場になると予測されています。しかし、現在主流のGLP-1受容体作動薬には「治療をやめると体重が戻る」というリバウンドの課題があります。
中外製薬はこの課題に正面から取り組み、リバウンドを防ぐ次世代肥満症薬「GYM329」を2028年にも承認申請する方針を示しています。同薬は従来のGLP-1薬とは異なるアプローチで、筋肉量を維持することでエネルギー消費を保ち、体重のリバウンドを防ぐという画期的なコンセプトを持っています。
本記事では、GYM329の作用メカニズムと、肥満症治療薬市場の最新動向を詳しく解説します。
GYM329とは何か
ミオスタチンを標的とする新発想
GYM329は、中外製薬独自の「スイーピング抗体技術」を活用したバイオ医薬品です。標的とするのは「ミオスタチン」という物質で、これは筋肉の成長を抑制する働きを持つタンパク質です。
ミオスタチンを阻害することで、筋肉の分解を抑え、筋肉量を維持・増加させる効果が期待されています。中外製薬は2025年5月に、GLP-1/GIP受容体作動薬であるチルゼパチドとの併用で第2相(P2)臨床試験を開始しました。
なぜ筋肉量が重要なのか
GLP-1受容体作動薬による減量治療では、脂肪だけでなく筋肉も同時に減少してしまうことが知られています。筋肉量が減ると基礎代謝が低下し、治療終了後に体重が戻りやすくなります。これがいわゆる「リバウンド」の主要な原因の一つです。
国立病院機構京都医療センターの研究によると、肥満があり血中インスリン濃度が高い人ではミオスタチン濃度も高くなる傾向があります。ミオスタチン濃度が高いと骨格筋量の減少を招き、基礎代謝が減少し、肥満がさらに悪化するという悪循環に陥る可能性が指摘されています。
GYM329はこの悪循環を断ち切り、減量後も体が消費するエネルギーの水準を保つことで、リバウンドを防ぐと期待されています。
GLP-1肥満症薬の現状と課題
日本で承認された肥満症治療薬
日本では2023年11月に「ウゴービ」(セマグルチド注射薬、ノボノルディスク製)が肥満症治療薬として薬価収載されました。続いて2025年3月には「ゼップバウンド」(チルゼパチド注射薬、イーライリリー製)も承認されています。
これらのGLP-1受容体作動薬は、主に中枢神経に作用して食欲を抑え、胃の蠕動運動を抑制することで体重を減らします。臨床試験では10〜20%の体重減少効果が確認されており、画期的な治療薬として評価されています。
リバウンドという課題
しかし、GLP-1薬には治療を中止すると体重が戻りやすいという課題があります。長期にわたって投薬を続ける必要があり、患者の経済的負担や継続的な注射の煩わしさが問題となっています。
この課題を解決するため、ミオスタチン阻害薬をGLP-1薬と併用することで、筋肉量の減少を抑えながら減量効果を維持するアプローチが注目を集めています。中外製薬のGYM329は、まさにこのコンセプトを実現しようとする薬剤です。
肥満症薬市場の競争激化
10兆円市場を巡る開発競争
業界アナリストらは、肥満症治療薬の市場が10年以内に年間1000億ドル(約13.5兆円)に達すると予想しています。経口タイプが主流化すれば、市場規模は現在の10兆円から18兆円規模に膨らむ可能性があるとされています。
現在の市場はノボノルディスク(デンマーク)とイーライリリー(米国)の2社が圧倒的なシェアを持っています。イーライリリーの時価総額は製薬業界では異例の1兆ドル(約150兆円)に到達し、肥満症薬への期待の高さを示しています。
経口薬が次の主戦場
現在の肥満症薬は注射剤が主流ですが、次の競争の舞台は手軽に服用できる経口薬(飲み薬)です。
ノボノルディスクは2025年12月に、ウゴービの錠剤版を2026年1月から米国で販売開始すると発表しました。イーライリリーも経口GLP-1受容体作動薬「オルホルグリプロン」を開発中で、2026年に世界各国で承認申請を行う予定です。
このほか、スイスのロシュ、米ファイザー、アストラゼネカなども肥満症領域への参入を表明しており、競争は一層激化しています。
中外製薬の戦略
独自技術で差別化
中外製薬は親会社であるスイス・ロシュとの連携を活かしながら、独自の創薬技術で差別化を図っています。GYM329に用いられている「スイーピング抗体技術」は、体内で標的物質を効率的に除去する技術であり、中外製薬が世界に先駆けて開発したものです。
また、同社は自社創製の経口GLP-1受容体作動薬「オルホルグリプロン」をイーライリリーに導出する一方、ロシュが買収で獲得したGLP-1/GIP受容体作動薬「CT-388」を導入するなど、複数のパイプラインで肥満症市場に本格参入しています。
2028年承認申請に向けて
GYM329は現在、第2相臨床試験の段階にあります。中外製薬は順調に進めば2028年にも承認申請を行う方針です。ミオスタチン阻害薬という新しいアプローチが臨床試験で有効性を示せるかどうかが今後の焦点となります。
注意点と今後の展望
開発成功の不確実性
新薬開発は常にリスクを伴います。第2相試験で良好な結果が出ても、その後の第3相試験で効果が確認されないケースは珍しくありません。GYM329についても、現時点では開発途上にあり、最終的な承認を保証するものではないことに注意が必要です。
競合との差別化がカギ
ペプチドリームなど他社もミオスタチン阻害薬の開発を進めています。ペプチドリームはペプチド型のマイオスタチン阻害薬を開発しており、抗体よりも筋肉組織に移行しやすいという特徴を持つとされています。
中外製薬が市場で成功するためには、臨床効果の実証に加えて、投与の利便性や価格競争力も重要な要素となります。
日本市場の課題
肥満症薬については世界的に需要が拡大する一方、日本向けの供給量は限定的とみられています。日本は医療制度が慎重であり、欧米と比べて肥満率も低いため、製薬企業にとって日本市場の優先度が下がる可能性も指摘されています。
まとめ
中外製薬のGYM329は、ミオスタチンを標的として筋肉量を維持し、GLP-1薬の弱点であるリバウンドを防ぐという画期的なコンセプトの次世代肥満症薬です。2028年にも承認申請を目指しており、成功すれば急拡大する肥満症薬市場で独自のポジションを確立できる可能性があります。
肥満症治療薬市場は今後も成長が見込まれ、経口薬やリバウンド対策など、使いやすさや副作用の少なさを備えた次世代薬を巡る競争が一層激化していくでしょう。
参考資料:
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