グリーンランド首相が米領土編入を拒否、北極圏の地政学が動く
はじめに
2026年1月13日、デンマーク領グリーンランドのムテ・エーエデ・ニールセン自治政府首相は、コペンハーゲンでの記者会見で歴史的な発言を行いました。「もし米国とデンマークのどちらかを選ばなければならないなら、私たちはデンマークを選ぶ」と明言し、トランプ米大統領による領土獲得要求を断固として拒否したのです。
この発言は、北極圏における地政学的な緊張の高まりを象徴しています。なぜトランプ大統領はこれほどグリーンランドにこだわるのか。そして独立を志向するグリーンランドはなぜ今、デンマークとの連帯を選んだのか。本記事では、この問題の背景と今後の展望を詳しく解説します。
トランプ政権のグリーンランド獲得要求
繰り返される領土獲得への意欲
トランプ大統領のグリーンランドへの関心は、第1次政権時代の2019年にさかのぼります。当時は「購入」という形で提案しましたが、デンマーク政府に即座に拒否されました。
2期目となる今回、トランプ大統領はさらに強硬な姿勢を見せています。2026年1月5日には「国家安全保障の観点からグリーンランドが必要だ」と明言し、外交的手段だけでなく武力行使の可能性さえ示唆しました。ホワイトハウスは「すべての選択肢がテーブルの上にある」と述べ、この姿勢を裏付けています。
米国にとっての戦略的価値
グリーンランドへのこだわりには、明確な戦略的理由があります。
第一に、軍事的な位置づけです。グリーンランドは「GIUKギャップ」と呼ばれる戦略的な監視ポイントに位置しています。GIUKとはグリーンランド、アイスランド、英国の頭文字で、北大西洋における潜水艦の動向を監視する上で極めて重要な海域です。米国防総省はグリーンランド北西部にピトゥフィック宇宙基地(旧チューレ空軍基地)を運用しており、ミサイル警戒や宇宙監視任務を担っています。
第二に、希少資源の存在です。グリーンランドは世界第8位のレアアース埋蔵量を誇り、150万トンの埋蔵量があります。クヴァネフェルドとタンブリーズという世界最大級のレアアース鉱床を有しており、風力タービン、電気自動車、エネルギー貯蔵技術に不可欠なこれらの資源は、米国にとって戦略的に重要です。2025年6月には、米輸出入銀行がタンブリーズ鉱山開発への1億2000万ドル融資に関心を示しています。
第三に、北極海航路の可能性です。気候変動による氷の融解により、アジアとヨーロッパを結ぶ新たな航路が開けつつあります。スエズ運河経由に比べて大幅な時間短縮が可能となり、グリーンランドの地理的価値はさらに高まっています。
中国・ロシアとの競争
グリーンランドへの関心は、中国とロシアとの大国間競争の文脈でも理解する必要があります。ロシアは北極海沿岸の半分以上を支配しており、中国は2018年に「近北極国家」を自称する戦略計画を発表しました。専門家は「中国とロシアが北極圏で大きな野心を持つ世界において、グリーンランドは極めて戦略的だ」と指摘しています。
グリーンランドの複雑な立場
独立を志向しながらデンマークを選んだ理由
グリーンランドでは独立支持が根強く、2023年には自治政府が初めて独自の憲法草案を公表しました。2025年1月にはエーエデ首相がデンマークからの独立を目指す方針を表明しています。
それにもかかわらず、ニールセン首相が「デンマークを選ぶ」と発言したのは、米国への編入がグリーンランドの望む「独立」とは正反対だからです。ニールセン首相は明確に「グリーンランドは米国に領有されることも、米国に統治されることも、米国の一部になることも望んでいない」と述べています。
世論調査でも、グリーンランド住民の圧倒的多数が米国編入に反対しています。独立を望むからこそ、新たな「宗主国」を受け入れることはできないという論理です。
独立への道のりと経済的課題
グリーンランドの独立には大きな障害があります。それは経済的な自立の困難さです。
現在、グリーンランド自治政府の歳入の約56%がデンマークからの補助金で賄われています。輸出先の約55%、輸入先の約63%がデンマークであり、経済的にデンマークへの依存度が極めて高い状況です。
2009年に施行された自治政府法では、グリーンランド独立への道筋が規定されています。住民投票で独立が承認されれば、デンマーク政府との交渉が開始される仕組みです。しかし、独立の前に経済的自立が必要であるという点では、主要政党間でコンセンサスがあります。
2025年3月の議会選挙後に発足した連立政権も、「独立についてはデンマークとの経済協力を担保しつつ、現実的なステップを踏む」という慎重な方針を採用しています。
植民地時代の歴史と自治権獲得の道のり
グリーンランドの現在の地位を理解するには、その歴史を振り返る必要があります。
1721年から1953年まで、グリーンランドはデンマークの植民地でした。第二次世界大戦中にデンマーク本国がナチスに占領された際、グリーンランドは米国の保護下に入り、独自性が強まりました。戦後、1953年に植民地から「海外郡」に昇格しましたが、これは形式上の変更に過ぎませんでした。
転機となったのは1973年のEC(欧州共同体)加盟問題です。デンマーク本国では賛成多数でしたが、グリーンランドでは反対票が多数を占めました。ヨーロッパよりも北米との貿易が多いグリーンランドにとって、EC加盟の経済的利点は乏しかったのです。これを契機に自治権獲得運動が活発化し、1979年に自治権が発効しました。
2008年には自治拡大を問う住民投票が行われ、75.54%の賛成で承認されました。これにより警察、司法、沿岸警備などの権限が自治政府に移譲され、グリーンランド語が公用語として明記されました。
今後の展望と注意点
米国との交渉の行方
2026年1月14日、バンス米副大統領はデンマークのラスムセン外相と会談しました。ラスムセン外相は売却を拒否しつつも、グリーンランドの扱いを話し合う作業部会の設置では合意しました。
報道によれば、仮に米国がグリーンランドを購入する場合、その価格は110兆円規模になるとの試算もあります。しかし、売却自体をデンマークとグリーンランドが拒否している以上、この数字は理論上のものに過ぎません。
デンマークのフレデリクセン首相は「議論に全く意味がない」と反発し、トランプ大統領の要求がNATO同盟の崩壊につながりかねないと警告しています。NATO加盟国同士のこのような対立は、西側同盟全体にとって懸念材料です。
2026年末に向けた動き
グリーンランド自治政府は2026年末までに、独立に向けた選択肢を示す報告書を作成する予定です。この報告書がどのような内容になるかが、グリーンランドの将来を左右することになるでしょう。
ただし、鉱山開発には発見から稼働まで20年かかることもあり、経済的自立への道のりは長いと言わざるを得ません。レアアースへの期待はあるものの、すぐに独立の財政基盤となるわけではありません。
まとめ
グリーンランド問題は、単なる領土問題ではありません。北極圏の地政学、レアアース資源、気候変動による新航路、そして小さな自治体の自己決定権という、21世紀の国際政治における重要なテーマが凝縮されています。
ニールセン首相の「デンマークを選ぶ」という発言は、独立を志向しながらも、新たな大国支配は受け入れないというグリーンランドの明確な意思表示でした。トランプ政権の強硬姿勢がどこまで続くのか、そしてグリーンランドの独立への道のりがどう進むのか、今後も注視が必要です。
参考資料:
- グリーンランド首相「米国よりデンマークを選ぶ」 - AFP
- グリーンランド首相、米国への統合強く否定 - Bloomberg
- Why does Trump want Greenland so much, and why is it so important strategically? - CNN
- Why Is Trump So Intent on Acquiring Greenland? - TIME
- Greenland, Rare Earths, and Arctic Security - CSIS
- グリーンランドの自治政府:デンマークからの権限移譲の経緯と独立への障害
- 戦略的な価値を高めるグリーンランドの将来 - 霞関会
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