イラン抗議デモ拡大、51人死亡と経済崩壊
はじめに
2025年12月末から2026年1月にかけて、イランで大規模な抗議デモが発生し、治安部隊との衝突により多数の死傷者が出ています。ノルウェーに拠点を置く人権団体IHR(Iran Human Rights)によると、デモが始まった昨年末から1月9日までに少なくとも51人が死亡しました。この抗議活動は、物価高騰と通貨暴落に端を発し、急速に体制批判へと発展しています。トランプ米大統領は「殺りくなら介入する」と警告し、イラン当局は対応に苦慮しています。本記事では、イランで何が起きているのか、デモの背景、政府の対応、そして国際社会への影響を詳しく解説します。
抗議デモの概要:規模と広がり
デモの発生と拡大
2025年12月28日、イランの複数都市で大規模なデモが勃発しました。当初は首都テヘランのバザール(市場)から始まった抗議活動は、瞬く間に全国28州に拡大し、イラン全土348か所で集会が開催される事態となりました。2026年1月8日には、テヘランで最大規模のデモが発生し、テヘラン北西部では「独裁者に死を」と反政府スローガンを叫ぶデモ参加者や、クラクションを鳴らす車両が大通りを埋め尽くしました。
この抗議活動は、大都市だけでなく地方の小都市にも広がっており、地理的な広がりは2022年のマハサ・アミニ抗議を上回っています。参加者も学生、労働者、女性、少数民族など幅広い層に及んでおり、社会の広範な不満が噴出している状況です。
死者数と暴力的な弾圧
人権団体IHRは1月9日時点で、少なくとも51人の抗議参加者が死亡したと報告しています。この中には18歳未満の子供9人が含まれており、数百人が負傷しています。IHRは、直接確認できた事例または2つの独立した情報源で確認できた事例のみを集計しており、実際の死者数はさらに多い可能性があります。
イラン国営テレビは、デモ参加者が暴徒化し、自動車が放火されたり、対応にあたった警察官が殺害されたりしていると報じています。イラン当局の発表では、治安部隊を含め21人が死亡したとされていますが、国際人権団体の報告とは大きな開きがあります。治安部隊は実弾を使用し、デモ参加者を強制的に鎮圧しようとしており、暴力的な弾圧が続いています。
インターネット遮断
イラン当局はデモの拡大を抑えるため、全国規模でインターネットアクセスを遮断しました。インターネット監視団体によると、イランは「全国的なインターネット遮断」を経験しており、外部世界との通信が事実上遮断されている状態です。この措置により、デモの実態や被害状況の情報が外部に伝わりにくくなっており、政府による情報統制が強化されています。
デモの背景:経済危機と物価高騰
通貨リアルの暴落
今回の抗議デモの直接的なきっかけは、イラン通貨リアルの急激な下落です。デモが始まった12月28日時点で、リアルは1ドル=14万リアルまで暴落しました。これは2025年3月時点の約10.2万リアルから大幅に下落した数値です。通貨価値の急落は、輸入品の価格高騰を招き、国民生活を直撃しました。
極端なインフレーション
イラン国家統計センターによると、2025年12月のインフレ率は42.2%に達し、11月から1.8ポイント上昇しました。特に深刻なのが食料品価格の高騰で、前年比72%の上昇を記録しています。具体的には、食用油の価格が前年比で2倍以上に、卵の価格は3倍になったと報告されています。医療・医薬品の価格も50%上昇しており、国民の生活は困窮を極めています。
財政赤字と増税政策
イラン政府が2025〜2026年度予算案で提案した大幅な増税も、商人層の怒りを買いました。石油収入の減少による財政赤字を補うため、政府は税収増加を優先する方針を打ち出しましたが、これが経済的に苦しむ国民と商人の反発を招きました。バザールの商人たちは、イランの社会・経済において大きな影響力を持っており、過去の革命でも重要な役割を果たしてきました。彼らの参加は、今回のデモが単なる若者の抗議活動ではなく、社会全体の不満を反映していることを示しています。
構造的な経済問題
経済アナリストは、政府の財政・金融政策の失敗、経済政策の誤り、慢性的な財政赤字、そして継続的な国際制裁を主要因として挙げています。米国を中心とする経済制裁により、イランの石油輸出は制限され、外貨収入が大幅に減少しています。制裁は金融システムにも影響を及ぼし、国際決済が困難になるなど、経済活動全般に深刻な支障をきたしています。
トランプ大統領の介入警告
「殺りくなら介入」発言
ドナルド・トランプ米大統領(当時次期大統領)は1月5日、イラン政府に対して強い警告を発しました。「以前のように人々を殺害し始めたら、米国の強烈な打撃を受けるだろう」と述べ、イラン政府がデモ隊に弾圧を加えれば米国がイランに介入することを示唆しました。
1月9日には、さらに踏み込んだ発言をしています。「(デモ参加者を)撃たない方がいい。撃てばわれわれも撃つ」「もし彼ら(イラン政権)が過去にしたように人々を殺し始めたら、米国が介入する」と述べました。ただし「それは地上軍を投入するという意味ではなく、彼らの痛いところを徹底的に攻撃するという意味だ」と補足し、軍事介入の方法を明示しました。
イランの反応
イランの最高指導者アリ・ハメネイ師は1月9日、トランプ大統領に対して「自国の問題に集中するよう」求めました。ハメネイ師は、デモをトランプ氏の代理として公共財産を破壊する「暴徒」によるものと非難し、西側諸国によるイスラム共和国への「ソフト戦争」の一環だと主張しました。これは2022年のマハサ・アミニ抗議の際と同様の論法です。
イラン当局は、トランプ氏の発言を内政干渉として強く反発していますが、米国からの圧力により、デモへの対応がより困難になっています。過度な弾圧を行えば米国の軍事介入のリスクがあり、かといってデモを放置すれば体制批判が拡大するというジレンマに直面しています。
2022年マハサ・アミニ抗議との比較
マハサ・アミニ抗議の概要
2022年9月、22歳のマハサ・アミニがヒジャブの着用違反で風紀警察に拘束され、死亡した事件をきっかけに、イラン全土で大規模な抗議デモが発生しました。「女性、命、自由」をスローガンとするこの抗議運動は、特に女性の権利と個人の自由を求める運動として国際的な注目を集めました。2022年の抗議では500人以上が死亡し、数千人が逮捕されました。
類似点:弾圧と情報統制
2022年と2025〜2026年の抗議には、いくつかの類似点があります。第一に、政府の対応です。両方のケースで、国家は武力で対応し、多数の死者と逮捕者を出しました。第二に、SNSの役割です。X(旧Twitter)やInstagramなどのソーシャルメディアを通じて、抗議の画像がイラン国内外に急速に拡散しました。第三に、ハメネイ師の論法です。2022年にはマハサ・アミニの死について「深く心を痛めた」と述べつつも、デモを西側の陰謀とする主張を展開しました。2026年も経済的な不満を認めつつ、同様に西側のソフト戦争という論法を使っています。
相違点:きっかけと規模
一方で、重要な相違点も存在します。最大の違いは抗議のきっかけです。2022年はヒジャブ違反による女性の死という社会的・文化的な問題が発端でしたが、2025〜2026年は経済崩壊という生存に直結する問題が発端です。このため、より幅広い層が参加しています。
地理的範囲も異なります。2025〜2026年の抗議は、大都市だけでなく地方の小都市にも広がり、2022年よりも地理的に広範です。また、参加グループも学生、労働者、女性、少数民族、そしてバザールの商人と多様化しています。
イデオロギー的にも変化が見られます。2022年は改革を求める声が中心でしたが、2025〜2026年のスローガンは体制転覆を求める方向にシフトしており、一部では君主制復活を支持する声も上がっています。ただし、規模としては2022年の「女性、命、自由」抗議の方が大きかったと評価されています。
注意点と今後の展望
情報の信頼性
イランでは政府による厳しい情報統制が行われており、インターネット遮断により現地の状況を正確に把握することが困難になっています。死者数や被害状況については、人権団体と政府当局の発表に大きな開きがあり、実態はさらに深刻である可能性があります。情報を評価する際には、複数の情報源を参照し、慎重に判断する必要があります。
航空便への影響
2024年10月のイラン・イスラエル間の緊張時には、イラン発着の国際便が全面的に欠航する事態が発生しました。今回の抗議デモでも、情勢不安により航空便に影響が出る可能性があります。イランへの渡航を予定している場合は、最新の情勢を確認し、外務省の海外安全情報などを参照することが重要です。
体制の安定性
2025〜2026年の抗議は、2022年以来イランが経験する最大規模の騒乱です。BBCは「イランは近年で最も弱体化している」と報じており、抗議デモと米国の警告が体制を揺るがしています。しかし、イラン・イスラム共和国は1979年の革命以来、幾度もの危機を乗り越えてきた強靭な体制でもあります。今回の抗議が体制崩壊につながるかどうかは不透明ですが、少なくとも政権は深刻な正統性の危機に直面しています。
地域への波及
イランの不安定化は、中東地域全体に影響を及ぼす可能性があります。イランはシリア、レバノン、イエメン、イラクなど周辺国に影響力を持っており、イラン国内の混乱がこれらの国々の情勢にも波及するリスクがあります。また、イランの弱体化を機に、地域のライバル国であるサウジアラビアやイスラエルが影響力を拡大しようとする動きも予想されます。
まとめ
イランで発生している抗議デモは、物価高騰と通貨暴落という経済危機を背景に、体制批判へと発展しています。治安部隊との衝突により51人以上が死亡し、2022年のマハサ・アミニ抗議以来最大規模の騒乱となっています。トランプ米大統領の介入警告により、イラン政府は対応に苦慮しており、情勢は予断を許しません。
今回の抗議の特徴は、経済的苦境という生存に直結する問題が発端であり、バザールの商人を含む幅広い層が参加している点です。単なる若者の抗議活動ではなく、社会全体の不満が噴出していると言えます。イラン・イスラム共和国がこの危機を乗り越えられるか、それとも体制転換につながるかは、今後の政府の対応と国際情勢の展開次第です。中東情勢全体に影響を及ぼす可能性のある重要な局面として、引き続き注視する必要があります。
参考資料:
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