日本の粗鋼生産が半世紀ぶり低水準、中国デフレ輸出の影響
はじめに
日本鉄鋼連盟は2026年1月22日、2025年の国内粗鋼生産量が前年比4%減の約8,067万トンだったと発表しました。この数字は1968年度以来、約57年ぶりの低水準です。鉄は製造業の基盤であり、この生産量の落ち込みは日本の産業力の先細りを示唆しています。
背景には、中国からの鋼材「デフレ輸出」による国際市況の低迷があります。本記事では、日本の鉄鋼業が直面する課題と、日本製鉄をはじめとする大手企業が米国やインドなど成長市場へシフトを急ぐ戦略について解説します。
日本の粗鋼生産量が半世紀ぶり低水準に
2025年の生産実績と推移
2025年の粗鋼生産量は約8,067万トンで、新型コロナウイルスが直撃した2020年度(8,278万トン)をも下回る水準となりました。2024年度も前年度比4.5%減の8,295万トンと3年連続で減少しており、縮小傾向に歯止めがかかりません。
ピークだった2007年度と比較すると、生産量は約3分の2にまで減少しています。日本製鉄の今井正社長は「次の5年間では国内で数百万トンの需要減は避けられないという前提を置いた」と警戒感を示しています。
国内需要減少の構造的要因
生産量減少の背景には、構造的な国内需要の減少があります。建設市場では人手不足や資材高騰に伴う工期遅れ・計画縮小が続いています。自動車生産も勢いを欠き、人口減少に伴う内需低迷トレンドが影を落としています。
日本の鉄鋼業は、これまで国内の製造業を支える基盤産業として機能してきました。しかし、国内市場の縮小は構造的かつ不可逆的な変化であり、鉄鋼各社は事業モデルの転換を迫られています。
中国「デフレ輸出」が国際市況を圧迫
鋼材輸出の急増
中国の鋼材輸出が止まりません。建設を中心とした内需低迷にもかかわらず高水準の生産が続き、余った鉄鋼製品が国際市場になだれ込んでいます。2024年1〜6月の輸出量は5,300万トン強と前年同期比24%増加し、2015年に記録した年間1億1,000万トン規模に迫る勢いです。
中国では不動産市場の低迷で鋼材需要が大幅に減少しましたが、雇用維持などの観点から生産調整は進んでいません。その結果、過剰生産された鋼材が安値で海外に流出する構図が定着しています。
「デフレ輸出」の拡大
中国からの安価な製品流入は「デフレ輸出」と呼ばれ、国際的な問題となっています。主要品目の6割で輸出価格が下落しており、価格下落は生産資材から集積回路、食材にまで広がっています。
2025年の中国の消費者物価指数(CPI)は前年比0.0%と横ばいで、マイナスを記録した2009年以来、16年ぶりの低水準でした。需要不足や価格競争の激化でデフレ圧力が強まっており、この状況が輸出攻勢をさらに加速させています。
日本への波及
中国のデフレ輸出は日本にも影響を及ぼしています。日本政府のダンピング(不当廉売)調査は2025年8月までに4件に達し、WTO協定のルールができた1995年以降で最多となりました。
中国商務省は2025年12月、2026年1月から一部の鉄鋼製品の輸出を許可制にすると発表しました。国際的な批判に対応する姿勢を見せていますが、対象は粉状の合金鋼など限定的な品目にとどまっています。
日本鉄鋼大手の海外シフト戦略
日本製鉄のUSスチール買収完了
日本製鉄は2025年6月、米国の老舗鉄鋼メーカー・USスチールの買収を完了しました。投資額は142億ドル(約2兆円超)で、USスチールは日本製鉄の完全子会社となりました。
当初はバイデン前大統領が対米外国投資委員会(CFIUS)の審査を経て取引禁止を命じましたが、トランプ大統領就任後に再審査が指示され、2025年6月に買収が認められました。買収とは別に、2028年までに約110億ドルの設備投資も米政府にコミットしています。
具体的には、インディアナ州ゲーリー製鉄所にある「第14高炉」(粗鋼生産能力750万トン、USスチール最大)の改修に約550億円を投じることが発表されています。
インドへの大規模投資
日本の鉄鋼各社はインド市場への投資も加速させています。日本製鉄は2022年にインド合弁会社に1兆円の投資を決定しました。
JFEスチールもインドでの事業を強化しています。2024年8月には持分法適用会社のJSWスチールと電磁鋼板製造の増強に両社合計約1,200億円を投じると発表。12月には高炉還元から鋼材生産までを一貫して手がける折半出資会社の設立に約2,700億円を出資することを決めました。
グローバル成長戦略の全体像
日本製鉄は2025年12月に中長期経営計画を公表し、2030年度までの5年間で6兆円を投資すると発表しました。うち4兆円はUSスチールやインドなど海外に振り向け、初めて海外投資が国内を上回ります。
橋本英二会長は、粗鋼生産量を今後10年で現在の6割増となる1億トン規模に引き上げる計画を明らかにしています。米国だけでなくインドや欧州など世界各地で増産を目指す方針です。
今後の課題と展望
国内製造業への影響
鉄鋼は製造業の基盤素材であり、一定の国内生産規模がなければ日本の産業力が先細りするリスクがあります。自動車、建機、造船など多くの産業が国内で安定的に鋼材を調達できることを前提としてきました。
しかし、日本製鉄などが海外シフトを進める中、国内製鉄所の統廃合は避けられない情勢です。地方経済や雇用への影響も懸念されます。
中国リスクへの対応
中国の過剰生産と輸出攻勢は構造的な問題であり、短期的な解消は見込めません。日本の鉄鋼各社は、中国と競合しにくい高付加価値製品へのシフトと、成長市場での需要地生産を両輪として進めています。
特に電磁鋼板(EVモーターの心臓部)や高張力鋼板(自動車の軽量化に必要)など、高度な技術力を要する製品での競争力維持が鍵となります。
まとめ
日本の粗鋼生産量が約半世紀ぶりの低水準に落ち込んでいます。中国からのデフレ輸出による市況低迷と、人口減少に伴う国内需要の構造的減少が重なり、鉄鋼業は転換期を迎えています。
日本製鉄をはじめとする大手各社は、USスチール買収やインドへの大規模投資など、成長市場へのシフトを急いでいます。国内生産は縮小を余儀なくされますが、グローバルでの規模確保と高付加価値製品へのシフトにより、日本の鉄鋼産業の競争力維持を図る戦略です。
鉄鋼業の動向は、製造業全体の基盤に関わる問題です。今後の産業構造の変化を注視する必要があります。
参考資料:
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