三菱ケミカルGがコークス事業撤退、850億円損失の背景
はじめに
三菱ケミカルグループは2026年2月2日、製鉄用コークスおよび炭素材事業からの完全撤退を正式に発表しました。2027年度下期に生産を終了し、撤退に伴う非経常損失として約850億円を2026年3月期に計上する見込みです。
コークスは高炉製鉄に不可欠な原料であり、三菱ケミカルの香川事業所(香川県坂出市)は1969年の操業開始以来、半世紀以上にわたって製鉄用コークスを供給してきました。今回の撤退決定は、中国を中心とした世界的な供給過剰が構造的に解消される見通しが立たないことが最大の要因です。
本記事では、撤退の背景にある市場環境の変化、損失の内訳、そして三菱ケミカルグループが進める大規模な事業ポートフォリオ改革の全体像を解説します。
コークス事業撤退の背景と市場環境
中国発の供給過剰が構造化
今回の撤退決定の最大の要因は、中国における鉄鋼・コークスの過剰生産問題です。中国の鉄鋼業は不動産バブル期に生産能力を大幅に拡大しましたが、不動産市場の低迷により国内需要が急減しました。2024年1〜2月の粗鋼生産量は1億6,800万トンに対し、消費量は1億5,300万トンにとどまり、明らかな供給過剰となっています。
この余剰分は輸出に向かい、2024年1〜3月の鉄鋼輸出量は前年比28.5%増の2,580万トンに達しました。一方で輸出価格は19.1%も下落しており、世界的な鉄鋼価格の低迷を招いています。鉄鋼生産に不可欠なコークスの市況も連動して悪化し、海外コークス市況の低迷が長期化する構造となっています。
インドネシアの新規設備稼働も追い打ち
中国に加え、インドネシアでも大規模なコークス関連設備の新規稼働が進んでおり、世界的な供給過剰に拍車をかけています。三菱ケミカルは自社コークスの品質優位性をもってしても、この構造的な市況低迷のなかで中長期的な成長を実現することは困難と判断しました。
炭素事業の赤字拡大
三菱ケミカルの炭素事業は、2024年3月期の売上収益が前年同期比17%減の3,037億円となり、コア営業利益は194億円の赤字に転落していました。事業環境の悪化は一時的なものではなく、構造的な問題であるとの認識が撤退決定を後押ししました。
約850億円の損失の内訳と影響
損失計上のスケジュール
撤退に伴う非経常損失の合計は約850億円と見込まれています。このうち約190億円は2026年3月期第3四半期決算で計上し、残りの約660億円は同第4四半期で見積計上する予定です。この損失額は従来の業績予想には織り込まれていないため、通期業績の大幅な下方修正が避けられない状況です。
生産停止のタイムライン
コークスの生産は2027年度下期に停止する予定です。三菱ケミカルはすでに2024年8月に香川事業所の生産能力を4割削減する方針を発表しており、年間約250万トンの生産能力のうち4割に相当する設備を2025年3月末までに停止しています。今回の発表は、残りの生産設備も含めた完全撤退を意味します。
ニードルコークス・ピッチコークスも対象
撤退の対象は製鉄用コークスだけでなく、電炉用電極材料であるニードルコークスやピッチコークスなどの炭素材も含まれます。香川事業所で培われてきた炭素関連技術の多くが対象となる大規模な事業整理です。
三菱ケミカルGの事業ポートフォリオ改革
30件・4,000億円規模の非中核事業整理
今回のコークス事業撤退は、三菱ケミカルグループが進める大規模な事業ポートフォリオ改革の一環です。同社は2030年3月期までに売上収益ベースで約4,000億円相当、約30件の非中核事業からの撤退・売却を進める方針を掲げています。
筑本学社長は「半年以内に再建の見込みが立たない事業は撤退する」という明確なルールを設けており、全事業を対象にスクリーニングを実施しています。ケミカルズ事業の売上収益ベースで約2割をノンコア事業として整理・売却対象としています。
直近の撤退・売却事例
三菱ケミカルグループは近年、矢継ぎ早に非中核事業からの撤退を進めてきました。
- 関西熱化学の売却(2024年10月):製鉄用コークスを手がける子会社の保有株式全てを神戸製鋼所に売却
- 繊維事業の売却(2024年):GSIクレオスへの事業譲渡
- 繊維染色加工事業の撤退:子会社トーセンの全事業を2026年3月末で終了
- ペットボトル事業の撤退:2025年12月末で製造終了、2026年3月末で販売終了
成長領域へのシフト
構造改革の目的は、経営資源を成長領域に集中させることにあります。三菱ケミカルグループは半導体材料(封止材・層間絶縁フィルム)や高機能エンジニアリングプラスチックなどを重点分野と位置づけています。筑本社長は「来期(2026年度)は攻めが9割、守りが1割という風に大きくかじを切りたい」と語っており、2025年度で大規模な構造改革に区切りをつけ、2026年度から成長戦略に本格的に舵を切る方針です。
注意点・展望
地域経済への影響
香川事業所は坂出市の主要な雇用拠点の一つです。三菱ケミカルは2024年の生産能力削減時に「従業員は事業所内で再配置する」方針を示していましたが、今回の完全撤退ではより大規模な人員の再配置が必要になります。地域経済への影響は注視が必要です。
鉄鋼業界への供給体制
日本国内のコークス供給体制にも変化が生じます。三菱ケミカルから神戸製鋼所に売却された関西熱化学は引き続きコークスを供給しますが、香川事業所の生産停止により、国内のコークス供給量は減少します。鉄鋼メーカー各社は調達先の見直しを迫られる可能性があります。
業績への短期的影響と長期的な改善期待
約850億円の損失計上は短期的には業績を大きく圧迫しますが、赤字事業からの撤退により中長期的な収益改善が期待されます。市場もこの改革姿勢を評価しており、株価は高値水準を維持しています。
まとめ
三菱ケミカルグループのコークス事業撤退は、中国の鉄鋼過剰生産に起因する構造的な市況低迷が背景にあります。約850億円という大きな損失を伴いますが、同社が掲げる約4,000億円規模の非中核事業整理の一環として、成長領域への経営資源の集中を加速させる狙いがあります。
投資家にとっては、短期的な損失計上による業績への影響と、中長期的な事業ポートフォリオ改善の効果を見極めることが重要です。また、香川県坂出市をはじめとする地域経済への影響や、国内鉄鋼業界のコークス調達体制の変化にも注目が集まります。
参考資料:
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