経産省が企業買収指針の再検討へ、株主優先主義に歯止め
はじめに
経済産業省が企業買収の行動指針の再検討に向けて動き出しています。2023年8月に策定された「企業買収における行動指針」は、M&A(合併・買収)の活性化を目指し、買収提案に対する「真摯な検討」を企業に求めてきました。
しかし、この指針がアクティビスト(物言う株主)の過度な活動を後押しし、買収価格ばかりが重視されて企業の中長期的な成長が軽視されているのではないかとの懸念が浮上しています。本記事では、現行指針の概要、アクティビストの活動実態、そして再検討の方向性について解説します。
現行の企業買収指針とは
指針策定の背景と目的
経済産業省は2022年11月に「公正な買収の在り方に関する研究会」を立ち上げ、2023年8月31日に「企業買収における行動指針」を策定・公表しました。この指針は、企業価値を高め株主の利益になるM&Aの活性化を目指しています。
日本市場の課題として、PBR(株価純資産倍率)が1倍を割っている企業の多さが挙げられます。東証株価指数(TOPIX)500構成銘柄のうち、PBR1倍割れの企業は約43%に上ります。M&Aは低PBR企業を淘汰し、強い企業群をつくるための有効な手段と位置付けられています。
3つの原則
指針では、企業買収において尊重されるべき3つの原則が示されています。第一に「企業価値・株主共同の利益の原則」で、買収が企業価値や株主共同の利益を確保・向上させるかを基準に判断すべきとしています。
第二に「株主意思の原則」で、経営支配権に関わる事項は株主の合理的な意思に依拠すべきとしています。第三に「透明性の原則」で、株主判断のための情報が買収者と対象会社から適切に提供されるべきとしています。
「真摯な検討」の求め
指針の核心は、「真摯な買収提案」に対して取締役会が「真摯な検討」を行うことを求めている点です。具体性・目的の正当性・実現可能性のある買収提案に対しては、買収後の経営方針、買収価格等の妥当性、買収者の資力や経営能力、買収の実現可能性などを検討することが求められています。
アクティビストの活動が活発化
日本市場はアクティビスト天国
日本企業を対象に株式を取得して株主提案を行うアクティビスト数は、2024年に73社と5年間で8割増加しました。日本株への投資額は9兆7000億円に達し、同期間で2倍になっています。
日本株を投資対象とするヘッジファンドのリターンは世界平均の1.7倍に達しており、「日本はアクティビスト天国」とも呼ばれる状況です。東証のPBR1倍割れ銘柄の改善要請に乗じる形で、物言う株主の活動が活発化しています。
株主提案件数は過去最高を更新
2024年6月の株主総会シーズンで株主から提案を受けた企業数は113社と過去最高を更新しました。アクティビスト投資家等による株主提案は59社と高水準で推移しています。
提案内容の内訳を見ると、資本効率の改善などバランスシート関連が約4割、持ち合い株の解消などガバナンス関連が約3割を占めています。従来の主なターゲットはPBR1倍未満の企業でしたが、2025年にはPBR1倍超かつ時価総額1,000億円以上の企業も対象に含まれるようになっています。
具体的な事例
3Dインベストメントはサッポロホールディングスの筆頭株主として約19.6%を保有し、ガバナンス改善と不動産事業の早期分離を主張しています。エリオット・マネジメントは2024年6月にソフトバンクグループ株を約20億ドル相当取得し、1.5兆円規模の自社株買い実施を要求しました。
さらに2025年9月には関西電力へ4〜5%出資し、非中核資産2兆円の売却と増配を提案しています。香港のオアシス・マネジメントは京セラに対して大規模な自社株買いや一部の不採算事業撤退など7つの提案を行っています。
指針が抱える課題
価格重視で成長戦略が軽視される懸念
現行指針に対しては、買収価格が重視されるあまり、買収後の企業の中長期的な成長が軽視されているのではないかという懸念があります。「真摯な検討」の義務付けが、アクティビストの手荒い行動を後押しする結果になっているとの指摘もあります。
買収提案の評価において、短期的な株価上昇や配当増加といった財務的リターンが優先され、従業員の雇用維持、技術開発への投資、サプライチェーンとの関係といった非財務的要素が十分に考慮されないケースが問題視されています。
企業の説明責任と防衛策のジレンマ
買収提案を受けた企業は、株主に対して提案の是非について説明する責任を負います。しかし、真摯な買収提案を正当な理由なく拒否することは困難になっており、企業が中長期的な成長戦略を重視した判断を行う余地が狭まっているとの声があります。
2025年には、有力な大規模上場会社が他社に対して同意なき買収を仕掛け、対象会社が導入した買収対抗措置が司法の場で争われる事案も発生しました。企業防衛と株主利益のバランスをどう取るかは依然として難しい課題です。
ステークホルダーへの配慮
株主以外の利害関係者の重要性
企業経営においては、株主だけでなく、従業員、顧客、取引先、地域社会といった多様なステークホルダーへの配慮が重要です。特定のステークホルダーを優遇し、それ以外を軽視すると、信頼の喪失や評判の低下につながる可能性があります。
株主の利益を優先するあまり、従業員の待遇改善や地域社会との協力を怠ると、企業の持続的な成長に悪影響を及ぼすとされています。M&Aにおいては、従業員、取引先、金融機関への配慮が必要で、情報の伝え方やタイミングが重要なポイントとなります。
ステークホルダー資本主義の潮流
2019年8月、米国のビジネス・ラウンドテーブルが「企業の目的に関する声明」を公表し、ステークホルダー資本主義の考え方を企業の目的として明記しました。欧州でも政策面にこの考え方が反映されるなど、世界的に重要性が高まっています。
日本のコーポレートガバナンス・コードでも、株主を含む様々なステークホルダーとの関わりが重視されています。企業統治の観点からも、株主利益だけでなく、多様な利害関係者との連携の重要性が認識されつつあります。
制度改正の動向
2026年5月のTOB規制改正
2026年5月1日には、TOB(株式公開買付け)規制および大量保有報告制度の改正に係る金融商品取引法改正が施行されます。この改正により、買収に関するルールがより明確化され、市場の透明性向上が期待されています。
大量保有報告制度については、提出遅延の問題や保有目的、共同保有者の記載ぶりを徹底し、制度の実効性を確保する必要性が議論されてきました。アクティビストの株式取得行動に対する監視強化も課題の一つです。
企業買収指針の再検討ポイント
経産省による指針再検討では、買収価格だけでなく買収後の成長戦略や従業員への影響なども総合的に評価する枠組みの構築が論点になると見られます。また、企業が買収提案を拒否する場合の説明責任のあり方についても、より具体的な指針が示される可能性があります。
一方で、M&A市場の活性化という本来の目的を損なわないよう、バランスの取れた見直しが求められます。過度な規制強化は、企業再編を通じた日本企業の競争力向上という政策目標と矛盾する可能性があるためです。
今後の見通し
アクティビスト活動はさらに拡大へ
専門家の間では、日本のアクティビスト活動はまだ欧米の2〜3割の水準であり、さらに増える可能性があるとの見方が示されています。2026年のM&A市場は、2025年の「買収提案元年」の流れを引き継ぎ、年間5,000件超の高水準が続くと想定されています。
PEファンドやアクティビスト・ファンドの存在感は今後もますます大きくなる見込みです。企業には、こうした動きに対応した経営体制の構築が求められています。
企業に求められる対応
上場企業においては、アクティビスト投資家による企業価値向上に向けた検討要求が強まる中、従来以上に説明責任が高まっています。資本効率が改善されていても、キャッシュアロケーション(配当・投資のバランス)が不十分と判断されれば、株主提案の対象となる可能性があります。
企業には、中長期的な成長戦略を明確に示し、株主を含む多様なステークホルダーとの対話を深めることが重要です。
まとめ
経産省による企業買収指針の再検討は、株主利益の追求と企業の持続的成長のバランスをどう取るかという根本的な問いに向き合う作業となります。アクティビストの活発な活動はM&A市場の活性化に貢献する一方、短期的な利益追求が企業の中長期的な価値創造を阻害するリスクも指摘されています。
今後の指針見直しでは、買収価格だけでなく、従業員や取引先といったステークホルダーへの影響、買収後の成長戦略なども含めた総合的な評価の枠組みが求められるでしょう。企業には、こうした環境変化を踏まえた戦略的な対応が必要です。
参考資料:
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