東京コスモス電機TOB問題、株価算定への圧力が発覚
はじめに
企業買収において、株価算定は極めて重要なプロセスです。買収価格が適正かどうかを判断する基準となり、株主の利益を守る最後の砦ともいえます。しかし、その算定プロセスに経営陣が不当な圧力をかけていたら、どうなるでしょうか。
電子部品メーカーの東京コスモス電機で、まさにそのような事態が明らかになりました。2025年12月に公表された特別調査委員会の報告書は、旧経営陣がTOB(株式公開買付け)を巡り、意図的に株価バリュエーションを下げるよう算定機関に圧力をかけていたと認定しました。
こうした行為が明るみに出るのは極めて珍しく、日本のM&A市場におけるガバナンスの課題を浮き彫りにする事例として注目を集めています。本記事では、この問題の全容と背景、そして今後の教訓を解説します。
事件の経緯
アクティビストの参入と経営権争い
事の発端は2023年9月、シンガポール籍の投資ファンド「スイスアジア・フィナンシャル・サービシズ(SAFS)」が東京コスモス電機の株式を取得し、大量保有報告書を提出したことでした。SAFSはエンゲージメント投資を標榜する機関投資家で、UBS証券やローン・スター日本法人などに勤務経験のある門田泰人氏が最高投資責任者(CIO)を務めています。
その後、第2位株主の成成(東京・江戸川区)も株式を集め、2025年6月の株主総会までに、SAFSが株式の20%以上、成成が15%以上を保有する状態となりました。複数のアクティビストが同時に動く「群がり型(スウォーミング)」と呼ばれる構図が形成されたのです。
株主総会での経営陣交代
2025年6月24日、神奈川県相模原市で開かれた株主総会で劇的な事態が起きました。会社側が提案した社長を含む取締役5名の選任議案は、賛成率が過半に届かず否決されました。一方、アクティビスト側が提案した取締役8名の選任議案は全員可決され、監査等委員を除く取締役が丸ごと入れ替わる異例の事態となりました。
新社長にはSAFSの責任者である門田泰人氏が就任。アクティビストファンドの責任者が上場企業の社長に就くという、日本では極めて珍しいケースとなりました。
特別調査委員会の発見
意図的な株価引き下げ工作
新経営陣は就任後、旧経営陣の行動について特別調査委員会を設置し調査を実施しました。2025年12月4日に公表された報告書は、衝撃的な内容でした。
旧経営陣は、米国の電子部品メーカー「Bourns, Inc」によるTOBを推進していました。価値算定機関が5年計画をベースにDCF法(ディスカウントキャッシュフロー法)で株式価値を計算したところ、理論株価の下限は8,058円と算出されました。
ところが、Bourns, IncのTOB提示額は7,100円にすぎませんでした。このままでは経営陣が賛同の意思を示すことができない状況に陥ります。
算定機関への圧力
ここで旧経営陣とファイナンシャル・アドバイザー(FA)が取った行動は、報告書によれば「常軌を逸していた」とされています。算定機関に対し「5年計画ではなく3年計画で算定せよ」と繰り返し要求したのです。
3年計画で算定すれば理論株価の下限は6,955円に下がり、Bourns, Incの提示額がレンジ内に収まります。つまり、TOBへの賛同を正当化できるようになります。
内部メールには、FAや旧経営陣による生々しい文言が記録されていました。「3年間valuation要求に応じないのは契約不履行に値する」「支払いはしない」「どいつもこいつも余計なことしやがって」「落としどころにe社を導くことです」といった内容です。
隠された対抗提案
問題はそれだけではありませんでした。別の企業から8,300円という、Bourns, Incを上回る買収提案が2025年6月20日に提示されていたのです。
しかし旧経営陣はこの提案への対応を遅らせ、株主総会(6月24日)の時点で株主にこの情報を開示しませんでした。株主は「より高い価格での買収提案がある」という重要な判断材料を知らされないまま、議決権を行使することになりました。
ガバナンスの崩壊
取締役会の機能不全
報告書によれば、取締役会ではBourns, Incとの統合の合理性が十分に議論されず、自力成長や代替案の検討もほとんど行われていませんでした。取締役会が本来果たすべき監督機能が形骸化していたことがうかがえます。
特別委員会がTOB価格に否定的な暫定答申を示した際、元専務が「意味不明」「AIが出すような答えだ」と発言した場面も記録されています。独立した立場からの意見を軽視する姿勢が表れています。
法的責任の可能性
調査委員会は最終的に、旧経営陣(特に元社長、元専務)やFAが会社法423条に基づく任務懈怠責任を問われる可能性を示唆しました。より高い買収価格が提示されていたにもかかわらず、それを株主に知らせる機会を奪っていた点は、損害賠償請求の対象になり得るとしています。
TOBにおける株価算定の重要性
公正な価格決定のプロセス
TOB(株式公開買付け)において、買付価格の決定は最も重要なプロセスの一つです。公開買付届出書では通常の取引よりも厳格な情報開示が求められ、その範囲は公開買付価格の算定根拠にも及びます。
対象会社側も、株主の利益を保護する観点から意見を表明する場合には、その根拠を意見表明報告書に記載する必要があります。算定機関による独立した評価は、このプロセスの公正性を担保する重要な役割を果たしています。
プレミアムの一般的な水準
TOBプレミアム(市場価格に対する上乗せ幅)は一般的に20%〜50%で設定されることが多いとされています。プレミアムの根拠としては、買収後のシナジー効果、経営改善によるアップサイド、知的財産など貸借対照表に計上されない無形資産への評価、過半数取得によるコントロール・プレミアムなどが挙げられます。
東京コスモス電機のケースでは、Bourns, Incの提示額7,100円は、より高い価格を提示していた対抗企業の8,300円と比較して約15%低い水準でした。
今後の教訓と展望
アクティビストによる監視機能
今回の事案は、アクティビストが経営権を獲得したことで初めて発覚しました。従来の株主構成のままでは、こうした不正行為は闇に葬られていた可能性があります。
門田新社長は就任後、2031年3月期を最終期とする5カ年の中期経営計画を発表し、「アジアでナンバーワンの可変抵抗器メーカーにする」という目標を掲げています。アクティビストが実際に経営を担うケースは日本では珍しく、その成果に注目が集まっています。
M&A市場への影響
日本では米国に比べて敵対的TOBの成功率が低く、件数も多くありません。しかし近年、再び敵対的TOBの件数が増え始めており、株主の目も厳しくなっています。
東京コスモス電機の事例は、TOBプロセスにおける株価算定の公正性と、独立した第三者による監視の重要性を改めて示しました。算定機関への圧力という行為が明るみに出たことは、類似の行為への抑止力となる可能性があります。
コーポレートガバナンスの課題
報告書は、取締役会や特別委員会が本来の機能を果たしていなかったことを指摘しています。独立取締役による監督、利益相反の適切な管理、株主への適時適切な情報開示など、コーポレートガバナンスの基本原則が守られていませんでした。
今後、上場企業においては、M&A案件における意思決定プロセスの透明性確保がより一層求められることになるでしょう。
まとめ
東京コスモス電機のTOB問題は、日本のM&A市場におけるガバナンスの脆弱性を浮き彫りにしました。旧経営陣による株価算定への圧力、対抗提案の隠蔽、取締役会の機能不全など、複数の問題が重なっていました。
この問題がアクティビストによる経営権獲得後に発覚したことは皮肉ですが、同時に株主によるモニタリングの重要性を示しています。
TOBにおける株価算定は、株主の利益を守る重要なプロセスです。今回の事例を教訓に、算定プロセスの独立性と透明性の確保が、日本のM&A市場全体の課題として認識されることが期待されます。
参考資料:
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