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by nicoxz

ニューヨーク「家賃凍結」で揺れる市民の本音

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はじめに

2026年1月1日、ニューヨーク市に新しい市長が誕生しました。ゾーラン・マムダニ氏は、第112代市長として史上初のムスリム市長となり、同時にアジア系アメリカ人初の市長でもあります。民主社会主義者を自認するマムダニ氏の最大の公約は「家賃凍結」でした。この政策は、高騰する生活費に苦しむ一般市民から熱烈な支持を得た一方で、大家や不動産業界からは強い反発を招いています。

ニューヨーク市の住宅危機は深刻です。2023年の中央値家賃は月額3,500ドル(年間42,000ドル)という記録的な高さに達し、家賃負担にならないためには世帯年収14万ドル以上が必要とされています。これは市の中央値所得のほぼ2倍に相当します。この記事では、マムダニ市長の家賃凍結政策の実現可能性と、それが市民生活や不動産市場にもたらす影響について詳しく解説します。

ニューヨーク市の住宅危機の実態

深刻な家賃負担率

ニューヨーク市では、賃貸世帯の52.1%が家賃負担(所得の30%以上を家賃に支出)の状態にあります。特に低所得層への影響は深刻で、極めて低い所得層(ELI:Extremely Low Income)の約82万世帯のうち、73%が重度の家賃負担(所得の50%以上を家賃に支出)に直面しています。

家賃安定化制度(rent-stabilized)の対象となっている賃貸住宅でさえ、入居者の46%が家賃負担の状態にあり、所得が地域中央値の50%未満の入居者に限れば、実に84%が家賃負担に苦しんでいます。これは、既存の家賃規制制度があっても、多くの市民が住居費の支払いに困窮している現実を示しています。

記録的な低空室率

ニューヨーク市の住宅市場は極度の供給不足に陥っています。2023年の家賃安定化物件の空室率は1%未満、月額1,100ドル以下の物件では0.4%未満という極めて低い水準です。市全体の空室率も1.4%と、1968年に統計を取り始めて以来最低の数字を記録しました。

一方で、皮肉なことに、ニューヨーク市には約5万戸の空き家が存在します。ニューヨーク市家賃ガイドライン委員会の2025年報告書によれば、これらの物件は運営コストや改修費用を法的に認められた家賃で回収できないため、賃貸されずに放置されているとのことです。

マムダニ市長の家賃凍結政策

政策の概要

マムダニ氏は選挙戦において、家賃規制対象の入居者約200万人の家賃凍結、無償保育制度の創出、市営バスの高速化と無料化を公約に掲げました。特に家賃凍結は、物価上昇に苦しむ一般市民の心を強くつかみ、前州知事アンドリュー・クオモ氏を破る原動力となりました。

ニューヨーク市には、家賃規制や安定化の対象となる物件が100万戸以上存在します。2023年住宅・空室調査によれば、996,600戸の家賃安定化アパートがあり、これは市内の全賃貸アパートの10戸のうち4戸以上に相当します。順調に進めば、2026年10月更新分から家賃を据え置くことも理論上は可能とされています。

実現への道筋と障害

家賃凍結を実際に決定するのは、毎年更新率を定める家賃ガイドライン委員会(Rent Guidelines Board)です。この委員会は9名のメンバーで構成され、全員が市長によって任命されます。内訳は、入居者代表2名、オーナー代表2名、一般公衆代表5名(議長を含む)です。

マムダニ市長には委員構成を変える権限があり、ゼロ%更新を実現できる環境に近づいています。ただし、前市長エリック・アダムス氏は退任直前の2025年12月に4名の委員を任命・再任命しており、これがマムダニ氏の政策実現を1年以上遅らせる可能性があると指摘されています。それでも、遅くとも2026年秋までには、ビル・デブラシオ政権以来となる家賃凍結が実現する見込みが高いと言われています。

就任初日の住宅対策

マムダニ市長は就任式の直後に、入居者保護と住宅開発を加速させるための3つの大統領令を発表しました。その内容は、市長直属の入居者保護オフィスの再活性化と、2つのタスクフォースの設置です。

LIFT(Land Inventory Fast Track)タスクフォースは、市所有地を活用して住宅開発を加速させ、2026年7月1日までに住宅開発に適した土地を特定することを目標としています。SPEED(Streamlining Procedures to Expedite Equitable Development)タスクフォースは、コストを押し上げ住宅建設を遅らせる官僚的・許可手続き上の障壁を特定・除去することを目指しています。

家賃規制をめぐる賛否両論

入居者側の期待

家賃凍結政策は、物価上昇に苦しむ多くのニューヨーカーに希望を与えています。特に、収入の大半を家賃に費やしている低所得層にとっては、生活を維持するための重要な救済策と受け止められています。マムダニ氏の就任を歓迎する市民からは、「経済的な負担が減ることを望む。家賃凍結が実現されれば、3〜4年で数千ドルの節約になる」といった声が聞かれます。

コミュニティ・サービス・ソサエティ・オブ・ニューヨークは、家賃ガイドライン委員会のデータが2025年の家賃凍結を支持していると証言しています。入居者の経済状況が厳しい中で、家賃の据え置きは正当化されるという主張です。

大家・不動産業界の懸念

一方、大家や不動産業界の専門家からは、家賃凍結がもたらす長期的な悪影響について強い懸念が表明されています。特に小規模な大家への影響は深刻です。数戸のユニットしか所有せず、賃貸収入を生活の糧としている小規模大家は、インフレに応じて家賃を引き上げることができなければ、財政的に持続不可能になります。

2019年の住宅安定化・入居者保護法(HSTPA)は、ニューヨークの賃貸市場を劇的に変化させ、家賃の引き上げを厳しく制限し、家主が自己の物件を取り戻したり再利用したりすることをほぼ不可能にしました。この法律の影響で、多くの小規模大家は損失に耐えきれず、大規模な投資会社に物件を売却するか、法的な複雑さを避けるためにユニットを空室のまま放置しています。

経済学的な視点からの批判

経済学者の多くは、家賃規制が長期的には意図した効果と正反対の結果をもたらすと指摘しています。セントルイス連邦準備銀行の研究によれば、家賃規制は賃貸不動産投資の収益を抑制し、投資家が住宅の供給や質を向上させるインセンティブを低下させます。

16の先進国における1910年から2016年までの長期データを用いた研究では、より制限的な賃貸市場規制は、一般的に新規住宅建設と住宅投資の両方に悪影響を及ぼすことが示されています。サンフランシスコの1995年から2012年までの研究では、小規模な住宅提供者に家賃規制を拡大した結果、新たに規制された建物の賃貸人数が15%減少しました。この減少の多くは、ユニットがコンドミニアムに転換されたり取り壊されたりしたことが原因であり、結果的に市全体の家賃が7%上昇することにつながりました。

家賃規制は短期的には現在の入居者の支払能力を助けるように見えますが、長期的には支払能力を低下させ、ジェントリフィケーション(高級化)を促進し、周辺地域に負の外部効果をもたらすという研究結果もあります。家賃規制はサンフランシスコのジェントリフィケーションに実際に貢献しており、これは政策の意図した目標とは正反対の結果です。

今後の展望と課題

家賃凍結実現の可能性

マムダニ市長が家賃凍結を実現できるかどうかは、家賃ガイドライン委員会の構成次第です。前市長アダムス氏が任命した委員が反対する可能性はありますが、マムダニ氏は時間をかけて自身の支持者を委員に任命することができます。専門家の多くは、遅くとも2026年秋までには家賃凍結が実現すると予測しています。

ただし、家賃凍結は一時的な救済策に過ぎず、ニューヨーク市の住宅危機の根本的な解決にはなりません。空室率が1%台という極度の供給不足を解消しない限り、住宅価格の上昇圧力は続きます。

住宅供給増加の必要性

マムダニ市長が設置したLIFTタスクフォースとSPEEDタスクフォースは、住宅供給の増加を目指しています。市所有地の活用や規制緩和によって、新規住宅建設を加速させることができれば、長期的な住宅危機の緩和につながる可能性があります。

しかし、家賃規制と住宅供給の増加は、ある意味で矛盾する政策です。家賃規制が厳しくなるほど、開発業者や投資家は新規住宅建設への投資を控える傾向があります。マムダニ市長は、この矛盾をどう乗り越えるかが問われることになるでしょう。

民主社会主義的アプローチの実験

マムダニ市長は、「民主社会主義者として選ばれ、民主社会主義者として統治する。急進的とみなされることを恐れて自分の原則を放棄しない」と就任演説で述べました。彼の政策は、公共企業、労働者所有の協同組合、コミュニティ・ランド・トラストといった形での社会的所有の拡大を支持しています。

この民主社会主義的なアプローチが、ニューヨーク市の住宅危機にどのような影響を与えるかは、今後数年間の重要な実験となります。成功すれば、他の都市の住宅政策にも影響を与える可能性があります。失敗すれば、家賃規制の限界が改めて明らかになるでしょう。

まとめ

ニューヨーク市のゾーラン・マムダニ新市長が掲げる家賃凍結政策は、住宅費の高騰に苦しむ市民に希望を与える一方で、不動産市場や長期的な住宅供給に深刻な影響を及ぼす可能性があります。経済学的な研究は、家賃規制が短期的には現在の入居者を保護するものの、長期的には住宅供給を減少させ、かえって住宅危機を悪化させる可能性を示唆しています。

マムダニ市長の真の課題は、家賃凍結という短期的な救済策と、住宅供給の増加という長期的な解決策をいかに両立させるかです。LIFTタスクフォースとSPEEDタスクフォースによる住宅開発の加速が成功すれば、ニューヨーク市は住宅危機から抜け出す道筋を見出せるかもしれません。

ニューヨーク市の住宅政策は、全米の他の都市にとっても重要な先例となります。高い家賃負担に苦しむのはニューヨーク市だけではなく、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ボストンなど、多くの大都市が同様の課題に直面しています。マムダニ市長の実験的な政策が成功するか失敗するかは、今後の米国の住宅政策の方向性を左右する可能性があります。

参考資料:

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