プーチン氏が盟友ベネズエラを見捨てた理由、ウクライナ優先の外交戦略
はじめに
2026年1月3日、米軍がベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領を拘束し、国外に移送するという衝撃的な出来事が起きました。かつて「戦略的パートナー」としてロシアとの連帯を誇示してきたマドゥロ政権は、わずか30分足らずで崩壊しました。
しかし、プーチン大統領の反応は驚くほど抑制的でした。ロシア外務省は「深刻な懸念と非難」を表明し、マドゥロ氏の解放を要求しましたが、プーチン氏本人は沈黙を守り続けています。
この沈黙の背景には、ウクライナ戦争の終結を最優先課題とするロシアの戦略的判断があります。本記事では、プーチン氏がなぜ盟友ベネズエラを「見捨てた」のか、その外交戦略と国際秩序への影響について解説します。
ロシアとベネズエラの関係史
チャベス時代からの連帯
ロシアとベネズエラの緊密な関係は、ウゴ・チャベス大統領時代に遡ります。反米路線を掲げるチャベス氏にとって、ロシアは理想的なパートナーでした。両国は軍事・経済面で急速に関係を深め、ベネズエラは中南米におけるロシアの最重要同盟国となりました。
ベネズエラ軍は、ロシア製のSu-30MK2戦闘機、Mi-17、Mi-35、Mi-26ヘリコプター、T-72戦車などを導入。10万丁のAK-103自動小銃の購入契約も結ばれました。2011年には、ロシアの副首相が駆けつけ、40億ドルの武器購入ローンをまとめるほどの蜜月関係でした。
エネルギー協力と経済的結びつき
世界最大級の原油埋蔵量を誇るベネズエラは、エネルギー分野でもロシアの重要なパートナーでした。ロシアの国営石油会社ロスネフチは、オリノコ・ベルトやマラカイボ湖での共同事業に参画し、2016年にはベネズエラの石油流通会社シトゴの株式49.9%を15億ドルで取得しました。
2024年の二国間貿易額は約2億ドルに達し、2025年10月には「戦略的パートナーシップ」が正式に締結されました。金融面でも、ベネズエラは2023年8月からロシアのMir決済システムを導入するなど、米国の制裁を回避するための協力関係を構築してきました。
戦略的パートナーシップの締結
2025年5月、プーチン大統領とマドゥロ大統領はモスクワで会談し、「戦略的パートナーシップ」を締結しました。政治経済、安全保障、エネルギー開発など多岐にわたる分野での協力を約束し、国際舞台での連携、特に国連での協調行動にも合意しました。
同年12月の電話会談では、米国の軍事的圧力を受けるマドゥロ氏に対し、プーチン氏は「連帯と支持」を伝えていました。わずか1カ月後、その「連帯」は試されることになります。
プーチン氏の沈黙の理由
ウクライナ優先の外交姿勢
専門家の多くは、プーチン氏の抑制的な反応の背後に、ウクライナ戦争の終結という最優先課題があると指摘しています。ジェームズ・マーティン・センターのハンナ・ノッテ所長は、ロシアの控えめな対応は「いかにロシアの外交政策がウクライナ征服への欲求によって規定されているかを示している」と分析しています。
ロシアは2025年から米国との和平交渉を断続的に行ってきました。2月のトランプ・プーチン電話会談で交渉開始に合意し、5月にはイスタンブールで約3年ぶりの直接協議が実現。8月のアンカレッジ首脳会談では一定の進展も報告されています。
この重要な局面で、ベネズエラ問題をめぐって米国と対立することは、プーチン氏にとって得策ではありませんでした。
軍事力の限界
ロシアがベネズエラを支援できなかった理由は、意志の問題だけではありません。ウクライナ戦争で消耗した軍事力には、遠く離れたラテンアメリカで米国に対抗する余力がありませんでした。
ロシアは核保有国ですが、通常戦力による遠距離への戦力投射能力には限界があります。ウクライナでの長期戦により軍事力は伸び切り、経済も大幅に弱体化しています。専門家によれば、ロシアには「これ以上の軍事行動や経済的支援を取る余裕がない」のが実情です。
アルメニアの前例
プーチン氏のベネズエラへの対応は、2020年のアルメニアのケースを彷彿とさせます。軍事同盟国であるアルメニアがアゼルバイジャンから攻撃を受けた際、ロシアは実質的に同盟国を「見捨てた」とされています。
このパターンは、ロシアの同盟関係の限界を示しています。いざという時に頼りになるパートナーなのか、ベネズエラの事例は多くの国々に警鐘を鳴らしています。
アンカレッジ密約説
「勢力圏」の取引か
一部の専門家は、より大胆な仮説を提示しています。ドイツ・ブレーメン大学のニコライ・ミトロヒン氏によれば、「おそらくアンカレッジで、あるいはそれ以前に、世界における勢力圏の制限について会話があった」可能性があります。
この見方によれば、トランプ・プーチン間でベネズエラについて何らかの了解が成立していた可能性があります。トランプ氏のウクライナに関する譲歩と引き換えに、プーチン氏がベネズエラを「放棄」するという取引です。
モンロー主義との整合性
あるロシア高官は、「これがトランプの実行しているモンロー主義の実例ならば、ロシアもまた自らの勢力圏を有していることになる」と述べています。この発言は、米ロ間で勢力圏の相互承認が暗黙のうちに成立している可能性を示唆しています。
トランプ政権は「アメリカがベネズエラを運営している」と公言し、西半球における米国の優位を明確にしています。ロシアにとっては、西半球での影響力を放棄する代わりに、旧ソ連圏での優位を確保するという計算が働いている可能性があります。
ロシアにとっての損得勘定
失われたもの
ベネズエラの喪失は、ロシアにとって重大な損失です。ラテンアメリカにおける最重要同盟国を失い、同地域での影響力は大きく後退しました。長年にわたる軍事・エネルギー協力の投資も水泡に帰す可能性があります。
また、同盟国を守れなかったという事実は、ロシアの国際的な信頼性を損ないます。他の友好国は、いざという時にロシアが助けてくれるのか、疑問を抱くようになるでしょう。
潜在的な利益
一方で、この状況をロシアに有利に解釈する見方もあります。トランプ政権の「野蛮な力の政治」に付き合うことで、ウクライナ問題でより有利な条件を引き出せる可能性があるからです。
ロシアとしては、トランプ大統領の「強さの論理」を逆手に取り、自国の勢力圏(旧ソ連諸国)における優位を認めさせようとしている可能性があります。「アメリカが西半球で好きなようにするなら、ロシアも自国の庭で同様の行動を取る権利がある」という論法です。
ウクライナ和平交渉の現状
交渉の経緯
2025年以降、米ロ間のウクライナ和平交渉は断続的に続いてきました。2月の電話会談で直接交渉開始に合意し、3月にはジッダでウクライナ側と30日間停戦を提案。5月のイスタンブール協議では約3年ぶりの直接交渉が実現しました。
しかし、プーチン氏は「即時停戦」を拒否し続けています。ウクライナの非武装化、いわゆる「非ナチ化」、領土問題など、ロシア側の要求は多岐にわたり、妥協の姿勢を見せていません。
停戦への道筋
専門家によれば、2026年に期待できるのは「包括的な和平合意ではなく停戦だけ」です。ロシアが敵対行為の終結をトランプ大統領の支持獲得につながると考え、ウクライナが停戦によって再軍備の時間を得られると考えれば、2026年中の停戦は実現可能とされています。
ロシアにはあと約2年の継戦能力があるとされ、長期戦を見据えた姿勢を崩していません。プーチン氏は「率直かつ有意義な」対話を続けながらも、譲歩のタイミングを慎重に見極めています。
NATO駐留問題
和平交渉の障害の一つが、停戦後のウクライナへのNATO駐留問題です。プーチン氏はNATO加盟国の軍隊がウクライナ領土に駐留することを断固として拒否しています。英国のスターマー首相は「プーチンは和平の用意があることを示していない」と指摘しています。
この問題が解決されない限り、包括的な和平合意は困難です。しかし、停戦だけなら、より現実的な選択肢となる可能性があります。
国際秩序への影響
勢力圏政治の復活
米国によるベネズエラ介入とロシアの黙認は、19世紀的な「勢力圏政治」の復活を示唆しています。大国がそれぞれの「裏庭」で自由に行動する権利を相互に認め合う国際秩序です。
この傾向が強まれば、国連憲章が掲げる主権の平等や内政不干渉の原則は形骸化するリスクがあります。小国や中堅国は、大国間の取引の中で発言力を失いかねません。
同盟の信頼性
ベネズエラの事例は、同盟関係の信頼性に疑問を投げかけています。ロシアと「戦略的パートナーシップ」を結んでいても、いざという時に守ってもらえるとは限りません。
これは、ロシアと緊密な関係にある他の国々、例えばイラン、北朝鮮、シリア、キューバなどにとって重要な教訓です。また、中国の対外戦略にも影響を与える可能性があります。
米中関係への示唆
ベネズエラでの米国の行動は、中国にとっても無視できません。フォーリン・ポリシー誌は、中国やロシアが台湾やウクライナで同様の「急襲作戦」を試みる可能性は低いと分析していますが、大国間競争の新たな段階に入ったことは間違いありません。
2026年にはトランプ・習近平首脳会談も予定されており、米中関係の行方もウクライナ問題と密接に関連しています。
今後の展望
ロシアの戦略
プーチン氏は、ベネズエラを「見捨てた」代償として、ウクライナ問題で有利な条件を引き出すことを目指しているとみられます。西半球からの撤退と引き換えに、旧ソ連圏での影響力維持を確保する戦略です。
ただし、この戦略が成功するかどうかは不透明です。トランプ政権がロシアに対してどこまで譲歩するか、そしてウクライナがどこまで受け入れ可能かは、今後の交渉次第です。
ベネズエラの行方
マドゥロ氏拘束後のベネズエラでは、暫定政権と野党勢力の対立が続いています。ロシアは外務省レベルで「連帯」を表明していますが、実質的な支援は期待できません。
ベネズエラが民主化に向かうのか、新たな権威主義体制が成立するのかは、主として米国の意向と国内政治のダイナミクスによって決まることになりそうです。
日本への示唆
この事例は、日本を含む同盟国にとっても教訓を含んでいます。大国間の取引によって、同盟関係が一夜にして無意味になるリスクが存在することを示しています。
日米同盟の信頼性は高いとされていますが、国際環境の変化に応じて、自国の安全保障を多角的に確保する努力が引き続き重要です。
まとめ
プーチン大統領が盟友ベネズエラを「見捨てた」背景には、ウクライナ戦争の終結を最優先とする戦略的判断があります。長年にわたる軍事・経済協力にもかかわらず、いざという時にロシアはベネズエラを守ることができませんでした。
この沈黙の理由として、ウクライナ和平交渉を優先する外交姿勢、ウクライナ戦争で消耗した軍事力の限界、そして米ロ間の勢力圏に関する暗黙の了解の可能性が指摘されています。
ベネズエラの事例は、国際政治における同盟の限界と、大国間の「勢力圏政治」の復活を示唆しています。今後のウクライナ和平交渉の行方とともに、国際秩序がどのように変化していくのか、注視が必要です。
参考資料:
- ‘Closing his eyes’: Why is Russia’s Putin quiet on US abduction of Maduro? - Al Jazeera
- With Maduro Gone, Putin Risks Being Pushed Out of the Western Hemisphere - The Moscow Times
- Why Russia is treading carefully after the ousting of Kremlin ally Maduro - CNBC
- The US capture of Maduro reveals Russia’s weakness - Atlantic Council
- 盟友ベネズエラ見捨てたプーチン氏 勢力圏回復、米国と「野心」一致 - 日本経済新聞
- マドゥロ拘束後の打算…プーチンは何を失い何を得るのか - Newsweek Japan
- ロシア、マドゥロ氏の解放要求 米仲介ウクライナ和平に影響 - 時事通信
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