テスラ低価格EV断念で浮き彫りに、世界戦略車の終焉と保護主義
はじめに
米電気自動車(EV)大手テスラが低価格の世界戦略車開発を中止したことが明らかになりました。かつて約2万5000ドル(約290万円)で販売予定だった「モデル2」とも呼ばれるこの車両は、テスラの成長戦略の要と位置づけられていました。しかし、中国EVメーカーの急速な台頭と、各国で強まる保護主義の影響により、テスラはこの計画を断念せざるを得なくなったのです。この決定は、グローバル供給網を活用した自由貿易の恩恵の象徴だった「世界戦略車」という概念そのものが消えつつあることを示しています。
本記事では、テスラの戦略転換の背景、中国EVメーカーの競争力の源泉、そして保護主義が自動車業界に与える影響について詳しく解説します。
テスラの低価格EV断念、背景にある戦略転換
モデル2開発中止の経緯
2024年4月、ロイターはテスラが販売価格約2万5000ドルに抑えたEVの低価格モデル開発を中止したと報じました。この決定は2024年2月下旬の社内会議で従業員に伝えられ、イーロン・マスクCEOの指示は「ロボタクシーに全力を注ぐこと」でした。マスク氏は当初、この報道をX(旧ツイッター)上で「ロイターは嘘をついている」と否定しましたが、社内では既に数週間前にプロジェクトが中止されていたことが明らかになっています。
2024年10月の決算説明会では、マスク氏が正式に方針を説明しました。「自動運転のサイバーキャブを投入する計画の中で、低価格のベースモデルを投入することは意味をなさない」との理由でした。代わりに、既存の製造ラインを活用してモデル3とモデルYの低価格版を2025年に発売する計画を示しました。
販売不振と市場シェア喪失
テスラの2025年販売台数は前年比8.6%減の163万6129台となり、2年連続で前年を下回りました。一方、中国の比亜迪(BYD)がEVの年間販売で初めてテスラを上回り、世界首位の座を奪取しました。BYDの2025年EV販売台数は前年比28%増の225万6714台で、テスラとの差は約60万台にも達しています。
特に欧州市場での落ち込みが顕著で、2024年10月にはテスラの販売台数が約50%減少し、BYDに販売台数と市場シェアの両方で追い抜かれました。テスラは成長のための低価格モデル開発を投資家に説明していましたが、安価な中国製EVとの競争が激化する中で戦略の見直しを余儀なくされたのです。
中国EVメーカーの台頭、価格競争力の源泉
BYDの圧倒的な垂直統合モデル
BYDの成功の鍵は、電池、半導体、モーター、車体まで自社で手掛ける「垂直統合」モデルにあります。この内製化戦略により、BYDは強力な価格競争力を実現しました。同社のPHVセダン「秦PLUS DM-i」は、2021年の発表当初10万元(約200万円)を切る価格で登場し、業界に衝撃を与えました。2025年初めには約8万元(約160万円)まで値下げされています。
BYDの2024年売上高は7770億元(約16兆500億円)でテスラの977億ドルを抜き、純利益は前年比34%増の403億元を記録しました。中国国内では9年連続で新エネルギー車(NEV)販売首位を維持し、シェアは33〜36%に達しています。これはテスラの8%を大きく引き離す数字です。
中国EV市場の急成長と過当競争
2024年の世界EV新車販売台数は前年比25%超増の1750万台となり、そのうち中国が前年比約40%増の1130万台と約7割を占めました。2025年9月には、中国市場におけるNEVの販売台数が129.5万台(前年同月比+15.4%)を記録し、新車販売全体に占めるNEV販売比率は57.8%と史上最高のシェア率を更新しました。
しかし、この急成長の裏で、中国国内では「構造的な生産能力過剰」と「過当競争」が起きています。2025年初めには、平均で1台あたり3万元(約62.3万円)の値下げが見られ、これは前年の倍以上の下げ幅でした。このような激しい価格競争により、中国EVメーカーは海外市場に活路を求めるようになっています。
東南アジアへの進出加速
中国市場での競争が激化する中、上海汽車(SAIC)、長城汽車、BYD、広州汽車(AION)、長安汽車、奇瑞汽車などが積極的に海外展開を進めています。2024年12月時点で、これらのメーカーはタイに投資し、製造を開始しました。既に現地に進出している日系企業は、既存の自動車市場シェアを徐々に侵食され、値下げ競争にも巻き込まれて事業収益が悪化するなど、中国企業との競争激化に直面しています。
保護主義の強まりと地域別生産への移行
トランプ関税が与える打撃
トランプ米政権の高関税政策により、日本の自動車大手6社の関税コストは年2.6兆円増える見通しです。日米合意に基づき、日本からの輸入品に15%の関税が課されることになりました。これは以前の関税率2.5%と比べると大幅な上昇です。
2024年に日本で生産された823万台の自動車のうち137万台が米国に輸出され、金額にして6兆円にのぼります。2次、3次以下の中小規模の自動車部品メーカーは米国に工場を持たず、自動車メーカーの生産移管に追随できないケースが多く、大きな影響が及ぶ可能性があります。
現地生産戦略への移行
日産、ホンダ、トヨタといった日本の主要自動車メーカーは、関税リスクを回避するため、現地生産化戦略を検討しています。トヨタは北米やアジア地域に複数の生産拠点を設けることで、輸入関税を回避し、現地市場のニーズに迅速に対応できる体制を整えています。
日本政府高官は「政権が代わったとしても、一度上げた関税を元に戻すのは、ハードルが高い」と強調し、高関税政策はトランプ政権下での一時的なものではなく、「米国の政策転換」になる可能性が高いと指摘しています。
世界戦略車の終焉とモザイク化
「世界戦略車」という概念は、GMが1970年代初頭に提唱した「グローバルカー構想」に端を発します。基本的なプラットフォームを共用し、そこから各地の国情に合わせた製品を派生させるという戦略でした。しかし、自由貿易の恩恵の象徴だったこの「世界戦略車」が消えつつあり、イノベーションや規制作りを率いる主導権が存在しない「モザイク化」する世界が常態化しています。
法規制や消費者の嗜好が異なる様々な地域で販売される性質上、車体パーツ共有化による弊害が出る場合があり、特定の地域で仕様を大きく変更しなければならないケースも増えています。このような環境下で、自動車メーカーはビジネスモデルの再構築を迫られているのです。
今後の展望と課題
自動車業界の構造変化
保護主義の強まりと中国EVメーカーの台頭により、自動車業界の競争環境は大きく変化しています。テスラは低価格EVから撤退し、自動運転技術とロボタクシーに軸足を移しました。一方、既存の自動車メーカーは地域別生産体制の強化と、中国メーカーとの価格競争への対応を迫られています。
世界戦略車という概念が後退する中で、各メーカーは地域ごとのニーズに合わせた製品開発と、効率的な生産体制の構築が求められます。単一のグローバルプラットフォームではなく、地域ごとに最適化された製品ポートフォリオを持つことが競争力の源泉となるでしょう。
日本メーカーへの影響
日本の自動車メーカーは、関税リスクへの対応と中国メーカーとの価格競争という二重の課題に直面しています。現地生産化を進める一方で、国内の中小部品メーカーへの影響も考慮しなければなりません。また、EVシフトが加速する中で、電池や半導体などの内製化を含めた垂直統合の必要性も高まっています。
トヨタやホンダは北米やアジアでの生産拠点拡大を進めていますが、BYDのような徹底した垂直統合モデルには至っていません。今後、価格競争力を維持するためには、サプライチェーン戦略の抜本的な見直しが必要になる可能性があります。
まとめ
テスラの低価格EV開発断念は、自動車業界における大きな転換点を示しています。中国EVメーカーの台頭により価格競争が激化し、各国の保護主義政策により地域別生産への移行が加速しています。かつてグローバル供給網を活用した「世界戦略車」は終焉を迎え、地域ごとに最適化された製品開発と生産体制が求められる「モザイク化」した世界が常態化しつつあります。
今後の自動車業界では、単なる製品開発力だけでなく、地域ごとの規制対応力、サプライチェーンの柔軟性、そして価格競争力の全てが問われることになるでしょう。日本メーカーがこの変化に適応し、競争力を維持できるかが今後の大きな課題となります。
参考資料:
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