消費税減税で食品は本当に安くなるのか?海外事例から検証
はじめに
2026年の衆院選を前に、与野党がこぞって「食料品の消費税率ゼロ」を掲げています。自民党と日本維新の会は2年間の時限措置としてゼロ税率を提案し、中道改革連合は恒久的なゼロ税率を主張しています。高市早苗首相も2026年度中の実現に意欲を示しました。
消費者にとって最大の関心事は「本当にスーパーの食品が8%分安くなるのか」という点です。しかし、海外の先行事例を見ると、減税分がそのまま価格に反映されるとは限りません。本記事では、ドイツの付加価値税(VAT)減税の実証研究や日本のサプライチェーンの構造を踏まえ、食品消費税ゼロの実効性を検証します。
ドイツの減税実験が示す「7割転嫁」の現実
2020年のVAT引き下げとその結果
ドイツでは2020年7月から12月まで、新型コロナ対策の一環として付加価値税を標準税率19%から16%、軽減税率7%から5%に引き下げました。約200億ユーロ規模の大型減税でした。
ミュンヘンのifo研究所のFuest、Neumeier、Stöhlkerらの研究チームは、6万点以上のスーパーマーケット商品の日次価格データを分析しました。その結果、減税によって消費者価格は平均1.3%低下し、これは減税幅の約70%に相当することが明らかになりました。つまり、残りの約30%は小売業者や流通業者の利益に吸収されたことになります。
品目による転嫁率の違い
興味深いことに、転嫁率は品目によって大きく異なりました。食品・非アルコール飲料では約80%が消費者に還元された一方、アルコール飲料・たばこでは20〜30%にとどまりました。需要の価格弾力性や商品の特性によって、減税の恩恵が消費者に届く度合いは変わるのです。
また、プライベートブランド商品は全国ブランド商品よりも転嫁率が高い傾向が見られました。垂直統合された流通チャネルでは、価格調整がより迅速かつ完全に行われることを示しています。
減税終了時の非対称性
さらに注目すべきは、2021年1月に税率が元に戻った際の影響です。減税時には70%が転嫁されたにもかかわらず、増税時の価格上昇はその約半分にとどまりました。これは「下方硬直性」と呼ばれる現象で、価格は下がりにくいが上がりやすいという非対称性を示しています。
日本のサプライチェーンが抱える構造的課題
中小企業の転嫁率は5割未満
日本の中小企業におけるコスト全体の価格転嫁率は45.7%にとどまっています。特に売上規模1,000万円以下の小規模事業者では、消費税分を転嫁できていない割合が44%に達しています。消費税は制度上「価格転嫁」を前提としていますが、実態として中小企業は大企業との力関係の中で十分な転嫁ができていません。
この構造は、減税時にも同様の問題を引き起こします。税率がゼロになったとしても、サプライチェーンの各段階で価格調整が適切に行われなければ、消費者が受け取る恩恵は限定的です。
食品スーパーの現場の声
食品スーパーを運営するさえきセルバホールディングスの佐伯行彦社長は、「原料調達から店舗販売までのサプライチェーンの中で、減税に対応できない企業が出てくる可能性がある」と指摘しています。食品の価格は原材料費、物流費、人件費など多くの要素で構成されており、消費税の減少分がそのまま最終価格に反映されるほど単純ではありません。
飲食店への逆風
食品消費税ゼロの影響は飲食店にとって深刻です。現行制度では、テイクアウト(持ち帰り)には軽減税率8%が適用され、店内飲食には標準税率10%が適用されています。食料品がゼロ税率になると、テイクアウトとの価格差がさらに拡大し、飲食店の競争力が低下する可能性があります。
さらに、飲食店は仕入れ先から消費税分の値下げを引き出せる保証がなく、仕入れ価格が据え置かれたまま売上にかかる税率だけが変わるという事態も想定されます。
年間5兆円の財源問題と経済効果
家計への恩恵は限定的
第一生命経済研究所の試算によると、食料品の消費税がゼロになった場合、平均的な4人家族で年間約6.4万円の負担軽減になります。大和総研の試算では世帯あたり年間約8.8万円です。一方で、この政策に必要な財源は年間約4.8〜5兆円に上ります。
経済学者からは、需要の価格弾力性が低い食料品を対象にした減税は、巨額の財政支出の割に経済効果が限定的であるとの指摘が出ています。低所得層への支援が目的であれば、給付付き税額控除のような、より対象を絞った政策の方が効率的だという見方もあります。
国際的な信認への影響
消費税の減税は、日本の財政健全性に対する国際的な信認を損なうリスクもあります。すでに先進国最悪の水準にある政府債務残高がさらに膨らむことへの懸念が、金融市場で意識される可能性があります。
注意点・展望
よくある誤解
「消費税が8%下がれば、食品価格も8%下がる」という単純な理解は誤りです。ドイツの事例が示すように、減税分の全額が消費者に還元されることはまれです。日本のサプライチェーンにおける価格転嫁の実態を考慮すると、実際の価格低下幅はさらに小さくなる可能性があります。
今後の見通し
2026年2月8日の衆院選の結果次第で、政策の方向性が決まります。仮に食品消費税ゼロが実現する場合でも、実施は2026年度後半以降になる見込みです。その間、政府がサプライチェーン全体での適切な価格転嫁を促す仕組みを整備できるかが、消費者が恩恵を実感できるかどうかの鍵となります。
公正取引委員会や中小企業庁による監視強化、パートナーシップ構築宣言の推進など、既存の取引適正化の枠組みをどう活用するかも重要な論点です。
まとめ
食品の消費税率をゼロにする政策は、一見すると消費者に大きな恩恵をもたらすように見えます。しかし、ドイツの実証研究では減税分の約70%しか消費者価格に反映されず、日本の中小企業の価格転嫁率が50%未満である現状を踏まえると、8%分がまるごと安くなるとは考えにくいです。
消費者としては、減税の実施動向を注視しつつ、実際に店頭価格がどの程度変化するかを冷静に見極めることが重要です。また、政策の是非を判断する際には、年間5兆円の財源問題や飲食店への影響など、見えにくいコストにも目を向ける必要があります。
参考資料:
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