エリートツリーが林業を変える—花粉半減・成長1.5倍の革新品種
はじめに
日本の林業が大きな転換期を迎えています。成長速度が従来の1.5倍、花粉量は半分以下という特性を持つ「エリートツリー」と呼ばれる新品種のスギが、林業界の救世主として注目を集めています。
2025年12月、日本製紙は秋田工場(秋田市)に国内最大規模の閉鎖型採種園を完成させました。この施設では年間160万本分の苗木の種子を供給する計画で、エリートツリーの普及に大きな弾みがつくと期待されています。
林業の収益性向上、花粉症対策、そして脱炭素化という三つの社会課題を同時に解決する可能性を秘めたエリートツリー。本記事では、その特徴と普及の現状、そして日本の林業の未来について詳しく解説します。
エリートツリーとは何か
精鋭中の精鋭を選抜した品種
エリートツリーとは、スギやヒノキなどから成長の早い個体を選んで交配し、育った木からさらに優れた個体を選出した「木のエリート」です。正式には「第2世代精英樹」と呼ばれ、林木育種センターが数十年にわたる研究の末に開発しました。
通常のスギが伐採までに約50年を要するのに対し、エリートツリーは約30年で伐採が可能です。成長速度が1.5倍以上という驚異的な特性により、林業経営の効率化に大きく貢献します。
特定母樹に指定される基準
農林水産省が「特定母樹」に指定するエリートツリーには、厳格な基準が設けられています。具体的には、在来系統と比較して材積が1.5倍以上であること、幹が真っ直ぐで曲がりがないこと、そして花粉量が一般的なスギ・ヒノキの半分以下であることが求められます。
2024年度末時点で、スギ646系統、ヒノキ311系統、カラマツ134系統など、合計1,145系統がエリートツリーとして開発されています。特定母樹に指定された品種は538品種に達しています。
少花粉・無花粉品種の開発も進展
2025年3月には、林木育種センターが全国初となるエリートツリー由来の少花粉スギ品種「スギ林育2-273」を開発したと発表しました。この品種はほとんど花粉を生産しない特性を持ち、植栽後10年で樹高12.0メートルに達する優れた成長性を確認しています。
花粉症対策の観点からも、少花粉・無花粉品種の開発は重要な意味を持ちます。1992年に富山県で発見された無花粉スギを契機に研究が進み、現在は遺伝子レベルでの解明も進んでいます。
日本製紙の秋田採種園—国内最大の生産拠点
閉鎖型採種園の特徴
日本製紙が秋田工場敷地内に完成させた採種園は、ビニールハウス内で人工交配を行う「閉鎖型」の施設です。スギの花粉が飛散する2月から3月は施設を完全に閉鎖し、エリートツリー同士の確実な交配を実現します。
この方式により、外部からの花粉の混入を防ぎ、純粋なエリートツリーの種子を安定的に生産できます。従来の開放型採種園では、周辺の一般的なスギから花粉が飛来し、優良な遺伝子が希釈されるリスクがありました。
年間160万本分の種子を供給
秋田工場の採種園は、数年後には年間160万本分の苗木の種子を供給する計画です。これは国内のエリートツリー採種園として最大規模となります。
日本製紙は2023年12月に北秋田市阿仁に開設した採種園に続き、秋田県内で2カ所目の施設となります。同社は2030年度までに、国の目標の約3割にあたる年間1,000万本分の苗木生産を目指しています。
地域林業への貢献
採種園で生産された種子は、秋田県内の苗木生産者が育苗し、北東北3県や山形県などで植栽されます。地域の林業従事者にとっても、新たなビジネス機会の創出につながります。
エリートツリーは成長が早いため、植栽後の下刈り作業の回数を減らすことができます。従来は年に数回必要だった雑草除去作業が軽減され、林業従事者の負担軽減とコスト削減の両面で効果が期待されています。
なぜエリートツリーが求められているのか
林業の構造的な課題
日本の林業は深刻な構造的課題を抱えています。国土の約75%が丘陵を含む山地で構成され、人工林の大半が急斜面に位置するため、北米やロシアなどの林業大国と比較して運営コストが高くなっています。
木材価格はピーク時の半額以下に下落しており、多くの林業経営者が経営不振に陥っています。伐採収入に比べて再造林コストが高いことが、再造林率の低さにつながっています。
花粉症という社会問題
日本国民の約4割が花粉症を患っているといわれ、社会的・経済的な損失は計り知れません。林野庁は「伐って利用」「植替え」「出させない」の3本柱で花粉発生源対策を推進しています。
政府の「花粉症対策の全体像」では、10年後にスギ人工林を約2割減少させることを目指しています。令和15年度までにスギ人工林の伐採を年間約7万ヘクタールまで増加させ、花粉の少ないスギ苗木の生産割合を9割以上に引き上げる計画です。
脱炭素化への貢献
エリートツリーは成長速度が速いため、従来品種と比較してCO2吸収量が約1.5倍以上になります。2050年のカーボンニュートラル達成に向けて、森林によるCO2吸収源としての機能強化が求められる中、エリートツリーの普及は重要な施策の一つです。
森林資源は人工林を中心に毎年約7,000万立方メートルずつ蓄積が増加し、現在は約52億立方メートルに達しています。この豊富な資源を循環利用するためにも、成長の早いエリートツリーへの転換は合理的な選択といえます。
注意点と今後の展望
普及にはまだ時間が必要
エリートツリーの普及率は現時点では低く、全国の苗木生産量に占める割合はまだ一桁台にとどまっています。林野庁は2030年にエリートツリー比率を30%、2050年までに90%にする目標を掲げていますが、達成には生産体制の大幅な拡充が必要です。
採種園の整備には数年の準備期間が必要であり、苗木が育って出荷できるようになるまでにはさらに時間がかかります。短期的な効果を期待するのは難しく、長期的な視点での投資が求められます。
地域特性への適応
日本は南北に長く、地域によって気候条件が大きく異なります。各地域に適した品種の選定と、地域の林業事情に合わせた普及戦略が重要です。
北東北向けの品種が関西で同じように育つとは限りません。林木育種センターでは地域ごとの「育種基本区」を設定し、それぞれの環境に適した品種開発を進めています。
シカ食害への対策
伐採後の再造林において、ニホンジカによる苗木の食害が深刻な問題となっています。防鹿柵の設置など追加コストが発生するため、エリートツリーの導入効果を最大化するには獣害対策との連携も欠かせません。
まとめ
エリートツリーは、林業の収益性向上、花粉症対策、脱炭素化という三つの課題を同時に解決しうる革新的な品種です。日本製紙が秋田に国内最大の採種園を完成させたことで、普及に向けた体制が大きく前進しました。
成長速度1.5倍、花粉量半分以下という特性は、50年以上をかけて培われた林木育種技術の結晶です。今後10年から20年をかけて、日本の森林は花粉の少ないエリートツリーへと徐々に置き換わっていくことが期待されています。
林業関係者や森林所有者の方は、地域の林業普及指導機関に問い合わせることで、エリートツリー苗木の入手方法や補助制度について詳しい情報を得ることができます。花粉症に悩む方にとっても、この取り組みが将来の症状軽減につながることを期待したいところです。
参考資料:
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