インドでニパウイルス感染、致死率75%の脅威と各国の対応
はじめに
2026年1月、インド東部の西ベンガル州コルカタ近郊で、致死率が40〜75%と極めて高いニパウイルス感染症が確認されました。医療従事者5人の感染が判明し、約100人が隔離措置の対象となっています。
ニパウイルスは、現時点でワクチンも特効薬も存在しない危険な病原体です。1998年にマレーシアで初めて確認されて以来、南アジアや東南アジアで散発的に発生し、その都度高い致死率を記録してきました。
今回のアウトブレイクを受け、タイ、ネパール、台湾など周辺国・地域が検疫体制を強化しています。本記事では、ニパウイルスの基本情報から今回の感染拡大の経緯、各国の対応、そして私たちが知っておくべき予防策までを詳しく解説します。
西ベンガル州での感染拡大の経緯
感染確認の経緯
今回のアウトブレイクは、西ベンガル州コルカタ近郊の北24パルガナス地区バラサットにある民間病院で始まりました。2025年12月下旬、同病院で勤務していた2人の看護師が高熱と呼吸困難を発症。その後の検査でニパウイルス感染が確認されました。
1月13日頃に最初の2例(医師と看護師)が陽性と判定され、1月20日までに計5人の感染が確認されています。感染者は全員が医療従事者で、内訳は医師1人、看護師3人、病院職員1人となっています。
現在の状況
確認された5人の感染者のうち、2人の看護師が重篤な状態にあり、1人は昏睡状態に陥っていると報告されています。幸いにも、現時点で死亡者は出ていません。
インド当局は1月23日までに約100人の濃厚接触者を隔離し、全体で約180〜196人をスクリーニング検査の対象としました。これらの接触者は現時点で全員が無症状で、検査結果も陰性とのことです。
院内感染の可能性
今回のアウトブレイクの特徴は、感染者が全員医療従事者であることです。これは院内感染(nosocomial transmission)が主な感染経路であることを示唆しています。医療従事者は、気管挿管などのエアロゾルを発生させる処置の際に感染リスクが高まります。
西ベンガル州でのニパウイルス感染は約20年ぶりとなります。同州では2001年と2007年にも発生がありましたが、今回の規模は当時と比較しても注目すべきものです。
ニパウイルスとは何か
ウイルスの特性
ニパウイルスは、パラミクソウイルス科ヘニパウイルス属に分類されるRNAウイルスです。1998〜1999年にマレーシアとシンガポールで発生した急性脳炎の原因として初めて分離されました。
このウイルスの最も恐ろしい点は、40〜75%という極めて高い致死率です。この数値は地域の医療体制や流行規模によって変動しますが、WHO(世界保健機関)が「優先疾患リスト」に指定し、研究開発の加速を求めるほどの脅威として認識されています。
自然宿主と感染経路
ニパウイルスの自然宿主は、プテロポス属のオオコウモリ(フルーツバット、通称「空飛ぶキツネ」)です。ウイルスはコウモリの尿、糞、唾液、出産時の体液に含まれています。
人間への主な感染経路は以下の通りです:
コウモリからの直接感染
- コウモリの排泄物で汚染されたヤシの樹液(パームトディ)を飲む
- コウモリがかじった果物を食べる
- コウモリが生息する井戸の水を使用する
動物を介した感染 1998〜1999年のマレーシアでの流行では、養豚場で飼育されていたブタがコウモリから感染し、そのブタから人間に広がりました。ブタの気道分泌物などの体液を介した感染が確認されています。
人から人への感染 バングラデシュやインドでは、人から人への直接感染も報告されています。主に感染者の家族や介護者、医療従事者など、濃厚接触者の間で発生しています。
症状と経過
ニパウイルスの潜伏期間は通常4〜14日ですが、最長で45日に及ぶケースも報告されています。この長い潜伏期間は、無症状の感染者が移動して感染を広げるリスクを高めています。
初期症状
- 発熱
- 頭痛
- 筋肉痛
- 嘔吐
- 咽頭痛
- 咳
- 呼吸困難
進行した場合
- めまい
- 眠気
- 意識障害
- 急性脳炎
- てんかん発作
重症例では24〜48時間以内に昏睡状態に陥ることがあります。また、回復した患者の約20%に発作性障害や人格変化などの神経学的後遺症が残るとされています。さらに、数か月から数年にわたる潜伏感染例や、治癒後の再発例も報告されています。
治療法とワクチン開発の現状
現時点での治療
残念ながら、ニパウイルスに対する特効薬は存在しません。現在行われているのは支持療法(対症療法)が中心です。
抗ウイルス薬リバビリンが使用されることがありますが、その治療効果については科学的な評価が定まっていません。基本的には、脱水症状の管理、呼吸補助、脳浮腫への対応など、症状を緩和し、患者の免疫機能による回復を支える治療が行われます。
ワクチン開発の進展
ニパウイルスワクチンの開発は国際的な優先課題として進められています。
2024年1月には、オックスフォード大学が開発した「ChAdOx1 NipahB」というワクチン候補が第1相臨床試験を開始しました。これはCOVID-19ワクチン(アストラゼネカ製)と同じ技術基盤を使用したものです。
2025年12月には、オックスフォード大学が世界初となる第2相臨床試験を開始したと発表しています。また、米国NIH(国立衛生研究所)、モデルナ、東京大学医科学研究所なども独自のワクチン開発を進めています。
2025年7月には、コーネル大学の研究チームが新たなワクチン候補の迅速製造プラットフォームを発表するなど、技術的な進歩も見られます。ただし、いずれのワクチンも実用化には至っておらず、現時点で利用可能なものはありません。
アジア各国の警戒と対応
周辺国の検疫強化
今回のインドでのアウトブレイクを受け、アジア各国が迅速に対応を開始しています。
タイ タイのアヌティン・チャーンビラクル首相は1月26日、国内での感染は確認されていないものの、高い監視レベルを維持すると表明しました。1月25日から、スワンナプーム国際空港とドンムアン空港で、西ベンガル州からの渡航者に対するスクリーニングを開始しています。
台湾 台湾当局も空港での検疫体制を強化し、インドからの入国者に対する監視を強めています。
ネパール インドと国境を接するネパールも、国境地点での健康チェックを強化しています。
COVID-19を想起させる対応
一部の報道では、今回の対応がCOVID-19パンデミック初期を想起させると指摘されています。空港でのスクリーニング、濃厚接触者の追跡と隔離、国境を越えた情報共有など、2020年初頭に見られた対策が再び実施されています。
ただし、ニパウイルスはCOVID-19の原因となったSARS-CoV-2と比較して感染力は低いとされています。主な感染経路が濃厚接触に限られるため、適切な感染対策を講じれば拡大を抑制できる可能性が高いです。
予防のために知っておくべきこと
個人でできる予防策
WHOは、ワクチンがない現状では、リスク要因を認識し、適切な予防行動を取ることが最も重要だと強調しています。
食品に関する注意
- 果物は食べる前によく洗い、皮をむく
- コウモリにかじられた痕跡がある果物は廃棄する
- 流行地域では、十分に加熱されていない食品の摂取を控える
- 生のヤシの樹液(パームトディ)の摂取を避ける
接触に関する注意
- 感染者や感染が疑われる動物との接触を避ける
- 手洗いの徹底
- マスクの着用(特に医療従事者や介護者)
医療従事者向け
- 標準的な感染予防策の徹底
- 個人防護具(PPE)の適切な使用
- 患者の隔離
- エアロゾル発生処置時の特別な注意
流行地域への渡航者へ
現時点で、WHOや各国の保健当局はインドへの渡航制限を勧告していません。しかし、西ベンガル州への渡航を予定している場合は、以下の点に注意が必要です:
- 現地の保健情報を確認する
- 野生動物や家畜との接触を避ける
- 衛生管理が不明確な食品の摂取を控える
- 発熱や呼吸器症状が現れた場合は速やかに医療機関を受診する
注意点と今後の展望
過度な不安は不要だが警戒は必要
ニパウイルスの致死率の高さは確かに脅威ですが、いくつかの点で過度な不安は不要です。
まず、感染力はCOVID-19と比較して低く、主に濃厚接触によって広がります。空気感染で急速に拡大するタイプのウイルスではありません。また、今回のアウトブレイクは現時点で5人の感染にとどまっており、濃厚接触者の追跡と隔離が迅速に行われています。
一方で、ワクチンも治療法もない現状では、一度感染が拡大すると対応が困難になります。特に医療従事者は高リスク群であり、院内感染が広がると医療体制そのものに影響を与える可能性があります。
今後の見通し
WHOは、ニパウイルス感染症のリスクレベルについて、発生国では「高リスク」、地域レベルでは「中リスク」、世界レベルでは「低リスク」と評価しています。
今回のアウトブレイクが封じ込められるかどうかは、今後数週間の推移を見守る必要があります。潜伏期間が最長45日と長いため、現時点で無症状の接触者から新たな感染者が出る可能性は否定できません。
国際的な監視体制の強化と、ワクチン開発の加速が求められています。2025年末に始まった第2相臨床試験の結果次第では、近い将来にワクチンが実用化される可能性もあります。
まとめ
インド西ベンガル州でのニパウイルス感染確認は、世界の公衆衛生にとって重要な警告です。致死率40〜75%という数字は深刻ですが、現時点では感染者5人、死亡者ゼロという状況で、当局による封じ込め対策が進んでいます。
私たちが今できることは、正確な情報を把握し、冷静に対応することです。流行地域への渡航予定がある方は、現地の保健情報を確認し、基本的な感染予防策を徹底してください。
ニパウイルスは、次のパンデミックを引き起こす可能性のある病原体としてWHOが注視する存在です。今回のアウトブレイクをきっかけに、ワクチン開発と国際的な監視体制の強化がさらに進むことが期待されます。
参考資料:
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