食糧法改正で「需要に応じた生産」明記へ、農家への影響
はじめに
農林水産省は、食糧法を改正し「需要に応じた生産」という文言を明記する方針を固めました。農家が需要に応じた生産に主体的に努力し、政府がそれを促進するという理念を法律に位置づけるものです。
一見すると合理的に聞こえるこの方針ですが、専門家からは「大幅な政策転換」との指摘が出ています。需要が減る場合には生産も減らすことを意味し、減反政策の復活ともとれる内容だからです。
2024年から2025年にかけての「令和の米騒動」では、コメ不足と価格高騰が社会問題となりました。その教訓を踏まえるべき時期に、なぜ生産抑制につながりかねない改正が進むのでしょうか。この記事では、食糧法改正の背景と稲作農家の現状、そして日本のコメ政策が抱える構造的な課題を解説します。
食糧法改正の内容
「需要に応じた生産」とは何か
農林水産省は2025年12月24日の審議会で、食糧法改正案の中に「需要に応じた生産」を位置づける方針を示しました。鈴木農林水産大臣は「各産地や生産者が主食用米の需給動向等を踏まえて、自らの経営判断によって作付けを行うことを意味している」と説明しています。
改正案では、政府は需要に応じた生産を促進すること、生産者は需要に応じた生産に主体的に努力をするという理念・責務を盛り込むことを検討しています。また、形骸化している生産調整の規定は削除される予定です。
農水省の見解と批判
鈴木大臣は「需要に応じた生産とは、需要が増える場合はそれに応じて生産を増やすことになり、いわゆる減反政策を意味するものでは全くない」と強調しています。「生産調整という文言も全て削除する」とも述べています。
しかし、キヤノングローバル戦略研究所などの分析によれば、農林水産省は長年にわたり米価を一定水準に維持するために数量調整を行ってきました。価格に見合う需要量に合わせるために減反補助金で生産を減少させてきたのが、農水省やJA農協が言う「需要に見合った生産」の実態だという指摘があります。
既存政策の延長という批判
今回の食糧法改正は、コメ不足と価格高騰を招いた「令和の米騒動」の反省を踏まえたものとされています。しかし、法改正は既存の手法の延長にあり、生産努力を抑えかねないという批判が専門家から上がっています。
令和の米騒動とその教訓
2024年に何が起きたのか
「令和の米騒動」とは、2024年から2025年にかけて各地で米の買い占めと品薄が発生し、価格が全国的に高騰した事象を指します。スーパーの店頭価格は5キログラム当たり4,000円を超え、1年前の2,000円水準から2倍になりました。
スポット取引では2024年5月に新潟県産コシヒカリ60キログラムが約5万円と前年同時期の約2倍まで高騰しました。2024年8月末には米価格は約500円/kgまで上昇し、2025年5月には約800円/kgにまで達しました。
米騒動の原因
供給面では、2023年の猛暑と水不足で作況指数が悪化し、屑米の比率が高まりました。新潟県産コシヒカリの1等米比率は平年の75.3%から4.9%にまで落ちています。また、JA農協と農林水産省による減反(生産調整)も続いており、2023年産のコメ生産量は前年から9万トン減少していました。
需要面では、長年下落傾向にあった米消費が2021年から底を打ち上向き始めました。2023年度は需要705万トンに対し生産661万トンという需給ギャップが生じていたのです。ウクライナ危機による小麦高騰でパンや麺が値上がりし、相対的にコメが割安に感じられたことや、新型コロナの行動規制解除で外食需要やインバウンド消費が増加したことも影響しています。
さらに2024年8月の南海トラフ地震臨時情報の発表が買いだめを誘発し、品薄に拍車をかけました。
政府の対応
農林水産省は2025年2月14日に政府の備蓄米を放出する決定を発表しました。これにより、2週間程度でスポット価格が4万1,000円まで急落しました。しかし、この対応は事後的なものであり、構造的な問題への解決策にはなっていません。
稲作農家の深刻な現状
倒産・廃業の急増
「コメ不足」のさなか、皮肉なことにコメ農家の倒産・廃業が急増しています。2024年1-8月に発生した米作農業の倒産は6件、休廃業・解散は28件で計34件が生産現場から消滅しました。この件数は2023年通年(35件)を大幅に上回り、年間最多が確実視されています。
高齢化と後継者不足
稲作は高齢農家の大量リタイアという構造問題を抱えています。日本のコメ生産者人口は長期的に減少傾向が続いており、1955年には約3,635万人だった農家人口が2020年には約349万人にまで落ち込みました。
特に水稲農家に限ると、1970年には約466万戸あったものが2020年には約70万戸と、50年間で7割も減少しています。小規模なコメ農家では就農者の高齢化や離農が進む一方、次世代の担い手が見つからない後継者不足の問題が顕在化しています。
生産コストの上昇
農家の経営を圧迫しているのが生産コストの上昇です。農林水産省の調査によると、2023年の農業生産資材の価格は2020年平均に比べて1.2倍に上昇しました。特に肥料は1.5倍、光熱動力は1.2倍、農業薬剤は1.1倍と、主な資材のほとんどが値上がりしています。
米価が高騰しても、その恩恵が農家に十分に届かないまま、コスト上昇で経営が悪化するという矛盾した状況が生まれています。
減反政策の歴史と影響
減反政策とは
減反政策は、米の生産を抑制するための農業政策で、1970年度から実質的に開始されました。昭和40年代に農家の生産力向上と食の多様化による米消費減少が重なり、米の過剰問題が発生したことが背景にあります。
具体的には、稲作農家に作付面積の削減を要求し、転作する農家には補助金を支給しました。これにより米価を一定水準に維持してきたのです。
2018年の廃止と「事実上の継続」
2018年に国による生産数量目標の配分が廃止され、減反政策は名目上終了しました。農家は自由にコメを栽培でき、品質や価格を競い合えるようになりました。
しかし実態は異なります。廃止後も自治体や農協などが中心となり、米の生産量の目安を農家に提示して急激な増産を回避するよう調整しています。需要予測に基づく生産量の目安が発表され続けているほか、転作する農家への補助金も継続しており、「事実上の減反」が続いているという見方があります。
減反政策の負の遺産
40年以上にわたる減反政策は、日本の農業に深い傷跡を残しました。補助金に頼る経営が続いたことで、市場の動向や消費者ニーズに合わせた生産量・品目の調整といった経営改善や多角化が進みませんでした。
規模拡大や効率化が停滞し、後継者不足や高齢化の一因になったとの指摘もあります。減反が廃止された後も、生産体制は縮小したままで、これが現在のコメ不足の一因になっているのです。
注意点・今後の展望
改正の矛盾
今回の食糧法改正には根本的な矛盾があります。令和の米騒動でコメ不足が問題になったにもかかわらず、「需要に応じた生産」を明記することで、需要が減れば生産も減らすという方向性が法的に固定化される可能性があるからです。
人口減少でコメの国内需要が長期的に減少傾向にある中、この規定は生産抑制の根拠として使われかねません。政府は「減反ではない」と説明していますが、実効性については疑問が残ります。
必要な政策転換
専門家からは、政策を抜本的に改めなければコメが頻繁に足りなくなる懸念が指摘されています。必要なのは、生産を抑制する方向ではなく、担い手の確保、規模拡大の支援、生産コスト削減、輸出振興など、稲作を持続可能な産業として再生する政策です。
耕作放棄地の増加は、食料自給率の低下だけでなく、雑草や病害虫の発生、ゴミの不法投棄など地域の環境問題にも発展するリスクがあります。
気候変動への対応
2025年の米生産量は増加傾向で、需給安定に向けて作付面積も拡大していますが、近年の異常気象、特に猛暑や極端な気温変動は、米の品質低下や収量の不安定化を招いています。
三菱総合研究所の分析では、2026年6月末時点の民間在庫量は適正在庫からプラス29万トン程度の余裕状況で、価格低下の可能性は8〜10%程度と予測されています。しかし、気候リスクを考えると、一時的な余剰を理由に生産抑制に傾くことは危険です。
まとめ
食糧法改正による「需要に応じた生産」の明記は、一見合理的に見えますが、稲作農家の生産意欲を削ぎ、長期的にはコメの安定供給を脅かす可能性があります。令和の米騒動の教訓は、生産体制の縮小がいかに脆弱な食料供給につながるかを示しています。
コメ農家の倒産・廃業が過去最多を更新する中、必要なのは生産抑制ではなく、担い手の確保と持続可能な稲作経営の実現です。食料安全保障の観点からも、政策の方向性について国民的な議論が求められます。
参考資料:
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