Research

Research

by nicoxz

裁量労働制の拡大論争が再燃――労使対立の構図と今後の行方

by nicoxz
URLをコピーしました

はじめに

日本の働き方改革は2019年の関連法施行から7年が経過し、新たな局面を迎えています。その焦点の一つが「裁量労働制」の対象拡大です。2025年末から2026年にかけて、厚生労働省の労働政策審議会では裁量労働制の見直しをめぐり、経団連と連合が真っ向から対立する構図が鮮明になっています。

経団連は企業の国際競争力強化のために対象業務の拡大を求め、連合は「定額働かせ放題」になりかねないと反発しています。現在の適用率はわずか0.7%程度にとどまるこの制度は、なぜこれほどの論争を巻き起こすのでしょうか。本記事では、裁量労働制をめぐる議論の経緯と論点、そして今後の展望を解説します。

裁量労働制とは何か――制度の基本と2つの類型

専門業務型と企画業務型の違い

裁量労働制とは、実際に働いた時間ではなく、あらかじめ労使で定めた「みなし労働時間」を基準に賃金を支払う制度です。業務の遂行方法や時間配分を労働者の裁量に委ねることで、効率的で柔軟な働き方を実現する狙いがあります。

この制度には「専門業務型」と「企画業務型」の2つの類型があります。専門業務型は、研究開発、情報処理システムの設計、記事の取材・編集、デザイナー、弁護士、公認会計士など、現在20の業務が対象です。一方、企画業務型は、企業の本社などで事業運営に関する企画・立案・調査・分析を行う労働者が対象となります。

導入のハードルと適用の実態

両者は導入手続きにも大きな差があります。専門業務型は労使協定の締結と届出で導入できますが、企画業務型は労使委員会の設置や委員の5分の4以上の決議が必要であり、手続きが格段に厳格です。この導入ハードルの高さが、適用率の低さに直結しています。

厚生労働省の実態調査によれば、企画業務型裁量労働制の適用労働者は全労働者のわずか0.2%にとどまります。専門業務型を含めても適用率は1%に大きく満たない状況です。制度が存在しながら、ほとんど使われていないという現実が、拡大を求める声と慎重論の双方の根拠になっています。

対立の構図――経団連と連合の主張

経団連:「柔軟な働き方」と国際競争力の確保

経団連は長年にわたり、裁量労働制の対象業務が狭すぎると主張してきました。2024年1月に公表した「労使自治を軸とした労働法制に関する提言」では、現行の導入要件が過度に厳格であることを問題視し、企業の労使が自律的に話し合って制度の適用を判断できる仕組みを求めています。

具体的には、過半数労働組合がある企業に限り、対象業務の範囲を個別の労使合意で決められる仕組みを提案しています。経団連側は、裁量労働制を導入している企業では「労働者の健康管理や業務量の調整に工夫している」事例が多いと主張し、制度を適切に運用すれば生産性向上と従業員の満足度向上を両立できるとの立場です。

2025年12月24日の日本成長戦略会議(第2回)では、経団連会長が裁量労働制の対象拡大を直接提案しました。高市首相もこれを受け、「心身の健康維持と従業者の選択を前提として、柔軟で多様な働き方を実現することが重要」と述べ、拡大に前向きな姿勢を示しています。

連合:「長時間労働を助長する」と強く反対

これに対し、連合は裁量労働制の拡大に一貫して反対しています。最大の理由は、みなし労働時間と実際の労働時間の乖離が長時間労働を招くリスクです。厚生労働省の調査でも、裁量労働制適用事業場の平均労働時間は月171時間36分と、非適用事業場の月169時間21分を上回っています。

連合は、2024年4月に施行されたばかりの改正内容の検証と適正運用の徹底が先決だと訴えています。この改正では、専門業務型への本人同意の義務化、同意撤回手続きの整備、健康・福祉確保措置の強化などが導入されました。連合委員は労働政策審議会の場で「国際競争力の向上や付加価値の創出は、労働法制の緩和ではなく産業政策等で対応すべきもの」と明言しています。

さらに連合は、裁量労働制を「定額働かせ放題」の温床として警戒しています。みなし労働時間を超えて働いても追加の残業代が発生しない仕組みは、使用者側に労働時間管理のインセンティブを失わせかねないという懸念です。過去には、裁量労働制の適用労働者が過労死ラインを超える長時間労働に従事していた事例も報告されています。

2024年改正と高市政権の動き

2024年改正で何が変わったか

2024年4月に施行された裁量労働制の改正は、制度の適正運用に向けた重要な一歩でした。主な変更点は以下の通りです。

第一に、専門業務型においても労働者本人の同意が必須となりました。従来は労使協定のみで適用可能でしたが、個人の意思を尊重する仕組みが加わっています。第二に、同意しなかった場合の不利益取扱いの禁止と、同意の撤回手続きが明文化されました。第三に、勤務間インターバルの確保や深夜労働の回数制限など、健康・福祉確保措置が強化されています。

また、対象業務にM&A関連の調査・分析・助言業務が追加され、19業務から20業務へ拡大しました。

高市政権下で加速する拡大議論

2025年10月に発足した高市内閣は、労働法制の見直しを成長戦略の柱の一つに位置付けています。高市首相は就任後間もなく厚労大臣に労働時間規制の緩和検討を指示し、日本成長戦略推進会議の労働市場改革分科会で議論が進められています。

2026年2月の施政方針演説では裁量労働制の見直しを表明する方向で調整が進んでおり、対象の拡充が念頭にあるとみられています。ただし、2025年12月には労働基準法改正案の2026年通常国会への提出が見送られたことも報じられており、法案化にはまだ時間がかかる見通しです。

海外との比較から見える課題

アメリカのホワイトカラー・エグゼンプション

裁量労働制に類似した海外の制度として、アメリカのホワイトカラー・エグゼンプションがあります。管理職、運営職、専門職などを対象に、最低賃金と最長労働時間の規制を適用除外とする仕組みです。適用には俸給基準・水準・職務の3要件が定められていますが、日本に比べ対象範囲が広く設定されています。

一方、フランスでは「経営幹部職員」のみが労働時間規制の適用除外対象であり、その他の幹部職員には1日10時間、週48時間といった上限が設けられています。ドイツにも日本の高度プロフェッショナル制度に類似した制度は存在しません。「欧米では一般的」という言説は正確ではなく、各国の制度設計には大きな違いがあります。

日本が制度拡大を検討するにあたっては、こうした海外事例を丁寧に分析し、日本の労働環境に適した仕組みを設計する必要があるでしょう。

注意点・今後の展望

裁量労働制の拡大議論は、日本の労働市場が抱える構造的な課題を浮き彫りにしています。少子高齢化に伴う労働力不足のなか、生産性向上と柔軟な働き方の実現は急務です。しかし、それが長時間労働や健康被害の拡大につながっては本末転倒です。

東京大学の研究チームによる分析では、裁量労働制が労働環境に与える影響について、制度設計と運用の両面から検証が必要であることが指摘されています。今後の議論では、2024年改正で導入された本人同意や健康確保措置の効果を実証データに基づいて検証することが求められます。

法案提出の見送りにより、議論はやや長期化する見込みです。しかし、高市政権が成長戦略の一環として位置付けている以上、裁量労働制の見直しが完全に棚上げされる可能性は低いでしょう。労使双方が歩み寄れる着地点を見出せるかどうかが、今後の焦点となります。

まとめ

裁量労働制の拡大をめぐる議論は、「柔軟で自律的な働き方」と「労働者保護」という2つの価値のバランスをどう取るかという根本的な問いを突きつけています。経団連は国際競争力の観点から対象拡大を主張し、連合は長時間労働の助長を懸念して反対しています。

適用率がわずか0.7%という現実は、制度自体の問題なのか、導入ハードルの高さが原因なのか、見方が分かれるところです。2024年に本人同意の義務化などの改正が施行されたばかりであることを踏まえると、まずはその効果検証を十分に行った上で、次のステップを議論することが重要です。働く人の健康と権利を守りながら、多様な働き方を実現できる制度設計が求められています。

参考資料

関連記事

最新ニュース