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by nicoxz

御手洗冨士夫氏の米国23年間が育んだ経営哲学

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はじめに

キヤノン会長兼社長CEOの御手洗冨士夫氏は、日本を代表する経営者として知られています。90歳を超えた現在も現役で経営の第一線に立ち続ける同氏の強みは、23年間に及ぶアメリカ駐在で培われた独自の経営哲学と人脈にあります。

本記事では、御手洗氏がキヤノンUSA社長時代に築いた人脈形成の秘訣と、そこから生まれた経営手法について解説します。日米両国でのビジネス経験が、いかにして「御手洗流」経営を形作ったのかを紐解きます。

30歳でアメリカへ渡った異色の経歴

キヤノン入社からアメリカ赴任へ

御手洗冨士夫氏は1935年、大分県に生まれました。中央大学法学部在学中は法曹を目指して司法試験に挑戦しましたが、断念。1961年に伯父の御手洗毅氏が創業者の一人であるキヤノンに入社しました。

入社からわずか5年後の1966年、30歳でアメリカに赴任します。当時のキヤノンは本格的な米国市場への進出を図っており、御手洗氏は現地法人の立ち上げに奔走することになります。

平社員としてアメリカに渡った御手洗氏は、現地で着実にキャリアを積み、キヤノンUSA社長に昇格しました。結果として23年間という長期にわたる駐在生活を送ることになり、この経験が後の経営者としての基盤を形成することになります。

管理職経験なき経営者

御手洗氏の経歴で特筆すべきは、日本国内での管理職経験がないまま経営者となった点です。アメリカ赴任中にキヤノンUSA社長に就任し、日本に帰国する前にキヤノン本体の取締役となりました。

この異色の経歴により、日本企業特有の年功序列や社内政治とは無縁のキャリアを歩むことができました。純粋にビジネスの成果で評価されるアメリカ式の環境が、後の「選択と集中」を軸とした経営改革の原動力となっています。

アメリカで培った人脈と経営哲学

政財界キーパーソンとの交流

キヤノンUSA社長時代、御手洗氏はアメリカの政財界の要人たちと幅広い人脈を構築しました。ニューヨークでは大型ヨット「ハイランダー号」でのクルーズパーティーにしばしば招かれ、マンハッタンの夜景を楽しみながら政財界のキーパーソンと交流を深めました。

こうした場では、元国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏をはじめとする著名人が行き交い、御手洗氏自身は当初「場違いではないか」と感じたといいます。しかし、こうした経験が後の経営者としての視野を広げることになりました。

また、GE(ゼネラル・エレクトリック)のジャック・ウェルチCEOとは定期的にゴルフを楽しむ仲となり、トップ経営者としての考え方を学ぶ機会を得ました。

キャッシュフロー重視の経営観

御手洗氏がアメリカで学んだ最も重要な教訓の一つが、キャッシュフロー(利益)重視の経営観です。現地の幹部から「銀行にお金を預けて得る金利よりも低いようなビジネスは事業ではない」と諭され、売掛金の回収など利益改善に注力するようになりました。

この考え方は、後にキヤノン社長として「キャッシュフロー経営」を導入する原点となります。売上高よりも利益を重視し、収益性の低い事業からは撤退するという明確な方針は、アメリカでの23年間で身についたものでした。

キヤノンUSA社長としての実績

Canon AE-1の成功

御手洗氏がキヤノンUSA社長として手がけた代表的な成功例が、Canon AE-1の市場導入です。1976年に発売されたこの35mmカメラは、自動露出機能を備えた初の手頃な価格のカメラとして、アマチュア写真家が高品質な写真を撮影することを可能にしました。

AE-1の成功により、キヤノンは一眼レフカメラ市場のトップに躍り出ることになります。マーケティングと製品開発の両面で御手洗氏の手腕が発揮された事例といえます。

ヒューレット・パッカードとの戦略的提携

1984年には、ヒューレット・パッカード(HP)との画期的な提携を実現しました。HPのソフトウェアとキヤノンのレーザー印刷技術を組み合わせたコピー機の共同開発で、両社にとって大きな成功となりました。

この提携は、御手洗氏が培った人脈とビジネス感覚が結実したものであり、キヤノンのオフィス機器事業拡大の基盤となりました。

オリンピックへのこだわり

御手洗氏がオリンピックスポンサーシップにこだわりを持つようになったのも、アメリカ時代の経験がきっかけです。1980年のレイクプラシッド冬季五輪に際し、オリンピックがキヤノンUSAを一回り大きくするチャンスであり、「Canon」ブランドを世界に浸透させる絶好の機会だと認識しました。

この経験が、後のキヤノンによるオリンピック公式スポンサーへの取り組みにつながっています。

帰国後の経営改革と経団連会長

「選択と集中」の実践

1989年に23年ぶりに日本へ帰国した御手洗氏は、キヤノンの複数の事業部門が赤字に陥っている状況を目の当たりにしました。1995年に社長に就任すると、アメリカ仕込みの「選択と集中」を実践します。

液晶ディスプレイ、光ディスク、パーソナルコンピュータなどの赤字事業から撤退し、利益率の高いプリンター、カメラ、半導体製造装置などに経営資源を集中しました。インクカートリッジなどのオフィス機器とデジタルカメラに注力した結果、デジカメでは世界ナンバーワンの地位を獲得しています。

社長就任からわずか5年で、日本経済が不況に苦しむ中、キヤノンの純利益と株価を3倍に引き上げることに成功しました。

「御手洗流」経営の評価

御手洗氏の経営手法は「御手洗流(the Mitarai way)」として知られるようになりました。東洋と西洋の経営スタイルを独自にブレンドした手法は、2001年にビジネスウィーク誌が選ぶ「世界の経営者25人」、2003年にも同誌の「世界のベスト経営者」に選出されるなど、国際的に高く評価されています。

経団連会長として

2006年、御手洗氏は日本経済団体連合会(経団連)会長に就任しました。私立大学出身者として初めて「財界総理」の座に就いたことは、日本の経済界においても画期的な出来事でした。

2期4年の会長在任中、日本経済のグローバル化や企業統治改革などに取り組み、財界のリーダーとして存在感を示しました。

今なお現役を続ける経営者

3度目の社長就任

御手洗氏は2020年、84歳で3度目の社長に就任するという異例の人事がありました。これについては経営悪化への懸念の声もありますが、同氏のリーダーシップへの期待の表れでもあります。

90歳を超えた現在も会長兼社長CEOとして経営の第一線に立ち続けており、その姿勢は日本の経営者の中でも際立っています。

変化する時代への対応

御手洗氏は2023年のフォーブス誌インタビューで、売上・利益の上昇トレンドを牽引する主要な取り組みについて語っています。デジタル化やAIの進展など、ビジネス環境が大きく変化する中でも、キヤノンの成長戦略を推進し続けています。

まとめ

御手洗冨士夫氏の経営哲学は、23年間のアメリカ駐在で培われました。政財界の要人との人脈形成、キャッシュフロー重視の経営観、そして「選択と集中」という明確な戦略は、すべてアメリカでの経験から生まれたものです。

日本企業の経営者としては異色の経歴ですが、それゆえに従来の日本的経営にとらわれない改革を実行することができました。グローバル化が進む現代において、御手洗氏の経歴と経営哲学は、多くの示唆を与えてくれます。

参考資料:

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