キヤノン御手洗会長、米国23年間の営業最前線での苦闘

by nicoxz

はじめに

キヤノン代表取締役会長兼社長CEOの御手洗冨士夫氏が、日本経済新聞の「私の履歴書」で自身の米国時代を振り返っています。1966年から23年間にわたる米国駐在は、30歳の平社員から始まり、キヤノンUSA社長、そして全米ナンバーワンのカメラ販売を達成するまでの壮絶な道のりでした。

1973年のカメラ直接販売再開から始まった営業部隊の責任者としての日々。現地採用の営業マンとの軋轢、債権の焦げ付き、そして1年の半分を家から離れる生活を支えた妻・千鶴子さんの存在。本記事では、日本を代表する経営者の原点となった米国での奮闘を解説します。

米国カメラ直接販売の再開

15年ぶりの自社営業

1973年7月、キヤノンは米国でカメラの直接販売を再開しました。自社営業としては15年ぶりのことです。御手洗氏は営業部隊の責任者を任されましたが、ここから苦労の連続が始まります。

当時のキヤノンUSAは小さな組織でした。御手洗氏が渡米した1966年当時、キヤノンUSAは13人でスタートした会社でした。それを6,000人を超す陣容にまで育て上げたのが御手洗氏の功績です。

現地営業マンとの苦闘

直接販売を再開した当初、現地採用の営業マンたちとの間で様々な問題が発生しました。販売奨励金を使いすぎる者がいたり、取引先の支払い能力を見極めきれずに債権が焦げ付いたりする事態が続きました。

アメリカのビジネス文化は日本とは大きく異なります。成果主義が徹底しており、短期的な結果を求める傾向が強い。その中で日本式の丁寧な関係構築と、アメリカ式の効率重視をどう両立させるかが大きな課題でした。

全米を駆け回る日々

ディーラーと支店を飛び回る

御手洗氏は米国中のディーラーや支店を飛び回りました。1年の半分はニューヨークの自宅を空けるという生活が続きます。当時の航空事情は今日ほど便利ではなく、各地への移動だけでも相当な体力と時間を要しました。

カメラという製品は、ディーラーとの信頼関係が販売に直結します。メーカーとディーラーの関係構築、在庫管理、販売促進策の立案など、現場の最前線で御手洗氏は営業の基本を叩き込まれていきました。

海外ビジネスで重要なこと

御手洗氏は後に「海外でビジネスをする際に重要なことは、現地の社員の信頼、取引先の信頼を獲得することです。それなしには、きちんとした経営はできません」と語っています。

この信念は、ディーラーを一軒一軒回り、債権問題を解決し、営業マンたちと向き合った米国時代の経験から生まれたものです。机上の理論ではなく、現場で培った実践知が御手洗氏の経営の基盤となっています。

妻・千鶴子さんの支え

渡米2年半後の結婚

御手洗氏を支えたのが、妻の千鶴子さんでした。渡米して2年半後に結婚。お見合いからわずか10日で結婚を決め、ニューヨークへ渡ったといいます。

千鶴子さんは大分市出身で、異国の地で営業に奔走する夫を支え続けました。1年の半分を家から離れる夫を待ち、帰宅すれば疲れた心身を癒やす。そうした日々が23年間続きました。

「ビジネスの戦場を駆け抜けた戦友」

千鶴子さんは2002年に59歳で亡くなられました。葬儀の席で御手洗氏は「ビジネスの戦場を一緒に駆け抜けた戦友」であり、今日の自分があるのは妻のおかげであると語っています。

海外駐在員の配偶者は「駐在妻」とも呼ばれ、その苦労は計り知れないものがあります。言葉の壁、文化の違い、孤独感。それでも夫のキャリアを支え続けた千鶴子さんの存在が、御手洗氏の米国での成功を陰で支えていたのです。

全米ナンバーワンへの道

カメラ市場での躍進

苦労の連続だった米国営業でしたが、御手洗氏の努力は実を結びます。カメラ市場で全米ナンバーワンの座を獲得。キヤノンUSAは売上高10億ドル企業(ビリオンダラーカンパニー)の仲間入りを果たしました。

1979年にはキヤノンUSA社長に就任。後半の10年間は社長として組織を率いました。社長就任時の経営陣で10年後に残ったのはたった1人だけで、あとは全員入れ換えたといいます。

管理職経験のない経営者

興味深いのは、御手洗氏が「管理職経験のない経営者」であることです。平社員時代にアメリカに赴任し、現地でキヤノンUSA社長に昇格。日本に帰国する前にキヤノン本体の取締役となりました。

つまり、日本の組織で課長、部長といった管理職を経験することなく経営者になったのです。この異例のキャリアパスが、御手洗氏の経営スタイルに大きな影響を与えています。

経営哲学の形成

「終身雇用の実力主義」

御手洗氏は「終身雇用の実力主義」という独自の経営哲学を掲げています。日本流の終身雇用による運命共同体としての集団結束力の強化と、米国流の競争の中から個々人の力を引き出す経営の両立を目指すものです。

この哲学は、米国で23年間「徹底的にアメリカ流」を実践した経験と、日本企業としてのアイデンティティを両立させる中で生まれました。

「人事はローカル」という信念

御手洗氏は「サイエンス(科学技術)やファイナンス(財務・会計)はインターナショナルの考えでいいんです。だけれども、人事はローカルなんですよ」と語っています。「その国の文化や宗教、その国の民族性に合った経営をするのが一番合理的」だと。

キヤノンは世界で18万人以上の従業員を抱えますが、海外の子会社や関連会社はその国の雇用制度で運営しています。日本では終身雇用を維持しながら、海外では人員調整も行う。一見矛盾するようですが、これこそが御手洗氏のグローバル経営の真髄です。

現在の御手洗氏

キヤノンの改革を主導

1995年に従弟の御手洗肇氏の死去を受けて第6代社長に就任した御手洗氏は、キャッシュフロー経営を導入し、キヤノンの財務体質を劇的に改善しました。社長就任前の8,400億円を超える負債を事実上完済し、日本有数の財務健全企業に変革しました。

事業の「選択と集中」を進め、液晶ディスプレイやパーソナルコンピュータ事業から撤退。経営資源をプリンター、カメラ、半導体製造装置等の高収益事業に集中させました。

経団連会長としての活動

2006年から2010年まで日本経済団体連合会会長を務め、「財界総理」として日本経済を牽引しました。私立大学出身者として初めての経団連会長就任も話題になりました。現在は経団連名誉会長、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会名誉会長なども歴任しています。

まとめ

御手洗冨士夫氏の「私の履歴書」が伝えるのは、華々しい経歴の裏にある泥臭い営業の苦労です。1973年のカメラ直接販売再開から始まった奮闘、現地営業マンとの格闘、全米を駆け回る日々。

その壮絶な経験が「終身雇用の実力主義」「人事はローカル」という独自の経営哲学を生み出し、キヤノンを世界的企業に押し上げる原動力となりました。妻・千鶴子さんという「戦友」の支えがあってこその23年間だったことも忘れてはなりません。

グローバル化が進む現在、海外でのビジネス経験がますます重要になっています。御手洗氏の米国時代の経験は、これから海外で働くビジネスパーソンにとっても多くの示唆を与えてくれるものです。

参考資料:

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