御手洗冨士夫が語る経団連会長就任と財界変革の軌跡
はじめに
日本経済新聞の「私の履歴書」に連載中のキヤノン会長・御手洗冨士夫氏が、経団連会長就任の経緯について明かしました。トヨタ自動車会長だった奥田碩氏からの突然の電話、そして「経団連の会長企業は時代を映すべきだ」という言葉。この一言が、日本の財界トップ人事に大きな転換をもたらしました。
御手洗氏は「財界総理」と呼ばれる経団連会長に、私立大学出身者として初めて就任した人物です。本記事では、御手洗氏の経歴と経団連会長就任の背景、そして日本の財界がどのように変化してきたのかを解説します。
御手洗冨士夫という経営者
キヤノンUSAでの23年間
御手洗冨士夫氏は1935年、大分県佐伯市に生まれました。中央大学法学部在学中は法曹を目指して司法試験に挑戦しましたが断念し、1961年に伯父の御手洗毅氏が創業者の一人であったキヤノンに入社します。
御手洗氏のキャリアで特筆すべきは、23年間にわたるアメリカ勤務です。1966年にキヤノンUSAへ出向し、1979年には同社の社長に就任。わずか13人でスタートしたキヤノンUSAを、6000人を超える陣容にまで育て上げました。アメリカ仕込みの合理的経営手法、特に「選択と集中」の戦略は、後のキヤノン経営にも大きな影響を与えています。
社長就任と経営改革
1995年、社長を務めていた従弟の御手洗肇氏の死去を受けて、御手洗冨士夫氏は第6代キヤノン社長に就任しました。以降、2006年に会長就任、2012年には会長兼社長CEOとして再び経営の第一線に復帰するなど、長年にわたってキヤノンを牽引し続けています。
奥田碩からの要請
突然の電話
日経新聞の「私の履歴書」で御手洗氏が明かしたエピソードによれば、経団連会長就任の打診は、出張先のキヤノンUSAで経営会議の最中に受けた電話だったといいます。
当時経団連会長だった奥田碩氏からの唐突な「私の後をやってほしい」という依頼に、御手洗氏は「そのような重責は無理だと思います」と一度は断りました。しかし、奥田氏は本気でした。
「時代を映す」という理念
帰国した御手洗氏に、奥田氏は「経団連の会長企業は時代を映すべきだ。今は重厚長大の企業よりハイテク企業の時代だ」と説得しました。この言葉は、日本の財界が産業構造の変化をどう受け止めるべきかを端的に示しています。
御手洗氏は後に、「決断するリーダーに共感を覚える」と述懐しています。奥田氏の決断力と先見性に感銘を受けたことが、最終的に会長職を引き受ける決意につながったのでしょう。
経団連会長の歴史と変遷
「財界総理」の系譜
経団連会長は「財界総理」と呼ばれ、日本経済界における最高の栄誉とされてきました。その歴史は1946年の設立にさかのぼり、戦後日本の経済復興と成長を支えてきた重要なポジションです。
伝統的に、経団連会長は日本の中心となる産業の、中心となる企業のリーダーから選ばれてきました。具体的には、鉄鋼・電力などの「重厚長大」産業がその中心でした。会長の任期は2年ですが、第6代の斎藤英四郎氏以降は2期4年務めるのが慣例となっています。
製造業重視の不文律
「会長は製造業出身が望ましい」という不文律が長らく存在し、歴代会長のうち非製造業出身は、第3代会長の植村甲午郎氏(経団連事務局)と第7代会長の平岩外四氏(東京電力)のわずか2人だけでした。
この不文律は、戦後日本の経済成長を支えた製造業への敬意と、モノづくり立国としてのアイデンティティを反映したものといえます。
自動車産業からの転換
1994年、豊田章一郎氏が自動車業界から初となる経団連会長(第8代)に就任したことは、大きな転換点でした。それまで重厚長大産業が占めていた財界トップの座に、自動車という新しい製造業が就いたのです。
そして2002年には奥田碩氏が、日経連との統合後の初代日本経済団体連合会会長に就任。8年にわたって財界トップの座にありました。奥田氏の時代、トヨタはハイブリッドカー「プリウス」の開発やF1参戦など大胆な改革を進め、売上高を8兆円から24兆円へと急成長させています。
キヤノン・御手洗会長の意義
ハイテク企業初の財界総理
2006年5月、御手洗冨士夫氏が経団連会長に就任しました。キヤノンという精密機器メーカー、いわゆる「ハイテク企業」のトップが財界総理に就いたのは初めてのことでした。
また、御手洗氏は私立大学(中央大学)出身として初めて経団連会長となった人物でもあります。東京大学など旧帝国大学出身者が大半を占めてきた財界トップに、新しい風を吹き込む人事でした。
アメリカ仕込みの経営哲学
23年間のアメリカ勤務で培った御手洗氏の経営手法は、従来の日本的経営とは一線を画すものでした。グローバルな視点、合理的な意思決定、そして「選択と集中」の戦略は、2000年代の日本企業が直面していた課題に対する一つの解答を示していました。
御手洗氏は2006年から2010年まで経団連会長を務め、現在は名誉会長として活動を続けています。
財界リーダーシップの今後
変化する産業構造
戦後の日本を支えてきた重厚長大型の製造業以外にも、情報通信やサービス関連などのニュービジネスが台頭し、産業構造は大きく変化しています。経団連もまた、こうした時代の変遷を反映して、役割や存在意義が問われています。
2024年12月には、非製造業である日本生命保険の筒井義信会長が次期経団連会長に内定しました。これは「会長は製造業出身が望ましい」という従来の不文律を破る異例の人事として注目を集めています。
決断するリーダーへの共感
御手洗氏が語った「決断するリーダーに共感を覚える」という言葉は、不確実性の高い現代において、より重要な意味を持っています。産業構造の変化、グローバル競争の激化、そしてデジタルトランスフォーメーションの波。こうした環境下で、日本の財界リーダーには従来にも増して大胆な決断力が求められています。
まとめ
御手洗冨士夫氏の経団連会長就任は、日本の財界における「脱・重厚長大」の象徴的な出来事でした。奥田碩氏の「経団連の会長企業は時代を映すべきだ」という言葉どおり、ハイテク企業のトップが財界総理を担うことで、日本経済界は新しい時代への適応を示しました。
23年間のアメリカ勤務で培ったグローバルな視点と合理的経営手法、そして「決断するリーダー」への共感。御手洗氏の歩みは、変化の時代を生きる経営者にとって、多くの示唆を与えてくれるものです。
参考資料:
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