キヤノン御手洗会長の米国時代、石油危機下のリストラと家族の支え
はじめに
キヤノンの御手洗冨士夫会長兼社長CEOによる日本経済新聞「私の履歴書」の連載が続いています。第13回では、1973年の米国でのカメラ直接販売再開と、その直後に襲った石油危機(オイルショック)、そして苦難の時代を支えた妻・千鶴子さんの存在が語られています。
30歳で渡米し、23年間にわたってアメリカでビジネスの最前線に立ち続けた御手洗氏。その経験は、後にキヤノンを国内屈指の高収益企業に育て上げ、経団連会長を務めるまでの経営者としての基盤となりました。
1973年、15年ぶりの直接販売再開
自社営業部隊の立ち上げ
御手洗氏によると、米国でカメラの直接販売を再開したのは1973年7月のことでした。自社による営業は実に15年ぶりで、御手洗氏は営業部隊の責任者を任されました。
しかし、スタートは苦労の連続だったといいます。現地採用の営業マンが販売奨励金を使いすぎたり、取引先の支払い能力を見極めきれずに債権が焦げ付いたりするトラブルが相次ぎました。
全米を飛び回る日々
御手洗氏は米国中のディーラーや支店を飛び回り、1年の半分はニューヨークの自宅を空けていたそうです。現地での人材育成、取引先管理、営業活動と、すべてを自ら陣頭指揮する激務の日々が続きました。
まだ若い組織での営業体制構築は、試行錯誤の連続でした。日本の本社からの指示と、現地の実情との間で板挟みになることも少なくなかったと推察されます。
石油危機という試練
オイルショックの衝撃
1973年10月、第四次中東戦争をきっかけに石油危機(オイルショック)が発生しました。原油価格の急騰は世界経済を直撃し、米国経済も深刻な打撃を受けました。
カメラという嗜好品を販売するキヤノンUSAにとって、消費者の購買意欲減退は死活問題でした。直接販売を再開してわずか数カ月でこの危機に見舞われたことは、御手洗氏にとって大きな試練となりました。
窮余のリストラ
危機的状況の中、御手洗氏は従業員の解雇という苦渋の決断を迫られました。「解雇通告」という連載タイトルが示すように、このエピソードは御手洗氏の記憶に深く刻まれています。
日本では終身雇用が当たり前の時代に、米国でレイオフ(一時解雇)を経験したことは、後の経営哲学にも影響を与えたと考えられます。御手洗氏は後に「終身雇用の実力主義」を掲げ、日本流の雇用安定と米国流の実力主義の両立を目指す経営スタイルを確立しました。
妻・千鶴子さんの支え
ニューヨーク生活を支えた存在
激務の中で御手洗氏を支えたのが、妻の千鶴子さんでした。渡米して2年半後に結婚し、慣れない異国での生活を共にしました。
1年の半分を出張で家を空ける夫を支え、ニューヨークでの生活基盤を築いた千鶴子さんの存在は、御手洗氏のキャリアにおいて欠かせないものでした。ビジネスの成功の陰には、家族のサポートがあることを改めて感じさせるエピソードです。
23年の米国経験がもたらしたもの
「アメリカ仕込み」の経営
御手洗氏は30歳で渡米し、23年間にわたって米国ビジネスの最前線に立ちました。1979年からはキヤノンUSA社長を10年間務め、1989年に帰国しています。
この長い米国経験は、御手洗氏の経営スタイルに大きな影響を与えました。「アメリカ仕込みの合理的経営」と評される手法は、後にキヤノン本体の経営改革にも活かされました。
キヤノンを高収益企業に
1995年に社長に就任した御手洗氏は、前代未聞の経営改革を断行し、キヤノンを国内屈指の高収益企業に育て上げました。2006年からは日本経済団体連合会会長を2期4年間務め、「財界総理」として日本経済界を牽引しました。
私立大学出身者として初めて経団連会長に就任したことも、御手洗氏の特筆すべき経歴です。
まとめ
「私の履歴書」で語られる御手洗氏の米国時代は、苦難と挑戦の連続でした。1973年のカメラ直接販売再開直後に石油危機に見舞われ、解雇という苦渋の決断も経験しました。
しかし、妻の支えと自身の努力で困難を乗り越え、23年間の米国経験はキヤノンを世界的企業に成長させる経営者としての基盤となりました。石油危機からバブル崩壊、リーマン・ショック、デジタル革命まで幾多の危機と対峙してきた御手洗氏の経験は、今なお経営者のロールモデルとして参考になるものです。
参考資料:
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