御手洗冨士夫「私の履歴書」、キヤノンを高収益企業に導いた経営哲学
はじめに
日本経済新聞の人気連載「私の履歴書」に、キヤノン会長兼社長CEOの御手洗冨士夫氏が登場しています。キヤノンを国内屈指の高収益企業に育て、日本経済団体連合会(経団連)会長も務めた御手洗氏。その経営者人生は、決して順風満帆ではありませんでした。
米国で23年間も現地法人の立ち上げに奔走し、1995年に社長就任後は経営改革に追われました。石油危機からバブル崩壊、リーマンショック、デジタル革命まで、幾多の窮地と対峙した悪戦苦闘の記録です。
本記事では、御手洗氏の経歴、経営哲学、そしてキヤノンの改革について解説します。
御手洗冨士夫の経歴
大分から始まった人生
御手洗冨士夫氏は1935年9月23日、大分県に生まれました。私の履歴書の第1回は「なにくそ」というタイトルで、逆境に立ち向かう姿勢を示しています。第2回「水軍の末裔」、第3回「蒲江」と、故郷・大分での少年時代が綴られています。
大分県立佐伯鶴城高等学校から東京都立小山台高等学校に転入し、中央大学法学部を卒業。私立大学出身者として初めて経団連会長に就任したことでも知られています。
米国での23年間
御手洗氏のキャリアで特筆すべきは、米国での23年間の経験です。キヤノンUSAの立ち上げに奔走し、米国市場でのビジネス展開を一から築き上げました。
この米国での経験が、後のグローバル経営や、日本流と米国流を融合させた経営スタイルの基盤となりました。
社長就任と経営改革
1995年にキヤノン社長に就任した御手洗氏は、直ちに経営改革に着手しました。当時のキヤノンは8,400億円を超える負債を抱え、経営体質の強化が急務でした。
石油危機、バブル崩壊、リーマンショック、デジタル革命と、次々と押し寄せる経営環境の激変に対応しながら、改革を進めていきました。
御手洗流経営の特徴
キャッシュフロー経営
御手洗氏が導入したのは「キャッシュフロー経営」です。売上や利益だけでなく、実際のお金の流れを重視する経営手法で、キヤノンの財務体質強化の柱となりました。
この方針のもと、8,400億円を超えた負債を事実上完済。日本有数のキャッシュフローを持つ企業にまで財務体質を改善しました。
「選択と集中」
事業の「選択と集中」も御手洗改革の特徴です。液晶ディスプレイ、光ディスク、パソコン事業から撤退し、経営資源を利益率の高いプリンター、カメラ、半導体製造装置などに集中させました。
「何でもやる」のではなく、強みのある分野に資源を投入する。この戦略により、営業利益率などの経営指標は製造業トップクラスにまで向上しました。
セル生産方式の導入
生産面では、セル生産方式を導入しました。ベルトコンベア式のライン生産から、少人数のチームが製品を最初から最後まで組み立てる方式への転換です。
これにより、生産性の低下していた工場の効率を大幅に改善。柔軟な生産体制を構築しました。
「終身雇用の実力主義」
日米両方の良さを融合
御手洗氏の経営哲学で最も特徴的なのは、「終身雇用の実力主義」という考え方です。日本流の終身雇用による運命共同体としての集団結束力と、米国流の競争の中から個々人の力を引き出す経営の両立を目指しました。
23年間の米国経験で学んだ米国流の経営と、日本企業の強みである長期的な人材育成を融合させた独自のスタイルです。
雇用を守る姿勢
厳しい経営環境に際しても、御手洗氏は雇用の堅持を第一義としました。リーマンショック後など経営危機の際にも、従業員の雇用を守りきることを優先しました。
その代わり、夏休みの短縮、成果主義の導入、フレックスタイム制の廃止などを行い、生産性向上への協力を従業員に求めました。「雇用を守る代わりに、会社への貢献を求める」という相互責任の考え方です。
経営塾による人材育成
キヤノン本社では、御手洗氏自身が塾長となって「経営塾」という実践教育を行っています。若手幹部候補の育成に自ら取り組む姿勢は、次世代への経営哲学の継承を重視していることの表れです。
経団連会長としての活動
「財界総理」として
2006年から2010年まで、御手洗氏は日本経済団体連合会(経団連)の会長を務めました。経団連会長は「財界総理」とも呼ばれる重職です。
2007年には「希望の国、日本」(御手洗ビジョン)を発表。消費税率の引き上げを含む財政再建策を提言するなど、日本経済全体の課題に取り組みました。
政策提言
御手洗氏は経団連会長として、法人税減税や規制緩和、環太平洋経済連携協定(TPP)への参加などを提言しました。グローバル競争の中で日本企業が戦える環境整備を訴えました。
今も経営の最前線に
90歳を迎えても現役
御手洗氏は2025年に90歳を迎えましたが、今もキヤノンの会長兼社長CEOとして経営の最前線に立っています。これほど長く第一線で活躍する経営者は稀有な存在です。
「私の履歴書」では、経営者人生の総仕上げに向かうタイミングで、自らの歩みを振り返っています。
これからのキヤノンと日本に何を残すか
デジタル化やAIの進展により、カメラやプリンターという従来の主力事業は転換期を迎えています。御手洗氏がこれからのキヤノンと日本に何を残すのか—「私の履歴書」はその答えを探る連載でもあります。
まとめ
御手洗冨士夫氏の「私の履歴書」は、キヤノンを高収益企業に導いた経営者の軌跡です。米国での23年間の経験、キャッシュフロー経営と選択・集中、「終身雇用の実力主義」という独自の経営哲学—幾多の危機を乗り越えてきた悪戦苦闘の記録は、再生と成長へのヒントを与えてくれます。
90歳を迎えても経営の最前線に立ち続ける御手洗氏。その経営者人生の総仕上げが、どのような教訓を残すのか。連載の続きに注目が集まります。
参考資料:
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