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by nicoxz

御手洗冨士夫が語る技術者魂、キヤノン画期的製品の開発秘話

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はじめに

キヤノン代表取締役会長兼社長CEOの御手洗冨士夫氏が、日本経済新聞「私の履歴書」で自身の経営哲学と技術開発への姿勢を語っています。自動露出の一眼レフ「AE-1」、ゼロックスの特許に触れずに開発した普通紙複写機、バブルジェット方式のプリンター——これら画期的な製品をキヤノンは世に送り出してきました。

御手洗氏は「利益優先主義」と「全体最適」を掲げながらも、成長に不可欠な技術力を守り続けてきました。その経営手法の核心にある「どんな技術でも、まず3年で見極める。迷ったら2年延長して5年で判断する」という明確なルールについて、キヤノンの技術開発の歴史とともに解説します。

御手洗冨士夫氏の経営哲学

「利益優先主義」と「全体最適」

1995年に社長に就任した御手洗氏は、キャッシュフロー経営を取り入れ、財務体質の強化に乗り出しました。「シェア拡大・売上高アップより利益重視の経営を」という考え方は、40年前のキヤノンUSAでの経験で学び取ったものだといいます。

事業の「選択と集中」を掛け声として、液晶ディスプレイや光ディスク、パーソナルコンピュータ事業から撤退し、経営資源を利益率の高いプリンター、カメラ、半導体製造装置等に集中させました。パソコンブームの最中にパソコン事業から撤退した決断も、利益重視の見方を貫けば当然の結果だったと振り返っています。

技術開発の判断基準

御手洗氏の技術開発に対するルールは明確です。「どんな技術でも、まず3年で見極める。迷ったら、2年延長して5年で判断する。そのときも迷っていたら、やめる」——この原則が、限られた経営資源を最も有望な技術に集中させることを可能にしています。

この判断基準は、無駄な投資を避けながらも、将来性のある技術には十分な時間と資源を投入するというバランスを実現しています。

AE-1:一眼レフの革命

キヤノンUSAの救世主

キヤノンUSAの業績を一変させたのが、一眼レフカメラ「AE-1」でした。この製品は一眼レフの世界にイノベーションを起こし、カメラ市場を大きく変えました。

当時の米国カメラ市場では100ドル以下の製品が主流で、日本製の中高級機は200ドル以上、一眼レフの高級機なら400ドルはする状況でした。AE-1は自動露出機能を搭載しながら、競争力のある価格で提供することに成功し、市場を席巻しました。

技術と販売の両立

AE-1の成功は、単なる技術的優位だけでなく、マーケティングと販売戦略の成功でもありました。御手洗氏がキヤノンUSAで学んだ「利益重視の経営」は、この製品の市場投入においても発揮されました。

普通紙複写機:ゼロックス特許網の突破

600件の特許との戦い

1960年代、普通紙複写機市場はゼロックス社が世界シェア100%を握っていました。ゼロックス914に関する特許は600件以上もあり、世界中の技術者の多くは手出しができないと考えていました。

しかし、キヤノンは「新しい技術、新しい商品ジャンルに出て行かなければ会社の将来はない」という危機感から、1962年に製品研究課を新設し、複写機開発に挑みました。

NP方式の開発

キヤノンはゼロックス社のゼログラフィ方式とは全く異なる新たな電子写真方式「NP方式」を開発しました。1965年にNP方式の最初の特許を出願し、その後も多くの関連特許を取得していきました。

「複写機を作りたい。ゼロックスの特許を取り寄せてほしい」——技術者の声に応え、技術と特許が一体となった開発が進められました。「普通複写機の開発は、技術と特許が一緒にならなければできない仕事」という認識が、キヤノンの知的財産戦略の基礎となりました。

国産初の普通紙複写機NP-1100

「右手にカメラ、左手に事務機」を合言葉に、総力をあげて取り組んだプロジェクトは1969年に製品試作第一号機を完成させ、1970年に国産初の普通紙複写機「NP-1100」が発売されました。

販売方法もゼロックスのレンタル方式とは異なる売り切り方式を採用し、独自の保守サービス「TGシステム」を導入しました。売上としては大きな成功とはなりませんでしたが、ゼロックスの特許網を世界で初めて突破した点で、NP-1100は十分にその役割を果たしました。

バブルジェットプリンター:偶然から生まれた革新

偶然の発見

1970年代半ば、キヤノンの研究者たちはインクジェット技術の可能性に着目し、研究開発を続けていました。ある日の実験中、インクを詰めた注射器の針に熱したハンダごてが偶然触れ、針先からインク滴が勢いよく噴出しました。

この偶然の産物をきっかけにさまざまな実験と検証を重ね、ヒーターの加熱でインク滴を吐出させるキヤノン独自の「バブルジェット」技術が誕生しました。1977年10月、キヤノンは世界初のサーマルインクジェット技術の基本特許を出願しました。

製品化への道のり

基本特許の出願後も技術の改良を重ね、1985年に世界で初めてバブルジェット方式を採用したインクジェットプリンター「BJ-80」を発売しました。1990年には普及タイプの「BJ-10v」を発売し、一般個人ユーザーにも浸透し始めました。

バブルジェット方式は、インクを加熱して気泡を発生させ、その力でインクを噴射する方式です。ヘッド構造を比較的単純にできるため、高速化や高密度化を図りやすいという特徴があります。

技術開発の真髄

終身雇用の実力主義

御手洗氏は「終身雇用の実力主義」を掲げ、日本流の終身雇用による集団結束力の強化と、米国流の競争から個々人の力を引き出す経営の両立を実践してきました。

米国流の合理主義と日本式経営の良いところを合わせた独特の経営哲学は、強烈なリーダーシップと現場重視のコミュニケーションによって支えられています。

知的財産戦略の重視

ゼロックスとの特許攻防から学んだ教訓は、事業における特許戦略の重要性でした。1978年にはゼロックス社とクロスライセンス契約を結び、この挑戦から知的財産活動を重視する姿勢は今日まで受け継がれています。

キヤノンはNPシステムの特許を独占するのではなく世界に公開し、100万ドル(当時3億円以上)のライセンス契約も獲得しました。技術を囲い込むのではなく、適切にライセンスすることで収益を上げる戦略も、御手洗氏の経営哲学の一端を示しています。

注意点・今後の展望

先端技術への投資継続

御手洗氏は、先端技術の活用がキヤノンの歴史において生命線であると強調しています。近年では既存の産業構造や人々の生活を一変させるような革命的なテクノロジーが登場しており、日本はもっと最先端領域への投資を行うべきだと提言しています。

製造業の将来

「悲観は感情から生まれ、楽観は意志から生まれる」——御手洗氏のこの言葉は、技術開発に対する姿勢を端的に表しています。3年、5年という明確な判断基準を持ちながらも、将来性のある技術には果敢に挑戦する姿勢が、キヤノンの成長を支えてきました。

まとめ

御手洗冨士夫氏の「私の履歴書」が描くキヤノンの歴史は、技術開発と経営判断の両立の物語です。「どんな技術でも、まず3年で見極める。迷ったら5年で判断する。そのときも迷っていたら、やめる」という明確なルールは、限られた資源で最大の成果を上げるための知恵といえます。

AE-1、普通紙複写機、バブルジェットプリンターといった画期的製品は、いずれも技術者の情熱と経営者の決断が組み合わさって生まれました。技術力を守りながら利益を追求するという、一見相反する目標の両立こそが、キヤノン流経営の真髄なのかもしれません。

参考資料:

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