スズキのタイ工場をフォードが取得、中国EV攻勢の影響
はじめに
スズキが保有するタイ東部ラヨーン県の完成車工場を、米フォード・モーターが取得することが明らかになりました。スズキは2024年にタイでの現地生産からの撤退を発表しており、工場の売却先を模索していました。
この動きは、タイの自動車市場における大きな構造変化を象徴しています。かつて日本メーカーが9割近いシェアを握っていたタイ市場では、中国EVメーカーの急速な台頭により勢力図が塗り替えられつつあります。本記事では、スズキの撤退背景、フォードの戦略的意図、そしてタイ自動車産業の今後について詳しく解説します。
スズキのタイ撤退の経緯
タイ進出から撤退決定まで
スズキがタイに進出したのは2012年のことです。2007年にタイ政府が発表した低燃費小型乗用車を推奨する「エコカープロジェクト」への申請が進出の契機となりました。スズキは約200億円を投資し、ラヨーン県に年間約10万台の生産能力を持つ工場を建設しました。
工場は2012年3月に稼働を開始し、「スイフト」や「シアズ」などの小型車を生産していました。ピーク時の2016年度には生産台数が約6万台に達し、輸出も3万3,000台を記録するなど、一定の成功を収めていました。
販売不振の深刻化
しかし、状況は2019年以降急速に悪化しました。欧州向けの小型車「セレリオ」の輸出が停止したことをきっかけに、生産台数は急減します。2023年度の生産台数はピーク時比約87%減の7,579台、販売台数は約73%減の1万807台、輸出台数は約97%減の1,272台と、すべての指標で大幅な落ち込みを記録しました。
スズキの広報担当者は「当社が得意とする小型車の市場が想定したほど大きくならなかった」と説明しています。タイではピックアップトラックが人気を集めていますが、スズキはこのセグメントに参入していませんでした。また、バーツ高の影響でコスト競争力も低下し、輸出用生産にも逆風が吹いていました。
2024年の撤退発表
2024年6月7日、スズキは正式にタイでの四輪生産から撤退すると発表しました。現地子会社のスズキ・モーター・タイランド(SMT)での生産を2025年末までに終了し、工場を閉鎖する方針を示しました。約800人の従業員については、一部の就職先をあっせんするほか、パトゥムタニ県にある二輪車・船外機工場への転換といった支援を検討するとしています。
フォードの戦略的買収
タイ生産拠点の強化
フォードは2025年1月22日、スズキの旧工場を取得する契約を締結したと発表しました。取得額は非公表ですが、この買収はフォードのアジア太平洋地域における戦略的拡大の一環として位置づけられています。
取得する工場は敷地面積約66ヘクタール(約412.5ライ)、総建築面積6万5,000平方メートルで、2012年に建設されました。重要な戦略的優位性として、フォードの既存工場であるフォード・タイランド・マニュファクチャリング(FTM)に隣接しており、フリーゾーン内に位置していることが挙げられます。これにより物流管理の効率化、運営コストの削減、既存の生産ラインとの統合が容易になります。
タイにおけるフォードの存在感
フォードにとってタイは、インドからの撤退後、アジアにおける最大の生産拠点となっています。現在、FTMとオートアライアンス・タイランド(AAT)の2つの生産工場を有し、合計年間27万台以上の生産能力を持っています。
フォードはこれまでにタイへ累計34億ドル(約5,100億円)以上を投資してきました。2022年には9億ドル(約1,350億円)を投じて工場の近代化を実施しており、これは同社のタイにおける単一投資としては過去最大規模でした。この投資は次世代「レンジャー」ピックアップトラックと「エベレスト」SUVの生産を支えるものです。
2026年に向けた新モデル投入
フォードは2026年にタイで「レンジャー・スーパーデューティ」を発売する予定です。このモデルは最大4.5トンの牽引能力と4.5トンの積載能力を持ち、総重量8トンまで対応可能な中型トラックです。農業、建設、重量物流などの商業用途向けに開発され、まずオーストラリア市場で発売後、他のグローバル市場に展開される計画です。
中国EVの攻勢とタイ市場の変化
急速に拡大する中国メーカーのシェア
タイ自動車市場では、中国EVメーカーの台頭が日本メーカーに大きな脅威となっています。2022年にタイ政府がEV振興策「EV3.0」を開始すると、中国メーカーが一斉に参入しました。この政策は将来のタイでの現地生産を約束すれば、輸入車販売でも補助金や輸入関税の引き下げが受けられる点が特徴で、中国国内で抱える大量の在庫のはけ口を探していた中国EVメーカーにとって好機となりました。
2023年に中国EVは本格参入し、日本車が9割近いシェアを持っていた市場で、いきなり1割のシェアを獲得しました。2024年には10社近くの中国系メーカーがタイ市場で競争しています。
日本車シェアの低下
日本メーカーのタイにおける市場シェアは急速に低下しています。2022年には自動車販売全体の85.4%を占めていた日系ブランドのシェアは、2024年には76.7%にまで縮小しました。乗用車に限ると、2022年の79.6%から2024年には64.8%へと15ポイント近く低下しています。
2025年上半期の状況はさらに厳しく、日本メーカーの総販売シェアは70.6%に低下し、中国メーカーは16.2%まで上昇しています。乗用車セグメントでは、中国メーカーが22.0%のシェアを獲得しています。
市場全体の縮小
シェア低下に加え、タイ自動車市場自体が縮小傾向にあります。2024年の自動車生産台数は前年比19.9%減の約147万台、新車販売台数は26.2%減の約57万台と大幅に落ち込みました。国内市場は80〜90万台で頭打ちとなっており、輸出もピークの2018年の115万台から2024年は86万台まで減少する見込みです。
注意点・今後の展望
日本メーカーの戦略転換
スズキの撤退は孤立した事例ではありません。スバルもタイからの現地生産撤退を決めており、ホンダと日産自動車はタイでの生産能力縮小を進めています。日産はタイ工場の一部閉鎖を決定し、2024年の国内販売は1万台を割り込みました。
一方、トヨタは厳しい環境下でも防戦を続けており、2024年も市場シェア38.5%で首位を維持しています。トヨタは最安価格帯のハイブリッド車をタイに投入するなど、中国EVへの対抗策を講じています。
スズキの今後の展開
スズキは工場閉鎖後もタイでの事業を完全に撤退するわけではありません。ASEAN域内、日本、インドの工場で生産した完成車を輸入し、タイ国内での販売やアフターサービスを継続する方針です。2026年上半期にはB-SUV、クロスオーバーSUV、ミニSUVの3つの新モデルを投入する計画を発表しており、インドやインドネシアなど他の主力拠点に経営資源を集中させながら、タイ市場へのコミットメントは維持する姿勢を示しています。
フォードの拡大戦略
フォードにとって、スズキ工場の取得は単なる設備拡張以上の意味を持ちます。タイは「レンジャー」ピックアップトラックのグローバル生産・輸出拠点であり、同モデルは世界180以上の市場で販売されています。隣接する土地の取得により、生産効率の向上と将来の拡張余地を確保できます。厳しい競争環境にあるタイ市場ですが、フォードは商用車・ピックアップセグメントに特化することで、中国EVメーカーとの直接競合を避けつつ、強みを活かす戦略を取っています。
まとめ
スズキのタイ工場がフォードに売却されたことは、タイ自動車産業における大きな転換点を示しています。中国EVメーカーの急速な台頭により、かつて「日本車王国」と呼ばれたタイ市場の勢力図は大きく変化しています。
スズキはタイでの生産からは撤退しますが、インドなどの主力市場に経営資源を集中させる戦略的判断を下しました。一方、フォードはこの機会を捉えてタイでの生産基盤を強化し、ピックアップトラック市場でのプレゼンス拡大を図っています。
タイ自動車産業を取り巻く環境は今後も変化が続くと予想されます。日本メーカー各社がどのように戦略を転換し、中国メーカーとの競争に対応していくのか、引き続き注目が集まります。
参考資料:
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