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by nicoxz

キヤノン御手洗氏のM&A戦略と事業多角化の全貌

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はじめに

キヤノンは長年、「右手にカメラ、左手に事務機」という二本柱で成長を続けてきました。しかし、スマートフォンの普及によるデジタルカメラ市場の縮小や、ペーパーレス化による複写機需要の停滞により、従来の事業モデルだけでは成長の限界が見えてきました。

この危機を乗り越えるためにキヤノンが選んだのが、M&A(合併・買収)を軸とした事業多角化戦略です。その中心にいたのが、御手洗冨士夫会長兼社長CEOです。御手洗氏のM&Aには「相手を尊重する」という一貫した哲学があり、それが大型買収を成功に導く決め手となってきました。

本記事では、キヤノンがカメラと複写機の次に何を目指し、どのようにM&Aを活用して事業変革を進めてきたのかを詳しく解説します。

カメラ・複写機事業の成熟と転換の必要性

デジタル化の恩恵とその限界

キヤノンはデジタル化の波にいち早く対応し、デジタルカメラやデジタル複合機で大きな成功を収めました。売上高は5兆円に迫る規模まで拡大しています。

しかし、2010年代に入ると状況は一変します。スマートフォンのカメラ性能が急速に向上し、コンパクトデジタルカメラの市場は壊滅的な打撃を受けました。一眼レフ・ミラーレスカメラの市場も縮小傾向が続いています。

複写機・プリンター事業も、企業のペーパーレス化やクラウド化の進展により成長が鈍化しました。キヤノンの二本柱がともに成熟期を迎えたことで、新たな収益の柱を構築する必要に迫られたのです。

御手洗氏の経営判断

御手洗冨士夫氏は、こうした市場環境の変化を早くから見据えていました。自前で新規事業をゼロから立ち上げるには時間がかかりすぎます。そこで選んだのが、すでに技術やマーケットシェアを持つ企業をM&Aで取り込む戦略でした。

御手洗氏は不採算事業を大胆に整理する一方で、成長分野への投資を積極的に行うという、「選択と集中」を徹底しました。パソコンや液晶ディスプレイ、光学メモリーカードなど、収益性の低い事業からは撤退し、経営資源を新たな柱の構築に集中させています。

大型M&Aの軌跡:3つの柱を築く

ネットワークカメラ事業への参入

キヤノンの多角化の第一歩として注目されるのが、ネットワーク監視カメラ事業への参入です。2014年にビデオ管理ソフトウェア大手のMilestone Systemsを買収し、続く2015年にはスウェーデンのAxis Communicationsを約3,300億円で買収しました。

Axisはネットワークカメラを世界で初めて実用化した企業で、179カ国に展開するグローバル企業です。買収当時、監視カメラ市場で世界シェアトップの17.5%を占めていました。

キヤノンが持つ光学技術・イメージング技術と、Axisのネットワーク映像技術・ソフトウェア技術は補完関係にあります。この組み合わせにより、高画質なAI監視カメラの開発が可能になりました。現在では、米国をはじめとする西側諸国で中国製監視カメラを排除する動きが広がっており、キヤノンのネットワークカメラ事業は追い風を受けています。

医療機器事業への本格参入

キヤノン最大のM&Aとなったのが、2016年の東芝メディカルシステムズ(現キヤノンメディカルシステムズ)の買収です。買収額は6,655億円にのぼります。

東芝メディカルはCTスキャナーで世界第3位、日本国内ではトップのシェアを持つ優良企業でした。MRIや超音波診断装置なども手がけ、2016年3月期の売上高は4,169億円、営業利益は176億円を計上しています。

御手洗氏は医療分野を「最も成長が期待できる分野」と位置づけていました。世界的な高齢化の進展や医療技術の高度化により、医療用画像診断装置の需要は拡大が見込まれています。キヤノンの光学技術・画像処理技術との親和性も高く、戦略的に極めて合理的な買収でした。

買収スキームの独自性と課題

東芝メディカルの買収では、東芝側の財務事情から早期の売却益計上が必要でした。そのため、独占禁止法の審査完了前に取引を進める特殊なスキームが採用されました。

具体的には、東芝メディカル株を特別目的会社(SPC)に売却し、キヤノンは議決権のない株式と新株予約権を取得するという手法です。この手法は各国の独禁法当局から問題視され、中国商務省から約500万円、米国司法省からは250万ドル、欧州委員会からは2,800万ユーロの罰金が科されました。

それでも御手洗氏はこの買収を成功と評価しています。罰金の総額は買収額に比べれば限定的であり、医療機器事業という成長分野への参入を確実に果たしたからです。

「相手を尊重する」買収哲学

独立性の維持と文化の融合

御手洗氏のM&A戦略で特徴的なのは、「相手を尊重する」という姿勢です。買収した企業に対してキヤノン流の経営を一方的に押しつけるのではなく、相手企業の強みや文化を尊重しながら統合を進めるアプローチを取っています。

Axis Communicationsの買収後も、同社のブランドや経営体制は維持されました。スウェーデンに本社を置く体制を継続し、現地の経営陣が事業運営を担っています。これにより、Axisが持つ技術力や顧客との関係を損なうことなく、キヤノングループとしてのシナジーを引き出すことに成功しました。

PMI(買収後統合)の段階的アプローチ

キヤノンメディカルシステムズについても、買収直後は独立した経営を維持しつつ、段階的に統合を進めています。2018年に社名を変更した後、技術交流や共同開発を徐々に拡大してきました。

2025年12月には、開発・生産部門をキヤノン本体に吸収する方針を発表しています。約5,400人の国内従業員のうち半数がキヤノン本体に転籍する計画です。買収から約9年をかけて、ようやく本格的な統合段階に入ったことになります。

この慎重で段階的なアプローチは、御手洗氏の「急がば回れ」の経営哲学を体現しています。相手企業の従業員や技術を大切にすることで、人材流出を防ぎ、長期的な事業価値を最大化する狙いがあります。

注意点・展望

収益化の課題

M&Aによる多角化は着実に進んでいますが、課題も残っています。キヤノンメディカルの営業利益率は約5%と、キヤノン全体の約10%と比較して低い水準にとどまっています。6,655億円という巨額の投資に見合うリターンを生み出すには、さらなる収益改善が必要です。

ネットワークカメラ事業でも、中国メーカーとの価格競争は厳しい状況が続いています。世界シェアは約3%にとどまっており、AI技術の活用や西側諸国での需要取り込みによるシェア拡大が求められます。

今後の展望

御手洗氏は2022年以降も医療・産業機器の材料分野でのM&Aを進める方針を示しています。キヤノンは現在、プリンティング、メディカル、イメージング、インダストリアルの4つの事業グループ体制を敷いており、カメラと複写機の「二本柱」から「四本柱」への転換を進めています。

また、2025年には海外生産拠点の再編や外部への生産委託の検討など、製造面での自前主義からの転換も打ち出しています。M&Aによる事業領域の拡大と、生産体制の効率化を同時に進めることで、新たな成長ステージを目指す構えです。

まとめ

キヤノンの御手洗冨士夫氏は、カメラと複写機という成熟事業に依存する体制からの脱却を、M&Aを通じて実現してきました。Axis Communications、東芝メディカルシステムズといった大型買収を成功させた背景には、「相手を尊重する」という買収哲学があります。

買収先の技術力やブランド、人材を大切にしながら段階的に統合を進めるアプローチは、M&Aの成功率が低いとされる日本企業にとって、一つのモデルケースといえます。収益化や市場シェア拡大といった課題は残るものの、キヤノンの事業ポートフォリオ変革は着実に前進しています。

参考資料:

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