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by nicoxz

御手洗冨士夫が語る23年の米国経験とキヤノン経営改革の軌跡

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はじめに

キヤノン会長兼社長CEOの御手洗冨士夫氏が、日本経済新聞の名物連載「私の履歴書」で自身の半生を振り返っています。2026年1月から始まったこの連載は、90歳を迎えた現役経営者が、激動の時代を生き抜いてきた経験と経営哲学を語る貴重な記録となっています。

連載第20回では、23年間のアメリカ駐在から帰国した1989年当時の日本の様子が描かれています。バブル景気に沸く日本社会への「違和感」という表現には、長期海外駐在者ならではの視点が込められています。

この記事では、御手洗氏の経歴とアメリカでの経験、バブル期の日本経済、そしてキヤノンを世界的高収益企業に育て上げた経営改革について詳しく解説します。

御手洗冨士夫氏の経歴と23年間の米国駐在

入社から渡米まで

御手洗冨士夫氏は1935年9月23日、大分県に生まれました。中央大学法学部在学中は法曹を目指し司法試験に挑戦しましたが断念し、1961年にキヤノンに入社します。キヤノンは伯父の御手洗毅氏が創業者の一人であった企業です。

入社からわずか4年後の1966年、30歳でアメリカに派遣されます。以後23年間、御手洗氏はアメリカでキヤノンの現地事業の発展に尽力することになります。

キヤノンUSA社長としての成功

米国駐在のうち最後の10年間は、キヤノンUSAの社長を務めました。1979年1月、43歳のときに5代目社長に就任しています。この間、御手洗氏はカメラ市場で全米ナンバーワンの座を獲得し、キヤノンUSAを売上高10億ドル企業(ビリオンダラーカンパニー)へと成長させました。

平社員時代にアメリカに赴任し、現地でキヤノンUSA社長にまで昇格したという異色の経歴は、後の経営スタイルにも大きな影響を与えています。管理職経験のないまま経営者となった御手洗氏は、「海外でビジネスをする際に重要なのは、現地の社員と取引先の信頼を獲得すること。その信頼獲得には最低10年はかかる」と語っています。

アメリカ仕込みの経営哲学

23年間の米国駐在で培われたのは、合理的な経営手法と国際的な視野です。後にキヤノン本社の経営を担うことになる御手洗氏は、アメリカ仕込みの経営スタイルを日本の企業文化と融合させていくことになります。

バブル景気の日本と「浦島太郎」の違和感

1989年の日本経済

御手洗氏が帰国した1989年は、日本経済がバブル景気の絶頂期にありました。同年1月には元号が「昭和」から「平成」へと変わり、時代の節目を迎えた年でもあります。

この年の12月には日経平均株価が3万8915円という史上最高値を記録しました。土地価格は異常な高騰を見せ、「東京都の山手線内側の土地価でアメリカ全土が買える」という計算結果が出るほどでした。1986年から1989年に発生したキャピタルゲインは、資産価格の上昇により1,452兆円に及んだとされています。

23年ぶりの日本での戸惑い

連載で御手洗氏は、取引先との食事の帰りにタクシーを呼ぼうとした際のエピソードを紹介しています。「ゲイシャでいっぱいです」と言われ、「それほどたくさんの芸者さんがタクシーを待っているのか」と勘違いしたというのです。「芸者」と「迎車」の聞き間違いは、御手洗氏自身が「浦島太郎」と表現するほどの感覚のずれを象徴するエピソードです。

本社に戻ると、課長たちは御手洗氏がアメリカ駐在中に入社した社員ばかり。部長たちに顔見知りがいて助かったと回想しています。

バブル崩壊への序章

しかし、このバブル景気は長くは続きませんでした。1989年5月以降、公定歩合が段階的に引き上げられ、1990年3月には「総量規制」が通達されます。1989年末に3万8915円だった日経平均株価は、わずか1年後の1990年末には2万3848円にまで下落しました。

その後、日本は「失われた30年」と呼ばれる長期経済停滞期に突入します。この激動の時代を、御手洗氏はキヤノンの経営者として乗り越えていくことになります。

キヤノンを変革した経営改革

社長就任と財務体質の改善

1995年、社長を務めていた従弟の御手洗肇氏の死去を受け、御手洗冨士夫氏は第6代社長に就任します。就任時、キヤノンには8400億円を超える負債がありました。

御手洗氏はまずキャッシュフロー経営を導入し、財務体質の強化に着手します。事業の「選択と集中」を掛け声に、液晶ディスプレイ、光ディスク、パーソナルコンピュータ事業から撤退。経営資源を利益率の高いプリンター、カメラ、半導体製造装置などに集中させました。

セル生産方式と成果主義の導入

生産面では、セル生産方式を導入して工場の生産効率を大幅に向上させました。従来のベルトコンベア方式から、少人数のチームが製品を最初から最後まで組み立てる方式への転換です。

人事制度では「終身雇用の実力主義」を掲げ、日本流の終身雇用による結束力と、米国流の競争原理を両立させました。具体的には、成果主義の導入、フレックスタイム制の廃止、独身寮・社宅補助の廃止などを実施。一方で、雇用は守り抜くという姿勢を貫きました。

改革の成果

これらの改革により、御手洗氏は8400億円を超える負債を事実上完済。デフレ不況の中でもキヤノンは純利益で3期連続の過去最高を達成しました。2003年には米ビジネスウィーク誌が選ぶ「世界の経営者25人」に選出されています。

経団連会長としての活動と現在

財界総理としての役割

2006年、御手洗氏は日本経済団体連合会(経団連)の会長に就任します。私立大学出身者として初めて「財界総理」と呼ばれる経団連会長職に就いたことは大きな話題となりました。2010年まで会長を務め、日本経済界を代表する立場で政策提言などを行いました。

事業ポートフォリオの転換

2012年にはキヤノン社長に6年ぶりに復帰。デジタル化やIT化の進展により技術と産業の入れ替わりが早まる中、御手洗氏は「時間を買う」経営へと方針を転換します。

2005年の産業機器を皮切りに、2010年に産業印刷機、2015年に監視カメラ、2016年に医療機器と、積極的なM&Aを展開。現在のキヤノンは、プリンティング、メディカル、イメージング、インダストリアルの「4つの柱」で事業ポートフォリオを構成しています。

最新の経営動向

2024年12月期決算では、売上高4兆5400億円(前年同期比9%増)、営業利益4555億円(同21%増)の見通しとなっています。2025年1月には、事務機やカメラなどの海外生産拠点の再編方針を発表。一部で外部への生産委託も検討するなど、自前主義からの転換を図っています。

今後の展望とまとめ

御手洗氏は90歳を迎えた今も経営の最前線に立ち続けています。「私の履歴書」連載は、石油危機からバブル崩壊、リーマンショック、デジタル革命まで、幾多の危機を乗り越えてきた経営者の貴重な証言です。

23年間の米国経験で培った国際的視野と合理的経営手法、そして日本的な終身雇用制度への信念。この両立が御手洗氏の経営哲学の核心にあります。キヤノンを世界的高収益企業に育て上げた手腕は、日本の製造業が目指すべき一つのモデルを示しています。

連載はまだ続いており、これからのキヤノンと日本経済に何を残すのか、御手洗氏の言葉に注目が集まっています。

参考資料:

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