御手洗冨士夫、キヤノン緊急登板から経営改革へ
はじめに
1995年8月30日、キヤノンの御手洗冨士夫氏は部下からの知らせに耳を疑いました。「肇社長が大変なことになっています」。病院に駆けつけたときには、従弟でもある御手洗肇社長は既に意識がありませんでした。
御手洗肇氏はマサチューセッツ工科大学(MIT)やスタンフォード大学で電子工学を学んだ国際派の技術者でした。子どもの頃は「肇ちゃん」「冨士夫さん」と呼び合った間柄です。間質性肺炎による突然の死去は、キヤノンの経営に大きな空白を生みました。
この緊急事態の中、御手洗冨士夫氏は第6代社長に就任。「良い猫とは稼ぐ猫だ」という信念のもと、大胆な経営改革に乗り出します。本記事では、御手洗氏の経営哲学とキヤノン改革の軌跡を解説します。
御手洗冨士夫という経営者
アメリカ仕込みの合理主義
御手洗冨士夫氏は1935年、大分県に生まれました。キヤノン創業者の一人である御手洗毅氏は伯父にあたります。1961年に中央大学法学部を卒業後、キヤノンに入社。入社後は23年間にわたりアメリカでの勤務を経験しました。
この長期の米国駐在が、後の経営スタイルに決定的な影響を与えます。「私は米国駐在が長かったから、キャッシュフロー経営が染み付いている」と語る御手洗氏。損益計算書上の利益だけでなく、現金創出に重きを置く経営哲学は、アメリカで培われたものでした。
「良い猫とは稼ぐ猫だ」
御手洗氏の経営哲学を象徴する言葉が「良い猫とは稼ぐ猫だ」です。中国の故事「白猫黒猫論」をもじったこの言葉には、企業は利益を上げてこそ存在価値があるという信念が込められています。
この合理的な姿勢は、時に「冷徹」と評されることもありました。しかし御手洗氏は「終身雇用の実力主義」を掲げ、日本流の雇用維持と米国流の競争原理の両立を追求しました。雇用を守りながら成果主義を導入するという、一見矛盾する課題に挑戦したのです。
キヤノン経営改革の実像
「選択と集中」による事業再編
社長就任後、御手洗氏が最初に着手したのは事業の「選択と集中」でした。当時のキヤノンは多角化が進み、利益率の低い事業を多く抱えていました。
御手洗氏は液晶ディスプレイ、光ディスク、パーソナルコンピュータ事業からの撤退を決断。経営資源を利益率の高いプリンター、カメラ、半導体製造装置に集中させました。
この決断は当時、社内外から批判もありました。「将来有望な事業を切り捨てていいのか」という声です。しかし御手洗氏は、限られた経営資源を強みのある分野に集中することで、競争力を高められると確信していました。
セル生産方式の全社導入
製造現場の改革も大胆に進められました。1998年以降、キヤノンは大量生産の象徴であったベルトコンベアを国内工場から廃止し、「セル生産方式」を導入しました。
セル生産方式とは、数人のチームがセル(作業台)を囲み、一人ひとりが複数の作業をしながら製品を組み立てる生産方式です。部品が1,000点以上ある高機能コピー機を一人で生産する「一人屋台方式」も導入されました。
この方式により、多品種少量生産への対応が可能になったほか、仕掛かり品の削減によるキャッシュフロー改善、人件費の効率化が実現しました。7年間の累計で3,000億円以上のキャッシュを創出したとされています。
負債完済と財務体質の強化
御手洗氏就任前、キヤノンは8,400億円を超える有利子負債を抱え、有利子負債比率は33%に達していました。この財務状況を「良い猫」の基準で見れば、到底許容できるものではありませんでした。
キャッシュフロー経営の徹底により、御手洗氏はこの負債を事実上完済。キヤノンを実質無借金企業へと変貌させました。営業利益率などの経営指標も製造業トップクラスに押し上げ、デフレ不況の中でも純利益で3期連続の過去最高を達成しました。
この成果が評価され、2003年には米ビジネスウィーク誌が選ぶ「世界の経営者25人」に選出されています。
終身雇用と成果主義の両立
雇用維持への強いこだわり
御手洗氏の経営改革は、しばしば「リストラ経営」と誤解されることがあります。しかし実態は異なります。御手洗氏は厳しい経営環境の中でも、雇用の堅持を第一義としました。
バブル崩壊後の不況期、多くの日本企業がリストラに踏み切る中、キヤノンは従業員の解雇を行いませんでした。その代わりに導入されたのが、夏休みの短縮、成果主義の導入、フレックスタイム制の廃止といった施策です。
「雇用を守る代わりに、全員が今まで以上に働いてほしい」というメッセージでした。この姿勢は従業員の結束を強め、改革への協力を引き出すことにつながりました。
日本流と米国流の融合
「終身雇用の実力主義」という御手洗氏の経営哲学は、日本的経営と米国的経営の融合を目指すものでした。
日本流の終身雇用は、運命共同体としての集団結束力を生み出します。一方、米国流の実力主義は、競争の中から個々人の力を引き出します。御手洗氏は両者を対立するものではなく、補完し合うものと捉えました。
長期雇用による安心感をベースに、成果に応じた処遇で個人の能力発揮を促す。この両立が、キヤノンの競争力の源泉となりました。
経済界のリーダーとして
経団連会長への就任
キヤノンでの経営改革の実績が評価され、御手洗氏は2006年に日本経済団体連合会(経団連)の会長に就任しました。同時にキヤノンの会長にも就任し、日本を代表する経営者としての地位を確立しました。
経団連会長としては、法人税減税や労働市場改革などを主張し、賛否両論を巻き起こしました。「経営者の視点」を前面に出した主張は、時に批判の対象ともなりましたが、日本企業の国際競争力強化という問題提起は議論を活性化させました。
キヤノン社長への復帰
2012年には6年ぶりにキヤノン社長に復帰。デジタル革命によるカメラ市場の激変、スマートフォンの台頭といった新たな経営課題に直面しました。
石油危機からバブル崩壊、リーマン・ショック、デジタル革命まで、幾多の窮地と対峙してきた御手洗氏。その経営手腕は今なおキヤノンの舵取りを担っています。
注意点・今後の展望
経営スタイルへの批判
御手洗氏の経営改革は成果を上げた一方で、批判も受けてきました。特に「選択と集中」により撤退した事業については、「将来の成長機会を逃した」との指摘があります。
また、セル生産方式についても、近年は自動化・ロボット化の進展により、その優位性が薄れているとの見方があります。経営環境の変化に応じて、改革の手法も進化させる必要があるでしょう。
後継者問題
御手洗氏は現在89歳。キヤノンの後継者選びは、日本の製造業にとっても注目されるテーマです。御手洗流のキャッシュフロー経営をどう継承・発展させるかが、次世代経営陣の課題となっています。
まとめ
1995年、従弟の急逝という緊急事態の中でキヤノン社長に就任した御手洗冨士夫氏。「良い猫とは稼ぐ猫だ」の信念のもと、選択と集中、セル生産方式、キャッシュフロー経営という三本柱で改革を推進しました。
8,400億円の負債を完済し、実質無借金企業へと変貌させたその手腕は、日本の製造業経営のモデルケースとなりました。終身雇用を維持しながら成果主義を導入するという、日本流と米国流の融合も御手洗経営の特徴です。
石油危機からデジタル革命まで、幾多の変化を乗り越えてきた御手洗氏の経験は、不確実性の高い現代の経営者にとっても示唆に富むものといえるでしょう。
参考資料:
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