薬剤師の判断で処方削減へ、医療費抑制の新制度
はじめに
日本の国民医療費は年間47兆円を超え、そのうち薬剤費だけで約10兆円を占めています。高齢化の進行とともに処方量は増え続け、飲み残しや飲み忘れによる薬の無駄は深刻な社会問題です。厚生労働省の研究によると、残薬の総額は年間推計約8,700億円にのぼるとされています。
こうした状況を受け、厚生労働省は2026年6月から、薬剤師の判断で患者の投薬量を減らしやすくする制度変更を実施します。従来は医師への疑義照会が必要だった残薬調整を、一定の条件下で事後報告に切り替えることが可能になります。本記事では、この制度変更の背景や仕組み、医療現場への影響を詳しく解説します。
制度変更の具体的な内容
疑義照会の省略が可能に
現行の制度では、薬剤師が患者の残薬(飲み残し・飲み忘れ)を確認した場合、処方量を調整するには原則として処方医への疑義照会が必要です。この手続きは患者の安全を守るために重要ですが、薬局と医療機関の双方に時間的・事務的な負担がかかるため、残薬調整が十分に進まない一因となっていました。
2026年6月からの制度変更では、処方箋様式の見直しにより、医師側が事前に残薬調整を許可する指示を出せるようになります。これにより、薬剤師は都度の疑義照会なしに、確認した残薬に応じて投薬量を減らし、事後に医療機関へ報告する運用が可能になります。
新設される「調剤時残薬調整加算」
2026年度の調剤報酬改定では、従来の「重複投薬・相互作用等防止加算」が廃止され、残薬調整に特化した「調剤時残薬調整加算」が新設されます。飲み残しや飲み忘れなどの残薬が確認された患者に対して、薬剤師が適切な調整を行った場合に算定できる仕組みです。
これにより、薬局にとっても残薬調整に取り組む経済的なインセンティブが生まれ、制度の実効性を高めることが期待されています。
リフィル処方箋との連携強化
2022年に導入されたリフィル処方箋(一定期間内に同じ処方箋で繰り返し調剤を受けられる制度)との連携も強化されます。医療機関が長期処方やリフィル処方箋に対応できることを患者に周知することが、特定疾患療養管理料などの算定要件に追加されます。
リフィル処方箋では2回目以降の調剤を行うかどうかの判断は薬剤師が担っており、残薬調整の権限拡大と合わせて、薬剤師の専門性がより発揮される環境が整います。
なぜ今、薬剤師の権限拡大が必要なのか
膨らみ続ける薬剤費
日本の薬剤費は近年、約10兆円規模で推移しています。令和5年度(2023年度)の概算医療費は47.3兆円で、調剤医療費の伸び率は前年比5.5%増と、医療費全体を上回るペースで増加しています。
薬剤費が膨らむ背景には、高齢化による処方量の増加に加え、バイオ医薬品をはじめとする高額な新薬の登場があります。公的医療保険制度の持続性を確保するためには、不必要な薬の処方を減らすことが急務です。
深刻なポリファーマシー問題
高齢者の多剤服用(ポリファーマシー)も大きな問題です。ポリファーマシーとは、一般的に5〜6種類以上の薬を併用している状態を指し、副作用のリスクが高まることが知られています。
日本では75歳以上の高齢者の約25%が7種類以上、約40%が5種類以上の薬を処方されています。高齢者の約半数がポリファーマシーの状態にあるとされ、めまいやふらつき、肝機能障害、低血糖など、さまざまな有害事象の原因となっています。
残薬の経済的損失
厚生労働科学特別研究の推計によると、通院患者の残薬は1回あたり約2,186億円、年間では推計約8,744億円にのぼります。75歳以上の20%、65〜74歳の10%の高齢者について、1日あたり100円分の処方薬を減らすだけでも、年間約2,000億円の医療費削減効果があるとされています。
これらの数字は、薬剤師による残薬調整の効果が非常に大きいことを示しています。
医療現場への影響と期待
薬局の役割の変化
今回の制度変更は、薬局の役割を「処方箋どおりに調剤する場所」から「患者の服薬状況を踏まえて最適な薬物療法を提供する場所」へと転換する動きの一環です。
薬剤師には、残薬の確認だけでなく、腎機能などの検査値に基づく用量調整の提案や、服用回数を減らすための同種同効薬への変更提案など、より専門的な介入が期待されています。
かかりつけ薬局・薬剤師の重要性
制度を効果的に運用するためには、患者が特定の薬局に調剤を集約する「かかりつけ薬局」の仕組みが不可欠です。複数の医療機関から処方を受けている患者の場合、1つの薬局で服薬情報を一元管理することで、重複投薬の発見や残薬の把握が容易になります。
お薬手帳を1冊にまとめ、すべての処方情報を記録しておくことも、薬剤師が適切な判断を行ううえで重要です。
医師との連携体制
薬剤師の裁量が拡大する一方で、医師との信頼関係に基づく連携体制の構築が不可欠です。疑義照会簡素化プロトコルの導入が進む医療機関も増えており、典型的な処方変更については事前合意に基づいて薬剤師が判断できる枠組みが広がっています。
今回の残薬調整における疑義照会の省略も、この流れの延長線上にある取り組みです。
注意点・展望
安全性の確保が大前提
薬剤師の判断で投薬量を減らせるようになるとはいえ、対象はあくまで飲み残し・飲み忘れによる残薬がある場合に限られます。処方そのものの変更や中止は従来どおり医師の判断が必要であり、薬剤師が自己判断で処方内容を変えることはできません。
患者の症状変化や副作用が疑われる場合は、速やかに受診を勧奨するか処方医に連絡する義務があります。
電子処方箋の普及がカギ
制度の実効性を高めるには、電子処方箋の普及も重要な要素です。紙の処方箋では複数の医療機関・薬局間での情報共有が難しく、重複投薬の把握に限界があります。電子処方箋が普及すれば、リアルタイムで処方情報を確認でき、より正確な残薬調整が可能になります。
今後の規制緩和の方向性
今回の制度変更は、薬剤師の職能拡大の第一歩と位置づけられます。将来的には、軽症疾患に対する一部の薬の薬局での直接販売(スイッチOTC化の推進)や、薬剤師による検査値に基づく用量調整の権限拡大など、さらなる規制緩和が検討される可能性があります。
まとめ
2026年6月から始まる薬剤師による残薬調整の簡素化は、膨らみ続ける医療費の抑制と患者負担の軽減を同時に目指す制度改革です。年間約8,700億円ともいわれる残薬の無駄を減らすことは、公的医療保険制度の持続性を高めるうえで大きな意義があります。
患者としては、かかりつけ薬局を決めて服薬情報を一元管理してもらうこと、お薬手帳を1冊にまとめること、飲み残しがある場合は遠慮なく薬剤師に相談することが重要です。制度の変更を上手に活用し、自身の医療費負担の軽減につなげていきましょう。
参考資料:
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