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by nicoxz

企業の3割が退職給付引き上げを検討、人的資本経営の新潮流

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はじめに

人材獲得競争が激化する中、企業の退職給付制度に変化の波が押し寄せています。三井住友信託銀行の調査によると、退職一時金や年金といった退職給付の引き上げを検討する企業が全体の約27%に上ることが明らかになりました。

この背景には、「人的資本経営」の浸透があります。人材を単なるコストではなく、企業価値を生み出す「資本」として捉え、その能力を最大限に引き出すという考え方です。賃上げだけでなく、退職時の待遇まで視野に入れた総合的な人事制度の改善が進んでいます。

本記事では、退職給付制度見直しの動向、その背景にある人的資本経営の考え方、そして企業と従業員双方にとってのメリットについて詳しく解説します。

退職給付制度の見直しが進む背景

人材確保の切り札としての退職給付

日本の労働市場では、人手不足を背景に中途採用が活発化しています。パーソルキャリアの転職求人倍率レポート(2025年1月)によると、IT・通信分野では転職求人倍率が7.59倍に達するなど、特定の職種では激しい人材争奪戦が繰り広げられています。

こうした環境下で、企業は「より良い待遇」を求めて転職する人材を引き付けるため、様々な施策を打ち出しています。2025年の春季労使交渉では、大企業の賃上げ率が平均5.39%と2年連続で5%を超え、賃上げ幅は比較可能な1976年以降2番目に高い水準となりました。

しかし、月々の給与だけでなく、退職時の待遇も人材確保の重要な要素となっています。厚生労働省の調査では、退職給付制度がある企業は全体の約75%。大企業では9割以上が導入しており、退職金制度は「あって当然」の労働条件となっています。

人的資本経営との連動

人的資本経営とは、人材を企業価値の源泉として捉え、その価値を最大化するための経営手法です。この考え方の浸透に伴い、人事制度の改善と連動して退職時の待遇も上向かせる傾向が強まっています。

2026年3月期からは、有価証券報告書における人的資本に関する開示が拡充されます。企業は、企業戦略と関連付けた人材戦略や、従業員給与等の決定方針についての開示を求められることになります。退職給付制度の充実度も、投資家や求職者からの評価対象となる時代が到来しているのです。

インフレ対応としての側面

世界的なインフレ傾向が続く中、退職給付制度においてもインフレへの対応が重要な課題となっています。退職給付は退職後の所得保障という重要な役割を担っており、その実質価値を維持することは、企業に対する信頼性の向上と従業員エンゲージメントの強化に直結します。

日本企業では「最終給与比例制」と「ポイント制」が代表的な算定方式として使われていますが、インフレ環境下では、これらの制度設計を見直す必要性が高まっています。

退職給付制度の種類と特徴

確定給付企業年金(DB)

確定給付企業年金(DB:Defined Benefit)は、将来の給付額があらかじめ約束される制度です。従業員にとっては「将来いくらもらえるか」が明確で、安心感が高いことが特徴です。

DBのメリットは以下の通りです。

  • 将来の給付額が約束され、従業員の安心感が高い
  • 人材獲得や従業員のロイヤリティ向上につながる
  • 自己都合退職者や懲戒解雇者に対して減額支給が可能
  • 掛金拠出に税制優遇措置がある

一方で、企業側には年金資産の運用リスクを負担するという課題があります。運用成績が悪化した場合、不足分を企業が補填する必要があるため、財務への影響が懸念されます。

確定拠出年金(DC)

確定拠出年金(DC:Defined Contribution)は、企業が拠出する掛金額が確定しており、運用は従業員自身が行う制度です。2023年3月末時点で、規約数は7,049件、加入者数は約805万人に達しています。

DCのメリットは以下の通りです。

  • 企業にとって積立不足リスクがない
  • 他社のDCから資産を受け入れ可能(ポータビリティ)
  • 従業員に退職給付の「見える化」が可能
  • 転職時も資産を持ち運べる

雇用の流動化が進む中、従業員は自身の退職金評価額が明確で分かりやすいこと、転職しても資産を引き継げる「ポータビリティ」を重視する傾向にあります。こうしたニーズに応える形で、DBからDCへのシフトが徐々に進んでいます。

退職一時金制度

退職一時金は、退職時に一括で支給される最も伝統的な退職給付制度です。多くの企業では、勤続年数や退職理由(自己都合・会社都合)によって支給額が変動する仕組みを採用しています。

大企業と中小企業では支給額に大きな差があります。大学卒の定年時退職金相場は、大企業で約2,140万円、中小企業で約1,150万円と、約2倍の開きがあります。

2026年の制度改正と企業への影響

退職所得控除の見直し

2026年1月から、退職所得控除の制度が大きく変わります。これまで、iDeCoや企業型DCを先に一時金で受け取り、数年後に会社の退職金を受け取れば、それぞれに控除を満額適用できる「5年ルール」がありました。

改正後は、この調整期間が「10年」に延長されます。短期間に複数の退職一時金を受け取ると控除額が減額される仕組みとなり、従業員の税負担に影響を与える可能性があります。

企業としては、従業員に不利益が生じないよう、早期に制度や社内体制を整えることが求められます。具体的には、就業規則や退職金規程に「退職金の支給時期を本人の希望で繰り下げできる条項」を設けるなどの見直しが必要です。

雇用保険制度の改正

2025年4月以降、雇用保険制度にも大きな改正が行われました。自己都合退職の場合の失業給付の給付制限期間が短縮されるなど、退職を選ぶハードルが下がっています。

これにより、労働市場の流動性がさらに高まることが予想されます。企業は、優秀な人材の流出を防ぐため、退職給付を含む総合的な待遇の改善に取り組む必要性が高まっています。

企業が取るべき対応策

制度設計の見直しポイント

退職給付制度の見直しを検討する企業は、以下のポイントを押さえる必要があります。

まず、自社の人材戦略と退職給付制度の整合性を確認することが重要です。人的資本経営の観点から、どのような人材を獲得・定着させたいのかを明確にし、それに合った制度設計を行います。

次に、DBとDCのバランスを検討します。企業のリスク許容度や、従業員の属性(年齢構成、転職意向など)を踏まえて、最適な組み合わせを模索します。両制度を併用するハイブリッド型も選択肢の一つです。

さらに、税制改正への対応も欠かせません。2026年の退職所得控除の見直しを踏まえ、従業員にとって不利にならない制度運用を検討する必要があります。

従業員への情報提供

退職給付制度は複雑で、従業員が十分に理解していないケースも多くあります。制度の「見える化」を進め、従業員が自身の退職給付の状況を把握できるようにすることが重要です。

特にDCを導入している企業では、従業員への投資教育も重要な責務となります。運用成績が従業員の老後資金に直結するため、適切な運用知識の提供が求められます。

今後の展望

2026年春闘の見通し

2026年の春闘では、連合が「賃上げ分3%以上+定昇相当分込みで5%以上」を目安としています。複数のシンクタンクも、賃上げ率は4%台後半を維持すると予測しています。

この賃上げの流れは、退職給付の水準にも波及することが予想されます。基本給に連動する退職金制度を採用している企業では、自動的に退職給付も増加することになります。

制度間競争の激化

人材獲得競争が続く中、退職給付制度の充実度は企業の魅力を測る重要な指標となっています。特に中途採用市場では、転職先の退職金制度の有無や内容が、入社の決め手となるケースも増えています。

今後は、単に退職金の金額を上げるだけでなく、ポータビリティの確保や、ライフプランに合わせた柔軟な受け取り方法の提供など、制度の質的な向上も求められるでしょう。

まとめ

約3割の企業が退職給付の引き上げを検討しているという調査結果は、人的資本経営の浸透と人材獲得競争の激化を反映しています。賃上げが注目される中、退職時の待遇改善も企業の重要な人事戦略として位置づけられるようになりました。

企業にとっては、自社の人材戦略と整合性のとれた退職給付制度の設計が求められます。DBとDCの特徴を理解し、税制改正への対応も踏まえた総合的な見直しが必要です。

従業員の立場からは、自社の退職給付制度について理解を深め、将来の資産形成に役立てることが重要です。転職を考える際にも、退職金制度の有無やポータビリティを確認することをお勧めします。

参考資料:

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