三井住友海上のスキル型人事制度と働き方改革
はじめに
三井住友海上火災保険が2025年4月から導入した「スキル型人事制度」が注目を集めています。社員のスキルを評価基準とし、昇進・昇給とリスキリング(学び直し)を連動させる新たな人事制度です。
近年、日本企業では職務内容を限定する「ジョブ型」制度の導入が進んでいますが、キャリアの硬直化や人材の固定化という課題も指摘されています。三井住友海上の制度は、専門性を高めながらも定期的な異動や職種転換を促すことで、この課題の解決を目指しています。本記事では、この新たな人事モデルの特徴と意義を解説します。
三井住友海上のスキル型人事制度とは
制度の概要
三井住友海上火災保険は2025年4月1日、日系大手金融機関として初めて「スキル型人事制度」を導入しました。この制度では、人事考課、報酬、異動・昇進など、すべての人事運営においてスキルの習得・発揮を評価基準として重視します。
制度設計には約40部支店、80人の多様な年齢・性別・役職の社員が9カ月間参加しました。その結果、28のジョブ区分(部門)、70種類の「プロ人財」、そして797個のスキルが明確化されました。
797個のスキル体系
各部署を28のジョブ区分に分け、それぞれのジョブが「目指す姿」を描きます。その上で、販売チャネルの構築能力など797個のスキルを定め、各社員がどのスキルを身につけるべきかを明確にしています。
従来の人事制度では、リスキリングしても処遇が変わらず、社員の成長意欲を引き出しにくいという問題がありました。新制度では、1つ上のジョブグレードに求められるスキル水準を一部でも満たせば昇格・昇給できるため、年次を問わず賃上げにつながる仕組みになっています。
公募異動制度
スキル型人事制度の特徴的な要素として、公募異動制度があります。社員は少なくとも4年に1回、自らが希望する勤務地やポストに応募する必要があります。
2024年7月から開始した「公募異動トライアル」では、全国の部支店が「求めるスキルや自所属の魅力」を発信して公募を行いました。その結果、前年の3倍以上となる合計1,567件の応募がありました。希望するポストに就くために必要なスキル習得も支援される仕組みです。
ジョブ型人事制度の課題と限界
日本企業におけるジョブ型導入の背景
政府はジョブ型人事の導入を推進しています。従来の制度では、専門性を有する人材の採用が困難、若手の抜擢がしにくい、グローバル人材のリテンションが難しいといった課題がありました。これらの解決策として、職務を明確に定義するジョブ型人事制度の導入が進められています。
富士通は2026年4月入社者から一律の初任給を廃止し、入社時よりジョブや職責の高さに応じた処遇を適用します。日立製作所やソニーグループなど、大手企業でもジョブ型への移行が進んでいます。
ジョブ型の課題:組織の硬直化
しかし、ジョブ型人事制度には課題もあります。職務を固定することで、組織の硬直化や人材の流動性低下を招く可能性があります。
ジョブ型では職務記述書(ジョブディスクリプション)に基づいて業務範囲が決まるため、職務外の仕事を柔軟に担当することが難しくなります。また、専門性が高まる一方で、ゼネラリストとしての視野が狭まり、管理職への登用が難しくなるケースもあります。
専門職の取り扱いの難しさ
業種によって異なりますが、専門職については取り組みが消極的な企業が多くあります。自社にとって不可欠な専門職ポジションを定義するところから始めなくてはならない企業も少なくありません。
同一等級であればライン管理職も専門職も似たような基本給を支給されることになりがちで、職責や役割の重さと給与処遇の不整合が問題となっています。
スキルベース組織という新潮流
ジョブ型からスキルベースへ
こうした課題を受け、世界的に注目されているのが「スキルベース組織」という考え方です。従来のジョブ型では「職務(ジョブ)」を基準に人材を配置しますが、スキルベースでは「スキル」を中心に組織を運営します。
スキルベース組織では、ジョブをさらに細かいタスク(作業)に分解し、従業員が持つスキルとタスクをマッチングさせます。これにより、固定的な職務にとらわれず、スキルに応じて柔軟に業務を割り当てることが可能になります。
人材流動性の向上
スキルベースのメリットとして、第一に努力や成果が処遇に反映されやすく、社員のモチベーション向上につながります。第二に、スキル次第で若手の登用や高待遇も可能となり、人材の流動性や専門性の強化が期待されます。
調査によると、スキルベースのアプローチを優先する高パフォーマンス企業の77%が社員の定着率を向上させており、同業他社の45%を大きく上回っています。また、65%がエンプロイーエクスペリエンスを改善しています。
成長部門への労働移動
リスキリングがもたらす意義の1つは、社内の人材流動性を高め、成長部門への効果的な労働移動を実現させることです。成長部門で必要とされる人材と既存の人材とのスキルギャップを明確にし、そのギャップを埋めるためのスキル習得を促すことで、人材の成長部門へのシフトが加速します。
三井住友海上の取り組みが示す方向性
スキルの可視化が第一歩
日本ではこれまで終身雇用が長く定着し、理念の共有が重視される一方でスキルの可視化はまだ十分でない企業が多くあります。三井住友海上の797個のスキル体系化は、この可視化の先進的な取り組みと言えます。
スキルを組織の外部からもわかるように可視化していくことが、スキルベース組織への移行の第一歩となります。産業界全体でスキルの可視化を進めることで、内外労働市場の活性化・流動化が図れると期待されています。
異動促進による硬直化防止
三井住友海上の制度が特徴的なのは、スキル重視でありながら定期的な異動も促している点です。少なくとも4年に1回の公募応募を義務付けることで、特定のポストに長期間とどまることによる硬直化を防いでいます。
これは純粋なジョブ型とは異なるアプローチです。ジョブ型の専門性向上というメリットを活かしながら、日本企業の強みであった人材の流動性も維持しようという試みです。
外部評価と成果
この取り組みは外部からも高く評価されています。2025年9月には「日経リスキリングアワード2025」企業・団体総合部門で最優秀賞を受賞。2026年1月には「Top Employer Japan 2026」の認定を受けています。
注意点・今後の展望
制度運用の課題
スキル型人事制度の運用には課題もあります。797個ものスキルを適切に評価し、公平に処遇に反映させることは容易ではありません。評価者の育成や、評価基準の透明性確保が重要になります。
また、公募異動制度については、希望するポストに応募が集中したり、逆に人気のないポストに人材が集まらないといった偏りが生じる可能性もあります。
他業界への広がり
三井住友海上の取り組みは金融業界にとどまらず、他業界でも参考になる可能性があります。特に、デジタルトランスフォーメーション(DX)を推進する企業では、既存社員のスキル転換(リスキリング)と新たなスキルを持つ人材の登用を両立させる必要があり、スキルベースの人事制度は有効な選択肢となります。
まとめ
三井住友海上の「スキル型人事制度」は、ジョブ型の課題である組織の硬直化を防ぎながら、専門性向上と人材流動性の両立を目指す新たな人事モデルです。797個のスキル体系化と公募異動制度の組み合わせにより、社員の成長意欲を引き出しつつ、組織全体の柔軟性を維持しようとしています。
日本企業の人事制度は、従来のメンバーシップ型からジョブ型への移行が進んでいますが、その先にあるスキルベース組織という考え方も視野に入れる必要があるでしょう。三井住友海上の取り組みは、その先駆的な事例として注目に値します。
参考資料:
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